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2000年5月

 

『金沢東別院テレホン法話』

いのちのともしび(その3)

現代では人の命の重みというか

尊さが

どんどん急加速度的に

忘れ去られていっております。

わたしたちの思いもよらぬ

とんでもない出来事が驚かせます。

お釈迦様のお言葉に耳を傾けること。

手を合わせること。

感謝すること。

有り難うという心。

そういうことから現代人は

どんどん離れてゆく

傾向にあります。

しかしながら、

人間として生れているということは、

とてつもなく

希なことであるのです。

すなわち

あることがめったにないこと。

あることが難しいこと。

つまり有り難いことなのです。

昔々、

お釈迦様は

手を合わせにくいと訴えたある男の方に、

森で108つの木の実をひらって、

それを糸でつないで手に持ち、

一つづつ繰りながら、

自分の迷いの心、

煩悩を

見つめることを

お勧めになられました。

一般的に用いられているのは

略数珠といって、

その108つの数を

2で割ったり3で割ったりして

数を決めてありますが、

その中の大きな玉は

仏の教えをあらわします。

情けない自分たちの心を、

丸く一つに

治めることをあらわします。

醜い心をもったまま、

喜びの世界へとゆくのです。

今のこの娑婆世界は、

まことの生命が、

影が薄くなりゆく

世の中ではありますけれども、

現代に生きるわたくしたちは、

心静かに、

み佛の教えに耳を傾けて、

心の眼を開き、

佛を念ずる心を

もたねばなりません。

人間として

なかなか得難い命を

生きているということを

喜びあって、

みなが共に、

み佛の国に生まれて、

限り無い幸せを

得たいものだと

願おうではありませんか。

 

(内灘町・真宗大谷派蓮徳寺住職、藤島学陵)

 

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