1997年9月
『金沢東別院テレホン法話』
いのちのともしび(その1)
昔、
お釈迦(しゃか)さまが
舎衛国(しゃえいこく)の
祇園精舎ぎおんしょうじゃ)に
おられました時、
一切衆生すべての人々のためにと、
お弟子の中の長老である
舎利弗(しゃりほつ)さまを
およびになられまして、
仏説阿弥陀経を
お説きになられました。
即ち、
舎利弗よ、
ここを去ること
十万億の世界を過ぎてゆくと、
み佛のくにがあります。
阿弥陀如来という仏が、
はるかな昔、
永劫の過去の世より、
量る事のできない光明を放ちて、
十方のあらゆる世界を照らし、
今、現に、
ましまして、
常にみ教えを説いておられます。
舎利弗よ、
み仏の国には、
楽しみのみがあって
苦しみが無く、
はてし無く清らかであり、
あらゆる汚れを離れています。
それ故に
これを極楽と名づけ、
それ故に
これを浄土と呼ぶのです。
実に舎利弗よ、
彼のみ佛の世界には、
一切の悪が無く、
また憂いがありません。
見るものは全て光り輝きて、
うるわしきこと限り無く、
聞こゆるものは悉く、
微妙和雅なる音声を放ちて、
佛を念じ、
法を念じ、
僧を念ずる心を
起こさせ、
芳しき香が一切をつつんで、
清浄な気配が、
いよいよ増すのです。
また舎利弗よ、
すべての人々が、
苦しみと
悩みと
けがれ多き世に在るとはいっても、
み佛の徳を想うこと
一心不乱に、
み佛の名号を称うことが
ひたすらであるなれば、
生命終わるときに臨んで、
その者の心は、
まようことはありません。
即ち
み仏の国に往きて生れて、
多くのすぐれたる人々と
共にある喜びを得ることになります、
と。
だからこそ、
今のこの娑婆世界は、
まことの生命が、
影が薄くなりゆく世ではあるけれども、
現代に生きるわたくしたちは、
心静かに、
み佛の教えに
耳を傾けて、
心の眼を開き、
佛を念ずる心をもって、
みなが共に、
み佛の国に生まれて、
限り無き幸せを得んことを
願おうではありませんか。
(内灘町・真宗大谷派蓮徳寺住職、藤島学陵)
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