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総務庁石川行政監察事務所行政相談委員機関誌『兼六』第62号(1997.9)に載せたものです。

 

椿に想う

内灘町 藤島学陵

椿に魅せられて以来、どこを歩いていてもつい椿に眼がいってしまう。少しずつ小さな苗を集め出し、初期に入手したものは背丈以上にまで伸びた。

興味をもつまでは、椿にそんなに多くの種類があるなどとは夢にも思わなかった。「椿」という漢字は、中国から伝わったものではなく、国字である。春に咲くからという意味が込められているのだそうだが、実際の椿の花は、種類によって早咲きのもので九月から、遅咲きのもので六月まで咲くものがある。日本文化においても特に茶道においては、茶花としては欠かせない。

椿の世話をしていると、1本の樹いっぱいについた雷がみな開花するとは限らないことに気づいた。小さく幼い雷のまま枯れてしまって開花しないものもある。また開花直前までたどりついていながら蕾のまま落花するのもある。人の一生ともだぶって見えることがある。

古くは日本では、朝顔の花も貴族の趣味に属していたそうだ。それが庶民にも流行ってしまい、椿の花栽培の趣味も庶民階級に奪われるのを恐れた責族階級は、「椿は突然、首がぽとりと落ちるように散るから、縁起が悪い」とか「椿は寺院などの庭に植えるもので、普通の家の庭に植えるものではない」と言いだして、その迷信が定着したのだそうだ。

花の名前も、それぞれの品種によって名づげられている。「こおろぎ橋」「桃太郎」「太郎冠者」「炉開き」「野々市」「西王母」など。この「西王母」は、全沢で江戸時代に人間の手で開発されたもので、早咲きでしかも長期間開花が見られる。しかも一重で淡い桃色で品格も高く、全国的にも評価が高い。

野々市では町が力を入れ、各家庭に「野々市」椿を植えて町おこしに利用している。が山中温泉の「こおろぎ橋」は、その原木すらも消滅してしまっている。地元の町民も椿に詳しい人もその存在を知らない。

 

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