からだが固いもので……やってて限界がありますね
江國 きょうはテレビ局からの帰りですか。
桜田 いえ、稽古をやってきたんです。
江國 あ、そうか、ミュージカルのね。「アニーよ銃をとれ」でしたよね、新宿コマの。
桜田 そうなんです。十月二日からなんですけど、今期は夜行で山形から帰ってきまして、ちょっとだけ休んで、稽古場へ直行です。でも楽しいですね。
江國 「アニーよ銃をとれ」っていうのは、あれはたしかべティ・ハットンがやって評判になったミュージカルだな。映画にもなったし……。
桜田 べティ・ハットン……?
江國 うん、ベティ・ハットン。そうか、桜田淳子はべティ・ハットンを知らない、か。若いんだなあ。
桜田 私、シャーリー・マクレーンという人が大好きなんです。もう五十を過ぎてると思うんですけど、ラスベガスでたまたまショーを見たんです。あの方は三十になってからダンスをはじめたというんですね。その言葉を聞いて、私もやれるんだという一つの安心感というか……いまからでもおそくないと思って。
江國 まだまだこれからですよ。とくにあなたの場合は、十四歳でデビューしたとたん、その日からトップスターみたいなことになっちゃったから、いろんな基礎を習ういちばん大事なときに、そういうものを勉強するヒマがなかったわけでしょう。
桜田 (大ぎくうなずいて)そうなんです。お勉強する時間がなかったんですね。音楽でも踊りでも、すべて基礎はクラシックだと思うんですね。ダンスは、今度の公演のためということではなくて、五月からはじめてはいたんですけど「私、からだが固いもので……やっててやっぱり限界がありますね。
江國 じゃ、挑戦ですね、今度の公演が。
桜由 でも、すごく楽しいですねえ。歌って踊ってお芝居して
江國 稽古はきびしいですか。
桜田 私、もう八年目になるんですけれども、まわりが気をつかうんでしょうか、おこってくれないんですね。 私は「どんどん叱って下さい」っていうんですけど、いままで叱られたことがないんです。それがちょっと寂しいですね。
江國 芸能界に入ってから、ずっと優等生できたものね。歩みも順調そのものだったし、育ちもいいし……そういうことっていうのは、ある意味ではハンディキャッブだと思うんだよね。
桜田 そうなんですね。それはつくづく感じます。私は名前だけが先行して大ぎくなっちゃったんですよね。桜田淳子といったら、知らない人いないと思うんです。だけどまだやらなくてはいけないことがたくさんあるにもかかわらず、それをやってきてなかった。それがすごいハンデなんですよね。だから、いまこそ勉強したくてしたくてしようがないんです。
「しあわせ芝居」はいまでも会場の拍手がちかいますね
江國 舞台に出てるあいだもテレビがいろいろあるんでしょ。
桜田 テレビは二本ぐらいにして、ほとんど『アニー』に集中してます。そういう意味では、デビューのころとずいぶん変わってきましたね。デビューのころは、仕事をさせられてるという感じがありましたれけど、いまは、いいお仕事を選んで、それに集中して、終わったらちょっとお休みをいただいて、という……。
江國 理想的じゃないですか。
桜田 大変理想的ですね。お仕でも 相性みたいのがありますでしょ。すごくおこがましいんですけど、自分は舞台向きだなあ、ということをつくづく感じるんです。将来自分は舞台女優というか、ショーガール的なことをやっていきたいな、なんて最近とくに思うんです。
江國 レコードのほうも、もうじき新曲が出るんでしょ。えーと……『神戸で蓬えたら』。
桜田 あらァ、よくご存知ですねえ。
江國 そりゃもう、あなたのことならなんでも。(笑)
桜田 まア。(笑)
江國 どうですか、ヒットしそうな歌ですか。
桜田 いやア、わかりませんね。私、さほど気にしなくなってきたんですね。いま、すごくいいお仕事ができるようになったし、上でもなければ下でもないといういい位置にいるし、ここらへんで大ヒットを、という気持ちはあんまりないんです。自分が歌って、たまたまみんなが気にいってロずさんでくれて、それがヒットにつながったという形になれば、それはそれで理想なんですけど……。
江國 自分ではいい曲だと思っているのに当たらなかったり、たいした曲じゃないと思っていたら大ヒットしたりとか、そういう予感みたいなものの、当たりはずれがあるでしょうね。
桜田 だいたい適中してると思いますね。『しあわせ芝居』という歌があったんですけれはすごく心にしみましてね。
江國 中島みゆきさんの曲でしたね。いつでしたっけ、あれは。
桜田 十九歳のときですから、三年前です。同世代の女のコから三十代後半ぐらいの方まで、女性の方たちには絶対わかってもらえる歌だ、という確信がありましたね。
