3月23日(日)8:30〜12:30 出町中学校体育館 オールコート

見ていて思うところがあり、途中でチーム練習を切り上げ個人練習(自由練習)に切り替え。

練習が中断する原因は、いくつかあるがその要因は、

・言葉をかけてもまったくの無反応(返事をするよう指導しているが、頷きさえもしない。返事や反応を要求するのは、指導者に対して服従しろというのではなく、ゲーム中の指示に対して反応ができるかどうか のチェックを意味しています。無反応のためにタイムアウトを要求しなければならないのは無駄です。もちろん、上の者からの話に対して返事をするという意味もあります。)

・全力を出そうとしない(今日の練習で中学生の練習でよく見かける光景ですが、パス練習で周りの者が回数をカウントするようにしています。今日は、練習に11名参加していましたが、全員の声より隣で練習しているバレー部員1人の声の方が大きかったです。1人に負けているから大きな声を出してみろとやり直しすると少し声が大きくなります。全力でやることを目指しているのだから声も全力で出すことはできないのか。全力で声が出ないのなら他で全力は出せないよということでやり直しするとまた少し声が大きくなります。“喉から血が出て明日から声が出なくなるくらい出してみろ!”ほめられた言い方ではありませんが、ここまで言ってやっと大きな声が出るようになりますが、100パーセント出している者1名、90パーセント5名、80パーセント3名、適当2名といった感じです。数年前ならまだやり直しですが、疲れるので止めました。バスケットボールのゲームで声の大小も影響はあると思います。小さい声より大きな声。声を全力で出せないのに他は全力でやれないというのが私の考え方です。しかし現チームはよほど追い込まなければ全力を出しません。これだけで30分以上かかります。 同じことは走るスピード、ディフェンスの集中や腰の落とし方にも表れます。やり直しをさせればさせるほど小出しに力を上げていく。それで良いのかと聞くとだめですと答える。だめだと分っていて力を出さないのは、さぼりじゃないか。さぼるのなら練習中止ということになります。)

・指導したことをすぐに忘れる(昨日のゲームにおいて2線のディフェンスが裏を切られることが多かったので、スローインの場面でディフェンスがディナイ(クローズドスタンス)の1対1をやりました。しばらくだまって見ていたのですが、約束事がいろいろあるにも関わらずぼろぼろでした。
いうまでもなくディフェンスは、ボールとマークマンの両方見ることが必要なのですが、ディナイのときはどこを見るのか。何度も指導をしたことです。
どこを見れば良いのか答えなさいと聞くとぼそぼそと違うこたえばかりが出てきます。しばらくすると“指先です”とエースプレイヤーが答えました。確かに正解。理解しているのは1人だけ。しかし、分っていてもすぐに答えようとしないところがプレーにも表れています。奥に引っ込んでいて思い切ってできないところがキャプテンに指名しなかった要因の一つです。他の者は、何なのでしょうか?
練習で習ったことはノートに書きなさいと要求していてキャプテンがやってませんと答えるのですから他の者はやってないでしょうし、やってないから答えられないのです。そんな状況では、何度練習しても積み上げが無いので時間の無駄と感じて練習を継続する気になれません。
また、練習で違ったことをやっていて、それは違うでしょと言うと無反応で違うことをもくもくとやっている者がいます。それで何度も練習が中断したことがあるのですが、そのときも違っているポイントに気付くのならまだ良いとしても、だれも気がつかないときがあります。緊張感も何もあったものではありません。向上心も感じません。)

練習にやってきてただ言われるがままに時間をすごし、汗をかき、息を切らしたら力がつくと思っていたら大きな間違いです。

ということで今日は、練習を中断して解散するまではせずに個人練習をしなさいということで何をするのか見ていました。

個人練習と言って、その後何が起きるかというと、だれかが指揮をとってチーム練習の延長をやろうとしています。

本当にそれで良いの?自分に足りないところは何?ゲームに出たら何をしたいの?と問うとしばらく固まって、ボールを持って首をかしげながらぽつぽつとパスやシュートをやり始めました。

またしばらくして集合させ、ボールを持ってやろうというのは分るが、現チームの最大の問題点は技術的なものではないはずだ。選手は、また????。問題点は、能力の低い身体であり、それを克服するために特別なものをやっているのではないのか。昨日のゲームで市内のチームに負けるのは、冬場の短時間の練習で逆転をくらってしまったからではないのか。
すると、肩甲骨を動かす者、腕立て伏せや腹筋を始める者。その後、壁に向けてボールをぶつける者、シュートを単独で打つもの等。

ボールを壁にぶつけている者は、目的は何?“パスを強くするためです”違います。何か練習を始める前にパス練習をするように言ったはずだ。その練習は、何んだ。しばらく間があって“シュート練習です”そうだろう。パスを強くすることも大切だが、パスで得点が取れるわけではない。シュートの飛距離を伸ばすために肩、肩甲骨、手首の力をつけるためにパスをやるように言っていたはずです。理解してやるのとなんとなくやるのでは効果は大違いですが、今まで無駄な時間をつかっていたということです。

するとみんなパス練習をやろうとしています。

また先ほどの繰り返しで、本当にそれで良いの?自分に足りないところは何?ゲームに出たら何をしたいの?目指すプレーは何?チームとしてどこで勝とうとしているのか?と問うとしばらく固まるという繰り返しです。

12時30分になったので練習を終わりにしました。片づけが終わってから、ほとんどの者が、ボールを持ってなにかやろうとしています。いつもならとっとと帰るのに練習をしようと思ったのでしょうか。しかし、帰れということで無理やり帰しました。練習をやりたいのなら自分の意思で意欲を持ち、自分で場所を確保して苦労してやるべきだと思ったからです。ただなんとなく1時ごろまで玉遊びをやっているのであれば勉強した方が有効です。

バスケットボールマガジンに書かれていた児玉中のI先生の話のとおり、もともとバスケは遊びですから、遊びでも良いのかもしれません。友達と楽しく遊びでやるのであればそれなりの技術はついています。これ以上練習する必要はありません。しかし、勝ち上がることを考えると今のままのレベルでは地区選手権であっても勝つことはできないでしょう。

勝つことができないということは、ゲームで思うようなプレーができないということです。果たしてそれは楽しいことなのでしょうか。私はゲームで勝つまたチームとしては、勝てないかもしれないが、目の前の相手に対して、自分のやりたいプレーを気持ちよくやれることが楽しいことではないかと考えています。そのレベルが勝ち進むことによって県大会、北信越、全中と高いレベルでますます楽しむことができるのではないでしょうか。その楽しみを感じるためには、自分の力を向上させなければいけません。それには、苦しい、辛い、痛いは避けて通れないものであると思うのは私だけなのでしょうか。この苦しい、辛い、痛いを当たり前のこととして受けとめることができる強い選手こそゲームで楽しく遊べるのだと思います。

私はこれで勤務、選抜練習、勤務、ジュニアオールスターという日程なのでしばらくチームの練習に出ませんが、顧問の先生の指導の下、個々の力が上がっていることを期待しています。

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