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*** 交通医学 ニュース ***
2月12日: 安全と不安
2010年
12月1日: 電気自動車の後に来るものは
1月10日: 自動車はどう変わるだろうか
2009年
5月16日: 知覚の世界の項に「疲れ目運転・ドライアイ」を追加しました。
5月16日: 参考文献集に「涙のチカラ」を加えた。
2008年
12月22日: むすび交通事故と社会の項に「マイカーの時代は続くか、21世紀はマイカー抑制」を追加しました。
7月17日: むすび交通事故と社会の項に「始まった水飢饉」を追加しました。
7月1日: むすび・交通医学と社会の項に、「自動車なきあとに」(新たな乗り物の登場)を追加しました。
6月4日: 交通事故に関する新知識の項に「自動車の不自由」を挿入しました。
5月15日: 交通事故に関する新知識交通医学の項に「心を失った人間」を挿入しました。コンピュータが人間社会の全てに深く関わってきました。
4月2日: むすび・交通医学と社会の項に「自動車が危ない」を追加しました。三菱だけではない。
3月1日: むすび・交通医学と社会の項に 「混雑費用の問題」を追加しました。
2月28日 都市の巨大化と交通事故の項に「ガン化する都市」を追加しました。
2月26日: 都市の巨大化と交通事故の項に「町に景観がなくなっていく」を追加しました。
2月23日: むすび・交通医学と社会の項に 地球環境に厳しい[自動車の自由]を挿入しました。
1月10日: 病気と交通事故の項に「大衆薬を甘く見てはいけない!」を挿入しました。くれぐれも用心が肝心です。
2007年
6月18日: 「シュレッダーダストと環境汚染」に追加コメント「自動車リサイクル目標達成へ」を挿入しました。
4月21日: 交通医学に関連する文献集に「薬の好ましくない作用」を追加しました。
3月5日: 「交通医学のホームページへようこそ」に目次を作成しました。
2月21日: 「シュレッダーダストと環境汚染」を追加しました。増え続ける廃車の処理も交通医学の中の重要課題の一つとなった。
2月1日: エッセー「科学の進歩と法律」の項に「死亡後の体外受精親子」を追加しました。
1月28日: エッセー短い言葉に「ストレスの一生」を追加しました。
2006年
11月21日: 「渋滞」の歴史を追加しました。車時代の今日、ドライバーにとって「渋滞」という言葉は一日たりとも頭から離れません。
11月4日: 交通医学関連文献集に「めまいの正体」を追加しました。
10月24日: エッセー短い言葉に「姿勢を正す」を追加しました。人間にとって最高の贈り物は健康です。
8月24日: 交通医学関連文献集に「道の環境学」を追加しました。シルクロードやローマの道のように道路こそが人間の文化即ち暮らしを良くする原点である。処が、その道路が人間社会の環境を破壊しているという。
7月25日: 人間には車の運転を誤らせる要素があるの項に「体内時計が狂った現代人」を追加しました。多くの人にこのことが思い当たるに違いない。
7月9日: 人間には車の運転を誤らせる要素があるの項に「慣れと注意の集中」を追加しました。誰もが常に経験する極めてありふれた現象です。
6月25日: 自動車症候群の項に「自動車の魔力」を追加しました。多くの車愛好者は車の魔力に犯されている。
6月22日: 病気と交通事故の項に「エコノミークラス症候群について」を追加しました。渋滞したハイウエーの長距離ドライブが増える中、関心を新にしてほしい。
5月22日: 交通事故の新知識の項に「シートベルトで肋骨を骨折」(胸部傷害例の紹介)を追加しました。
5月19日: 交通事故の新知識の項に「道路を増やせば増やすほど道路は渋滞する」を追加しました。
5月3日: 交通医学関連文献集に「燃料電池のしくみがわかる本」を追加しました。燃料電池自動車は自動車革命の基本となるだろうか。
5月1日: 交通医学関連文献集に「薬物依存」を追加した。薬物依存は今日社会活動の中に広く関わってきている。
4月1日: トップページ古い交通の話の項に「江戸御府内」を追加しました。参考までに。
3月21日: 「病気と交通事故」の項に「肝臓疾患と交通事故について」を追加挿入しました。参考になると思います。
