乃木希典家庭教訓
昭和45年11月14日書取
羽咋市内旭町52
北島才一郎 当年八十七才
明治17年11月9日生
い
幼
(イトキ)なき小供に判(ワカ)るいろは歌読んで覚えて正義行
(オコナ)へろ
碌々
(ロクロク)に知らぬ事をば談(ハナ)すなよ深く問はれて恥
(ハズ)をかくなりは
箸持
(ト)らば主人と親の恩を知れ吾
(ワ)が一力で飲喰と思ふなに
日本の教は仁義礼智信
忠孝の道を忘れ給ふな
ほ
方針の定めなき身は頼りなし
只一念
(ヒトスジ)に家業励めよへ
平常
(ヘイゼイ)に手習嫌ひな子供衆は試験の時に恥
(ハズ)をかくなりと
取遣
(トリヤリ)と世間の義理を欠(カカ)すなよ勤
(ツト)めて家は倹約にせよち
智慧
(チイ)のある人程ものに自慢せず能ある鷹は爪を隠すぞ
り
悧巧
(リコ)じゃと褒(ホメ)るは親の愚痴心ぬ
縫ひ針は女の業
(ワザ)の司(ツカサ)なり覚
(オボ)えて暮せ一生の得る
流浪
(ルロウ)する人の身元を尋ぬれば栄曜
(エヨ)驕奢(オゴリ)の報ひなりけりを
お上より時々に振れ出す御規則を
守り給へよ四方
(ヨモ)の人々わ
我侭
(ワガママ)は世間の人に憎まれて損はあれども得はないぞよ
か
勘忍は吾が身の為と思ふべし
人に勘忍すると思ふな
よ
養生は身の働きが第一よ
流るる水の腐敗
(クサ)らぬを見よた
大切な親の御恩を忘るるな
無理があるとも言葉返すな
れ
霊薬
(レイヤク)は口に苦(ニガ)くも身の薬(クスリ)甘
(アマ)き言葉(クチ)には油断(ユダン)ならぬぞ
そ
算盤
(ソロバン)と読み書く事に精出せよ奉公するとも頭
(カミ)に立ちべしつ
常
(ツネ)に火を燈(トモ)して金(カネ)を延(ノ)ばすとも慈悲心なくば最後
(アト)は暗黒(クラヤミ)ね
寝
(ネ)る時も其侭足を延ばすなよ先祖と親に礼をしてから
な
成るべくは無駄なる事に出歩
(デアル)くなよ雪駄
(セタ)の金(カネ)より減(ヘ)る家(ウチ)の金(カネ)ら
楽
(ラク)さふに絹(キヌ)着(キ)る人は楽(ラク)ならず木綿物着る気こそ楽なり
む
睦
(ムツマ)じく家(ウチ)を暮(クラ)すは勘忍の袋
(フクロ)へ事を収(オサ)め置(オ)くからう
狼狽
(ウロタイ)て欲(ヨク)に惚(ボ)けたら家倉も人の財布の中に入
(ハイ)るぞゐ
何時
(イツ)とても変(カワ)らぬ朝の早起きは大金持の神が宿
(ヤド)るぞの
飲
(ノミ)喰ひに驕奢(オゴ)れば遂に身の毒となりて病気
(ヤマイ)に増(マサ)る貧(ビン)病お
恩受けし人を忘れて仇
(アダ)するな大事にかけて恩を返せよ
く
苦
(ク)は楽の種子だと働けば天の恵
(ミグ)みで楽は来るなりや
安々と暮
(クラ)すは吾が身の徳ならず先祖と親のお蔭
(カゲ)と喜(ヨロコ)べま
継父母
(ママオヤ)に育(ソダ)てられたら尚更に産
(ウミ)の親より大切にせよけ
家来
(ケライ)とて邪険(ジャケン)にすれば御主人の恩を忘れて仇をするなり
ふ
不孝なる者は必らず天罰で
身の行末に良
(ヨ)き事はなしこ
此の節は議論に強く理に敗
(マケ)ず文字明
(アカ)るき人ぞ賢(カシコ)き江
益もなく使ふ金
(カネ)をば義理にせよまさかの時の用も便じる
て
出来るなら人の無心は聞てやれ
吾れは云はずと窘
(タシナ)むがよしあ
朝寝して居れば入来る病神
貧乏
(ビンボ)神が後をしてさ
幸を招く基は朝晩に
先祖に向ひて手をば合せよ
き
金銭は使ひ失
(ナク)せば人のもの手にある職は大事なりけり
ゆ
遊芸は扨て二の次よ算盤と
読み書く事を第一にせよ
め
召使ふ年期者をば撫恤
(イタワレ)よ吾が子の可愛を思ひ比較
(クラベ)てみ
身持よくする其身の徳なるぞ
人も褒
(ホ)むれば親も喜こぶし
親切に人の世話をば仕て置けよ
廻
(メグ)り廻(メグ)りてよき事ぞ来るゑ
遠国の親戚とても間に合ず
近くの他人は大事なりけり
ひ
百姓は種子を絶やすな公事するな
鍬
(クハ)を放(ハナ)すな朝起をせよも
物事は勘忍の二字を胸にあて
短気慎
(ツツ)しめ喧嘩口論せ
聖人の教へと云も外ならず
質素倹約忠と孝行
す
末々の事を思へば大切に
家業大事と勤め励めよ
京
けふよりも明日を大事と
両親
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