江國 それまでの花のトリオ℃梠繧チていうんですか、清純派路線、力ワイコちゃん路線から脱皮するきっかけの歌がそれですか。
桜田 そう思ってます、私は。
江國 どんな歌詞でしたかね。
桜田 (すらすらと)「泣きながら電話をかければ、バ力なやつだとなだめてくれる。眠りたくない気分の夜は、物語を聞かせくれる」……。
江國 なるほど。
桜田 (フシをつけて)♪ララララ……ってピアノのイントロがあるんですけど、いまでもそれがはじまると、お客さまの拍手がちがいますね。ほんとに心から愛してくれてるみたい。
江國 デビューのときが、花の中三トリオ(桜田淳子、森昌子、「山ロ百恵)で、それから(指を折って)高一トリオ、高二トリオ、高三トリオ……四年間か、あの四年間で力ワイコちゃん歌手っていうイメージが定着しちちゃったでしょ。
桜田 はい。
江國 カワイイ、カワイイって、もういい加減にカンベンしてくれエ、って気になったでしょう。
桜田 カンべンしてくれというのは、私、なかったんです。いくら私が、やれアイドル歌手ではない、力ワイコはないといったところで、視聴者の方たちがそう受けとめてるんだったら、それは素直に受け入れるべきだし、アダルトな人たちにウケる歌い手としていまだに評価されてないならば、それはそれで受け入れるべきだと思うんです。
江國 うん、うん。
桜田 アイドル性とかスター性とかあるからこそウケるんであって、アイドル歌手といわれることに、私は疑問とか抵抗はまったくないですね。
江國 王選手だってアイドルだしね。森繁だってあのトシで立派にアイドルなんだから。
桜田 はい、私もそう思います。その意味でいつまでもアイドル性を持っていたいですね。
江國 ただ、アイドル歌手ってい場合は、ジャリ歌手とか、セーラ服くささとか、そういう面でいわれてたわけでしょ
桜田 そうですね、はい。
江國 南由洋子とか若尾文子とか、ああいう人だちも出発点は『十代の性典』だったですよね。やっぱりどこかで大人宣言≠ニいうか、セーラー服脱ぎ捨て宣言≠ンたいなことをしてると思うんだ。そうじゃないと、いっぺん掲げた看板はなかなかおろさせてもらえない……。
桜田 そうですね。私は大人宣言≠煢スもしてませんけど、見えないところで、いまそういうことをやってるときなんじゃないかな、と思うんですね。過渡期だと思います。
ちょっと一服
黒に近いこげ茶とクレイのしぷいチェックの半袖ワンピースに、黒っぽいストッキング。装飾といえば、衿元にさげたシンプルな金のペンダントが一個。J・Sの刻印がキラり。ほとんど化粧を感じさせない美しい顔が、シックな服装でいっそう引ぎ立っている。
「チャンスはいましかない」と、両親を説得したんです
江國 いつごろから歌手になりたいと思ったんです?
桜田 中学に入ってからだと思います。それまでは、絶対自分はスチュワーデスになるんだと思い込んでたんです。中学で演劇をはじめて、もしかしたら歌ったりお芝居したりすることができるんじゃないか、みたいなところがあって……。
江國 中学は秋田でしょ。それで『スター誕生』(NTV系)に応募して、何を歌ったの、そのとき。
桜田 牧葉ユミさんの『見知らぬ世界』という歌なんです。音域もそんなに広くなくて、大変歌いやすかったんです。
江國 あの番組で優勝して、二十五社から声がかかったんですってね。プロ野球のドラフト会議で、岡田が何倍だ、木田が何倍だっていってるけど、段ちがいだよね。(笑)
桜田 もう大変こわく見えましたね、皆ざんが。
江國 『スター誕生』の決勝大会で優勝したのが、(メモを見て)四十七年の九月六日、なんですよね。
楼田 あ、そうですか。九月というのは覚えてますけど。
江國 それで中学二年、十四歳で秋田から単身上京したのが、(またメモを見て)同じ年の十月二十六日……二ヵ月たってないわけですよね。ご両親がよく許したですね。
桜田 最後の最後まで両親は反対してました。義務教育も終わってなくて、いちばん勉強しなくちゃいけないときですからね。だけど、私、いいだしたらきかないコなんです。「チャンスはいましかたいんだ」といって説得したんです。たまたま東京に叔父がいまして、それだから出してくれたんだと思うんです。
江國 上京したのが十月二十六日で、翌年の三月にはもうデビュー曲(『天使も夢みる』)が出て……。
桜田 二月の末ですね。上京してきたらもう譜面ができてたんです。それを渡されて「歌いなきい」っていわれて、私、おどろきましね。
江國 そのデビューのときにですね、これも週刊誌仕込みのナニなんですけど、「私は十五で新人賞をとる、十六で『紅白』に出る、十七で映画に主役で出る」って予言したんですって?
桜田 (びっくりしたように目を大きく開き、首をふって)いいえ。
江國 あ、ちがいます?