3月17日: 交通医学関連文献集に「ゾウの時間ネズミの時間サイズの生物学」を追加しました。
3月11日: 交通事故に関する新知識の項に「サイズによって時間は変わる」を挿入しました。自分の周りを眺めて見て結論が出るかどうか。
3月9日: トップページに「急がば回れ」を追加しました。交通においては特別に重い意味を持つ言葉だと思います。参考になれば幸です。
2月18日: fusetu2交通事故に関する新知識の項に「車の運転にも”フェイズ3”で行こう」を挿入しました。
2月13日: エッセー短い言葉に「先を読む」を追加しました。気の向くままにどうぞ。
2月9日: 交通医学関連文献集に「安全と安心の科学」を追加しました。交通事故を含めて科学技術の安全・安心への訴えが高まっております。
2月7日: エッセー短い言葉に「離人症」を追加しました。気が向きましたら覗いて見てください。
2月5日: fusetu2交通事故に関する新知識の項に 「実現するか夢の車」を挿入した。自動運転の車が実現するかどうか。現在の自動車交通社会においてそういう高度技術が可能かどうか。
2月1日: エッセー短い言葉に「如月」を追加しました。参考までに。
1月30日: エッセー短い言葉に「ンメ・ンマ」を追加しました。気が向きましたら覗いてみて下さい。
1月29日: トップページ古い交通の話の中に「一里塚とマイルストーン」を追加しました。覗いて見てください。
1月25日: ページfusetu3錯覚と病気と交通事故の項に「進歩」の代償を挿入しました。自動車文明は21世紀にはどう変わるのでしょうか、今のままという事はありえないでしょう。
1月22日: 交通医学関連の文献集に「安全性の考え方」を追加しました。性能が良いという事は、逆にそれだけ危険が増すという事である。私たちはそのことを忘れやすい。
1月19日: ページfusetu3.錯覚と病気と交通事故の項に「未来の交通は八方塞り」を挿入しました。近代交通はやがてはどこかで方向転換を迫られるようになるだろう。
1月17日: 交通医学関連の文献集に「自己開発法・大脳生理学による才能改造」を追加しました。
1月13日: 交通医学関連の文献集に「心理学おもしろ入門」および「くるまは弱者のもの」を追加しました。
1月11日: 交通医学関連文献集に「手と脳」を追加しました。手は外部の脳といわれ、、手は脳の働きを高めます。手と脳の関わりは車の運転に極めて重要であります。
1月10日: エッセー短い言葉に54.文学にも原宿通りを追加しました。ちょっと覗いてみてください。
1月9日: 交通医学関連文献集に「続薬学よもやまばなし」、「江戸こぼれ話」を追加しました。
1月8日: エッセー短い言葉に53.薬も毒も同じ皿の上に載っているを追加しました。気が向きましたらどうぞ。
1月7日: トップページ交通医学古い交通の話に江戸時代の江戸の町内の交通と旅人姿を挿入しました。参考にしてください。
1月6日: トップページ交通医学古い交通の話に江戸時代の旅駄賃を追加しました。
1月5日: エッセー短い言葉に52お薬師さまを追加しました。お暇な時に覗いて見てください。
1月5日: エッセー傘乗に39話世逃げを追加しました。気が向きましたら立ち寄ってみてください。
1月3日: ページfusetu3.病気と治療薬と交通事故の項に「ノーカー・デー」を挿入しました。車時代にノーカー・デーは是非必要な事だと思いますが、皆さんの意見はいかがですか。
2005年
1998年8月8日: ホームページ「交通医学」が開設された。
anzentofuan.html へのリンクは2010.3.27
に更新された 。
* このページについてのお問い合わせ、ご意見はこちらへfusetu@po3.nsknet.or.jp
文献 「交通医学」抄録(*1)
お知らせ
*1. 当ページの文献「交通医学」抄録は専門学校ニホン・オートモービル・カレッジnats(2006年4月より日本自動車大学校)における講義「交通医学」(1989-1999)のテキストです。
*2 エッセーのコーナーの「文学の中の医薬」は東京都病院薬剤師会の「東京都病院薬剤師会雑誌jounal of the tokyo hospital pharmacists association」(2004年4月−2006年12月)に抜粋して連載されています。
mail(寄せられた交通医学関連のメール)
.
