8)29〜34行目
[正信偈本文]
攝取心光常照護
已能雖破無明闇
貪愛瞋憎之雲霧
常覆眞實信心天
譬如日光覆雲霧
雲霧之下明無闇
[読み方]
せっしゅしんこうじょうしょうご
いのすいはむみょうあん
とんないしんぞうしうんむ
じょうふしんじつしんじんてん
ひにょにっこうふうんむ
うんむしげみょうむあん
[書き下し文]
摂取の心光、常に照護したもう。
すでによく無明の闇を破すといえども、
貪愛・瞋憎の雲霧、
常に真実信心の天に覆えり。
たとえば、日光の雲霧に覆わるれども、
雲霧の下、明らかにして闇きことなきがごとし。
[本願寺派冷泉勝英氏の意訳]
すくいのひかり あきらけく
うたがいの闇 晴れ去るも
まどいの雲は 消えやらで
つねにまことの そら覆う
よし 日の雲に隠るとも
下に闇なきごとくなり
[メモ]
如来は救いとる光明を放って、常に信心の人を照らし守りたもうておられる。
およそ信心を得たとき、これまで仏智を疑ってきた無知の闇は断たれるが、
悲しいかな貪りと瞋(いか)りの雲霧によって、
真実信心の空は覆いかくされている。だがあたかも太陽が雲霧に
覆い隠されても、その雲霧の下は明るく闇がないように、
信心の人はみずからの煩悩に覆われているけれども、
仏智に対する疑いの心は、すっかり晴らされているのである。
光→1)色光(しきこう)。太陽・月・電球などの光。2)心光(しんこう)。信心を得た人を守り育てる阿弥陀仏の智慧の働き。救いの光。
無明の闇→真理・真実を知らないこと。知的煩悩。
貪愛瞋憎→貪欲(むさぼり)と瞋恚(いかり)。情的煩悩。
常照護→親鸞聖人『和讃』金剛堅固ノ信心ノ/サダマルトキヲマチエテゾ/弥陀ノ心光摂護シテ/ナガク生死ヲヘダテケル。
[参考]
貪欲(とんよく)→むさぼり。名聞利養をむさぼり、愛欲に渇き執する心。
三毒の煩悩→貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)。