桜田 ええ。どなたかお上手な方が書いたんじゃないですか。 (笑)
江國 だけど、三つともそのとおりになってるでしょ。十五でいろんな新人費を総どり……あれは『私の青い鳥』でしたっけ。
桜田 そうです。でも、新人賞を、って感じで意気込んではなかったですね。
江國 それで翌年ちゃんと『紅白』に出て、映画の主演もしたし、まさに予言どおりになったわけだから、なんてすごいコだろうと思ったんだけど……。
桜田 いいえ、ぜーんぜん、そんな予言なんて……。
江國 そうですか、それで安心しました。十四の小娘がそこまで予言したら力ワユクないものね。 (笑)
桜田 かわいげないですね。もしそんなコがいたら、私も、なんてカワユクないコだろうって思いますね。(笑)
「百恵ちゃんの質問はいっさいこれでおしまい」
江國 まあ『紅白』のことぐらいならいいけど、例のナントカらていう記事……『スター交歓図』ですか、ああいうのはほっとけないよね。ずいぶんイヤな思いをしたでしょう。
桜田 あのですね(一つ小ざな呟払いをして)、裁判所に行って証言台に立って、いろいろ質問に答えているときは苦痛じゃなかったんですけど、あとからマスコミに書き立てられたのが、私には大変苦痛でした。
江國 たとえばどんな……。
桜田 私は証人のトップバッターだったんですね。 いいトップバッターだったらいいんですけど、運動会とちがいますからね。トップバッターで責任でしたし、大変にいじめられたんです、相手の弁護士さんに。
江國 そうでしょう。そういう仕組みなんだ、裁判ていうのは。
桜田 私、もっとクールに、罪として裁いてくれるのかと思ってたんですけど、そうじゃないんですね。告訴された側の記者の方たちが、目の前にいるわけですけど、「この人たちを見てどう思いますか。この人たちには妻もいるし、子供もいるんです」なんていうんですよね。そういわれちゃうと、私も同情的になるし、だいいち、悪いことをするような顔には見えないんですよ。(笑)
江國 うん、あれは悪人の相なんかじゃない(笑)、ほくは何度か彼に会ってますから、それだけは断言でぎます。だけど、困っちゃうよね、当人の目の前でそんなこと訊かれたら……。
桜田 私はまだ子供だな、って思いましたね。それで上がっちゃってオタオタしたわけですけど。そうしたら、あとから「桜田淳子がああやってとりみだして青ざめていたのに対して、ダレソレはおちついていただの、どうのこうの……」って、つねに比較されて書かれるのがほんとにイヤでした。
同席の編集者 比較っていえば、山ロモモ……
江國 (さえぎって)あ、よせ。
編集者 は?
江國 しまったなあ、さきにいっとくんだった。あなたは、それを必ず口にすると思ったんだ。オレはね、桜田淳子に会って、山ロの「や」の字も、百恵の「も」 の字も、絶対ロにするもんかという気持ちで来たんだ。
桜田 アハハハ。(爆笑)
江國 「山口百恵が結婚するんで引退したけど、ライバルとして感想は?」「いいえ、ライバルじゃなくて親友です」なんて、そんなこと、この人にいわせたってしようがないじゃない。(笑)
編集者 だけど、みんなそこを聞きたいわけですよ。
桜田 もう同百べんとなく聞かれました。(笑)……ですから、こちらから先に話をしちゃうんです。冗談に、こっちで記者会見やりたいっていったぐらい。記者会見やっで、「百恵ちゃんに関する質問は、いっさいこれでおしまいです、どうぞ思う存分質問して下さい」って。(笑)
江國 わかる、わかる。
桜田 だって、恋人宣言だとか、結婚宣言だとか、引退宣言だとか、そのたんぴに「桜田さん、どうですか、いまの気持ちは」って、 同じことばっかり何回も何回も聞かれるんですもの。だけど、思うことは一つなんですよ、寂しいだけです。
編集者 じゃ質問を変えます。男性観ですが……。
桜田 つまらないですよ、私のそういう話は。
江國 ぼくがかわりに答えてあげましょうか。
桜田 はい、お願いします、ぜひ。(笑)
江國 (国会答弁のような棒読み口調ですらすらと)「わたくしはもともと一対一のおつきあいは好きではありません」
桜田 (手を打って)わア、わかってらっしゃる。
江國「中学のころから集団で遊んでばかりいて、わたくしがもっぱらガキ大将的にやってきたもんですから……」
桜田 (笑いころげながら)そうなんです、そのとおり。
江國「いまは、若い人より三十代ぐらいの人がたのもしい、中年の男性に惹かれます」
桜田 (からだをよじって)アハハハ……。
江國 (あわてて)いや、ぼくのことじゃないですよ。
桜田 (バチバチと手を叩いて)正解です。私、若い人だと疲れちゃうんですよね。こちらがふりまわされちゃうというか、どうおつきあいしていいかわかんないんです。
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