今日は! 交通医学のホームページへようこそ。
交通医学の話を聞いたことがありますか。
このページは、交通事故を医学的な見地から眺めようとしたものです。
20世紀は自動車の時代でした。自動車は人間に限りなく素晴らしい恩恵をもたらしました。だが、その自動車の人間社会に対するマイナス面にも計り知れないものがあります。その実際を知ることが交通医学の目的であります。
交通医学に関連する文献も紹介しました。文献はこのページの冒頭に掲載しました。
目次
◆ ・古い交通の噺
輸送の担い手としての「馬」
違式かい違
江戸御府内
江戸時代の江戸の町内の交通
江戸時代の旅駄賃
一里塚とマイルストーン
ローマ道のマイルストーン
中国の一里塚
日本の一里塚
ハイウェーの歴史
日本の古代の七道駅路
近代高速道路はドイツに始まる
・全国交通事故総合データーによる追突事故の特徴
事故類型別交通j死亡事故発生件数
地震と台風と交通事故
急がば回れ!
◆ 交通事故に関する新知識交通医学
居住環境が変わった
住みよい町が消えていった
都市の巨大化と交通事故
日本の町が嫌らしくなった
町に景観がなくなっていく
ガン化する都市
自動車の不自由
自動車症候群を知ろうーそれは車原病である
忌まわしい魔力ー自動車の魔力
死亡原因第3位の交通事故死の未来
シートベルトで肋骨を骨折(胸部傷害の紹介)
「渋滞」の歴史
道路を増やせば増やすほど道路は渋滞する
車の流れと川の流れ
車の流れを利用する発想
高速道路でどんな事故が起こっているだろうか
人間には車の運転を誤らせる要素がある
非健常人ドライバー
慣れと注意の集中
体内時計が狂った現代人
実現するか夢の車
サイズによって時間は変わる
心を失った人間
◆ 錯覚と病気と自動車事故
錯覚図の一例
知覚の世界
見えているが見ていない
正確な知覚には注意機能が必要
錯覚の功罪
mailー錯覚、駐車場にて
見誤り
疲れ目運転ドライアイ
病気と交通事故
肝臓疾患は交通事故死を招きやすい
人間の身体は病気の器である
傷病者別通院患者数
通行目的別交通事故死傷者数
ノーカー・デー
黄色いドライバー
脳が疲れると手足が動かなくなる
病気そのものが、又治療薬の副作用が人の正常な精神状態・神経活動を狂わせる
現代病の中の車事情
目眩を起す作用のある代表的な薬には
目眩を起す恐れのある代表的な病気には
「めまい」
大衆薬を甘く見てはいけない!
頭に効く薬は全て要注意
エコノミークラス症候群について
※ むすび・交通医学と社会
道路交通事故による経済的損失
混雑費用の問題
地球環境に厳しい[自動車の自由]
「進歩」の代償
自動車が危ない
未来の交通は八方塞がり
廃車のっシュレッダーダストと環境汚染
自動車なきあとに(新たな乗り物の登場)
始まった水飢饉
マイカー時代は続くか、21世紀はマイカー抑制
自動車はどう変わってゆくだろうか?
◆ 古い交通の噺
輸送の担い手としての「馬」
江戸時代、街道で荷物の輸送にあたっていたのは「馬」であった。日本の馬は現在のサラブレッド種の馬のようにスマートではなかった。 体高も130センチメートル前後と低く、また脚も太く、輸送に 適していた。
これらの馬は宿場に常置され、旅人や荷物を搬送し、江戸時代の交通を支えていた。
本馬(ほんば): 荷物一駄(40貫目=150キロ)を運ぶ馬
乗掛(のりかけ): 20貫目の荷物を乗せ、その上に座布団を敷いて、人一人が乗る馬
軽尻(かるじり): 人一人が乗って荷物をつけない馬。ただし5貫目までの荷物はつけられる。
(出所) 『街道・宿場・旅ー旅人からのメッセージ』(大津市歴史博物館)p.82から
「おもしろ交通論」 中村 実 学文社
違式かい違
イシキカイイ。今で云えばさしずめ軽犯罪法又は道路交通法とも云える。
明治6年7月16日、明治政府が太政大臣三条実美の名で出された九十ヶ条から成る。
違式は75銭以上150銭まで、かい違は6銭5厘5毛以上12銭5厘までのそれどれの贖金(罰金)と定められた。
道路とは歩行者のもの、馬車による交通妨害は厳に禁ず。
曰く
「乗馬して、濫りに駆馳し、又は疾駆し行人を蝕倒するもの」
曰く
「狭隘の小路を馬車にて馳走するもの」
曰く
「斟酌なく馬車を疾駆せしめ行人へ迷惑を掛しもの」
曰く
「荷車及び人力車行き逢うふ節、行人に迷惑を掛しもの」
曰く
