加賀・能登あいさの方言辞典

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ま え が き

 

 「ものごとを分かる」とは「ものごとを線を引いて、分解して判断する」ということにつながる。例えば生き物を動物と植物に分けるというふうに。しかしながら実際上は、動物にも分類しかねるし、植物にも分類しかねるものが存在する。ホヤが一例である。また南方熊楠の見出した粘菌類にもある。

 それと同じように、日本という国を例えば地方別に分けるとする。これは政治的には可能であろうが、精神文化の面でも可能であろうか。Aという家とBという家が隣合っていて、A家から以北は能登地方だがB家以南は加賀であるというのは果たして文化上可能だろうか。そのような境界は漠然とした太い線で引かれるのであって、決してA家B家を分断するような細い線ではないはずだ。したがって内灘という町も、その曖昧な太い線の上に存在していると解したい。

 内灘の近辺には、「加賀の縁」の意の「加賀の詰まり」をあらわす地名、金沢市蚊ヶ爪町や津幡町加賀爪があるが、その意からすれば内灘という場所は加賀の外に位置することになろう。しかし文化の上では金沢市粟ヶ崎町と同様、加賀文化の影響を受け、また加賀文化に対し大きな影響を与えている。兼六園のシンボル、また金沢市、否、石川県のシンボルともなっている「ことじ灯篭」の寄進者は粟ヶ崎の木谷家か、向粟崎の島崎屋かと言われていることからも理解できるであろう。

 しかしながら、文化ということを念頭におくならば、内灘は加賀文化のはずれにあり、能登文化の入口にあることは誰しも否定できぬであろう。その非常に興味深い両文化の接点に存在する内灘の文化を反映する内灘の方言が、近年どんどん凄じい勢いで消え去って行っている。残念至極である。それ故に、少しでも我々の記憶に残っているものを、年長者の知恵や記憶もお借りしながら、記録として後世に残したいと思うものである。

 急速に方言が消えて行くことの原因として考えられるのに、学校教育・テレビ・ラジオなどのマスコミの影響、他所からの嫁取り、他県からの転入などがあろう。また都市化が進むということは、その土地で生まれた人達だけで地域社会を構成できないということにもなる。家庭内でも祖父母も両親もそろって地元の生まれであるということが極めて少なくなっている。現役の当地の方言のネーティブ・スピーカー自身が、その方言の消滅してしまう前に、自らの生活語を自らの手でまとめて記録しておくこと。そのことが、その文化を育んだ言語を後の世に伝えるのに、最も正確で最も良い手段であるように思われる。

 語彙・写真・資料の収録にあたっては大勢の方の御協力を得ました。その方々のお名前は別に記してあります。ここに深くお礼を申し上げる次第です。また本書に収録されたことばの中には、差別的言葉ないしは差別的表現ととられかねない箇所があります。しかし本書の意図は、決して差別を助長するものではないこと、ありのままの言語の歴史を残すことの学術上の意義に鑑み、一部の表現の削除や変更はあえて行なわないで、そのままといたしました。各位の御賢察をお願い申し上げます。

 また参考資料として利用させていただいた著書・論文などを主なものは別記しておきました。初めて方言辞典を作成するに当たり、金田一春彦氏、平山輝男氏、和田実氏などの著書・論文をおおいに参考にさせていただきました。この『加賀・能登あいさの生活語辞典』の雛形となったのは井之口有一氏、堀井令以知氏の共編著の『京ことば辞典』です。先人の業績とご苦労に感謝申し上げる次第です。最後に、金沢大学教授、加藤和夫先生には、御多忙にも関わらず何度も、しかも詳細にわたり訂正・助言・御指導をいただきました。衷心より感謝申し上げます。

 

平成9年4月                        藤島学陵

 

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