「荷車及び人力車などを並べ挽きて通行を妨げしもの」 など。
違式かい違により贖金(罰金)を科す。
「読書こぼればなし」淮 陰 生 岩波新書(1978)
江戸御府内
古川柳に
本郷も かねやすまでは 江戸のうち
といって、今の三丁目辺りにかねやすという口中医(歯科医)があって、そこから乳香散という粉の歯磨きを売ったのが江戸中に評判になっていた。かねやすから先、今の大学方面は郊外とされて江戸府内ではなかった。
だから、本郷台に事件事故があっても江戸町奉行配下が出向くことはなかった。
本郷台は前田侯、阿部侯、本多侯などの大名屋敷と丸山本妙寺そのほかの巨刹が番居するのみで、町家らしい町家もなく、宵の口から狐が鳴いていたと言う。
「江戸から東京へ(一)」矢田挿雲 中公文庫
「本郷界隈」(街道をゆく 37) 司馬遼太郎 朝日文庫
江戸時代の江戸の町内の交通
江戸時代には、江戸の町内で馬を使う事がかなり制限されていた。従って、地方から五街道を使って上京してきた人々は江戸の郊外で馬を下りて、そこで馬をあずけ、町内で要件を済ませると再びそこまで来て帰郷したわけである。
「おもしろ交通論」中村實 学文社

江戸時代の旅駄賃
十返舎一九が「道中膝栗毛発端」を書いた弥次さん喜多さんが旅に出たのは享和二年〈1802〉の春だった。
保土ヶ谷あたりの旅籠代は二百文だということであったという。小学館日本古典文学全集の中村幸彦氏の頭注によれば,天明年間(1781−89)には東海道旅籠代百五十文前後であったのが勘定奉行からの触書によって二割ほど値上がりしてこの値段になったといわれている。
金相場では一両は四分、一分は四朱である。一両はだいたい今の七万から八万円くらいとして勘定すると、八万円として一分は二万円、一朱五千円である。銭相場では一両四百問で、単純計算すると一文は二十円という見当になる。
二百文で四千円。一泊二食付き四千円なら、まあままというところか。
「江戸こぼれ話」文芸春秋編 野口武彦 文春文庫
一里塚とマイル・ストーン
昔の人が歩いて旅をしたとき、その行旅の目印ともなり、また旅の疲れを癒すよすがともなったものに、道標(みちしるべ)と一里塚があります。これはヨーロッパでいえばマイルストーンです。
ローマ道のマイルストーン
道路に沿って、一定の距離を行くごとに置かれた道しるべ、それがマイルストーンです。それがいつから始められたものか、よくわかっていませんが、記録にもあり、現に実物が残っていることからしても、ローマ道にすでに完備した里程標があったことははっきりしています。
ローマ道のマイルストーンは、一マイルごとに置かれた石の円柱です。ローマ道として紀元前312年に最初に作られたアッピア街道を始め、その後つくられたほとんどすべてのローマ道にマイルストーンが置かれていました。(図ー1)
一マイルは1000歩〈一歩は左右一歩ずつの複歩〉で、およそ1484メートルでした。
ローマ道のマイルストーンは、ラテン語で「ミリアリウム」といいますが、それは「千」に由来した言葉です。
マイルストーンは高さがおよそ1.8メートル、石には時の皇帝の名前、起点からのマイル数、起点の土地名が彫られていました。
ローマが衰退すると、マイルストーンも顧みられなくなりました。
中国の一里塚
日本の一里塚の起源は中国にあります。古代中国では、道路交通が発展し、道路を管理する人の認識が発達するにつれて、一定の距離に土塚を置いて、固定的な距離標識とする方法が始められ、中国で距離標識のことが記されている一番古い記録は、「後漢書」の和帝元興元年(紀元105年)
日本の一里塚
日本では室町時代の末期、天文九年(1540)に、時の将軍足利義晴が諸国に仰せ付けて、40里を1町とし、里塚の上に松と榎を植えさせよ、「信長記」にあるのが一番早い記録です。大阪府高槻市に残っている一里塚が当時の名残りだといわれています。
「道のはなし T」武部健一 技報堂出版
ハイウェーの歴史
国家の統一において交通機関の整備は不可欠であったように、歴史上の世界帝国においても、安定した交通路の確保は、帝国体制を維持し、強化する為の必要条件であった。
紀元前7世紀アッシリア帝国で主要道路が整備された。
バビロニアから東地中海に至る大通商道路が整備された。ローマの道のように舗装されていなかったが、道路に沿って、一日の旅程(30‐40キロメートル)ごとに宿場が置かれ、乗り継ぎの馬やラバが用意され、属州と中央政府との間の命令や報告(粘土板)などが、駅から駅へ運ばれた。
それから2世紀後、ペルシャ帝国の時代には、西は小アジアから東インドまでの広大な領土がその支配下に入った。小アジアのサルディスからペルシャの首都のスサまでの全長2500キロメートルの幹線道路が作られた。
この道路には111の宿場が置かれ、一日に23キロを移動して、90日間で全区間が踏破できたと云う。替え馬による急便により、7日間で王の緊急連絡ができたと言われている。
ローマ時代を迎えて、1世紀頃今日の近代道路の原型とも言える、堅固な路盤の上に舗装された道路が、帝国の隅々まで伸びていった。ローマ時代の道路の幅員は平地で5‐10メートル、山地部では2‐2.5メートルもあり、ところによっては道路の両側に側溝が設けられていた。
日本の古代の七道駅路
日本で最初に計画的道路網が建設されたのは、古代の律令時代である。
始めは奈良の都から、後には平安京の都から、本州と九州・四国の諸国の国府に至る官道が作られた。東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道の七本である。これを「七道駅路」という。
近代高速道路はドイツに始まる
今世紀初頭、将来の自動車社会を予想して、世界最初に、本格的な自動車道路の研究と建設に取り組んだのはドイツである。1909年に「自動車交通及び試験道路株式会社」(Automobil
Verkehrs und Ubungsstrassen A.G.)が設立され、ベルリンで延長9.8キロメートルの試験道路の建設が始められた。この工事は一時中断されたが1921年それが完成された。この道路は世界で最初の車の進行方向により車線を分離させた構造形式となっており、今日の高速道路に採用されている断面形状に多大な貢献をしている。1933年から始められたアウトバーンの建設の背景には、このような試験と研究の積み重ねがあったのである。
第二次世界大戦後に、高速道路整備の気運は世界的に広まり、1956年にはアメリカ合衆国の州際道路の本格的な建設が始まり、我国でも昭和三十二年に名神高速道路の建設に着手された。
全国交通事故統合データによる追突事故の特徴
自動車同士の追突事故に見られる特徴を紹介します
(1)乗用車同士の事故発生頻度を追突側と被追突側の車種の組み合わせごとに、数字で表してあります。なお、バスが関与する追突事故については、件数が極めて少ないため、最初から除外してあります。その中で、常用車体乗用車の組み合わせが約66%と最も多く、その次は、乗用車と小型トラックの組み合わせで、約24%、大型トラックが関する事故は少なく、約6%となっております。
これは、とくに乗用車が追突されやすいとか追突しやすいとかということではなく、それぞれの車両保有台数の割合を反映していると考えられます。
(2)追突側は無傷、追突された側は軽傷がほとんど図3の小さな円グラフはその時の日追突側/追突側運転者の人身損傷程度を示します。
運転者の受ける損傷については、ほとんどの場合、追突側が無傷、日追突側が軽傷というよく知られたパターンですが、大型トラックに追突した場合には、追突側の運転者の傷害程度が重くなる傾向が顕著に見られます
これは追突相手が自分より極端に大きくて重いことなどによるものと考えられます。
「交通統計 平成15年版」交通事故総合分析センター
事故類型別交通死亡事故発生件数
平成13年中の事故類型別に交通死亡事故発生件数を見ると、車両相互事故が最も多く
(47.5%)、以下、人対車両(28.3%)、車単独事故(23.4%)、列車(0.7%)、となっている。
さらに、細分類で見ると、出会い頭衝突(16.5%)、工作物衝突(16.3%)、正面衝突(13.4%)、
その他横断中(横断歩道・横断歩道付近以外での横断中)(12.1%)の割合が高くなっている。
「交通安全白書」平成14年版より
地震と台風と交通事故
今度の新潟大地震では多くの車が崖崩れに巻き込まれたり、崖下に転落したり車同士がぶつかり合ったりしてしている姿がいたるところに見られた。
そして多くの人々が亡くなったり、怪我をしたりしている。このような姿を見て、交通事故に対する考えを新たにするものがあった。
このような事故にあったものは交通事故なのか、地震による災害で、道路交通法による交通事故には該当しないという事なのか。どのように処理すればよいのか。
このような災害について行政(警察)、保険会社、司法(裁判所)、診療機関(病院)における対応のあり方が問われる事になった。
今度の新潟地震のように、何度もの台風に襲われて、その後に地震が起きた。台風と地震との相乗効果が起こった。その結果考えもしなかった大きな被害が起こる事になった。
予想以上の大きな保険料が支払われることになって、保険会社が耐えられなくなるかもしれない。保険会社は今後の損害保険のあり方を考え直すかもしれない。
この世界一地震大国で、世界有数の台風銀座の日本では、絶えず何処かで地震や台風や水害に見舞われている。そしてその結果、複雑な交通事故が実際に起きているかもしれない。そして、その事件事故がうやむやに処理されているかもしれない。
今後は更に巨大な地震や台風に見舞われる可能性も否定できない。地震と台風と交通事故の問題が急浮上してきた。
(9年前の阪神淡路大震災の時にも同じような事が問題になったかもしれない。ただ、阪神震災の時には台風がなかった。そして、私にはその時には残念ながらこのような問題には気がつかなかった。)
「急がば回れ!」
「天災は忘れたころにやってくる」と言ったのは寺田寅彦である。
寺田寅彦は東京帝国大学教授で、専門は実験物理学である。正岡子規や夏目漱石と友人のように付き合いをしていた人で、吉村冬彦のペンネームを持つ有名な文学者でもある。一方で、さまざまの日常の出来事に疑問を抱き、誰もが不思議に思わないことに科学的な目を向けた。カミナリの稲妻はギザギザになって空中を飛ぶ。 なぜ真っ直ぐに飛ばないのか?と疑問を抱き、空気の「割れ目」などという発想を持った文章を書いている。
寺田寅彦は、混み合った電車を待つのに「急がば回れ」といって、混み合った電車と空いた電車の流れを吟味した。
都電を待っていて、望みどおりの電車がすぐにやってくることもあるが、大抵はなかなかやってこない。やっと来たと思ったら三台も四台も団子になってやって来て、一台目のは超満員で、すぐ後ろにやってくるのは空いている。どうして平均的にならしてやって来ないのか、まったくじれったい乗り物だった。
その「じれったさに」着目して「満員電車の混雑について」を書いている。
寺田寅彦の気持ちは「とにかく空いた電車にゆったりと乗り、しかも早く目的地へ着きたい」と言う事だったが、意外にも「それは難しい事ではない。私はいつもそうしている」とおっしゃる。それは一体どんな上手な電車の乗り方をなさっているのかと思いきや、その応えは「空いた電車が来るまで気長に待つだけだ」「待つのがとにかくベストだ」と言う。その理由は、
1 混んだ電車は行く先々でいっそう混み続けて、しかも遅れ続ける。
2 空いた電車はいつまでも空いたままで、しかも早まり続ける。
3 最初に来た電車と言うのは混んでいる確率は非常に高い。
つまり、空いた電車に乗りたいと思っても、すぐには来ない。よほど運が良くなければ「待つ」必要があり、一、二台やり過ごしてでも、空いた電車に乗ることさえ出来れば、先に行った混雑電車と殆ど同時に目的地に着く事が出来る。このようなことを数式や数表まで揚げて懸命に説明しているのである。
混みあった電車が来た後に空いた電車がやってくる。
「こういう空いた電車が数台続くと、それから五分あるいは十分ぐらいの間はしばらく車が途絶える。その間に停留所に立つ人の数はほぼ一定の統計的増加率をもって増してゆく。それが二三十人と集まった頃にやってくる最初の電車は、必ずすでに初めからある程度の満員である。それがそこで下車する数人を降ろして、しかして二三十人を新に収容しなければならないことになる」
此処で寺田寅彦は思うのである。
要するに、「急がば回れ」を学んだようになるのであるが、寺田寅彦はそれを学術論文を書くような態度で、数学的万全を期している。数式も出てくれば数表も出てくる。
時々最寄の停留所に立って、懐中時計を手にして、通過する電車の測定を試みている。街頭実験では「満員」と「空車」とが繰り返しやってくることを証明しただけではない。
電車間隔の統計をとったところが最大のミソである。一台の電車が去った後次の電車がくるまでの時間を記録した。
「寺田寅彦は忘れた頃にやてくる」 松本 哉 集英社新書