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蓮如上人の御文

第五帖目

第1通目

【現代語】お釈迦様が亡くなられてから千五百年以上たち、その教えだけが残り、戒律を守る人さえいなくなり、その教えがよくわからなくなってしまったこの時代に生き、蒙昧な生活に埋もれて、智慧の灯火の明るさをもたないで煩悩にあやつられて、なまぐさな生活をおくっている男の人も女の人も、ただ一筋に疑いなく、阿弥陀仏の本願のお力を頼りとして、見せかけの幸せに心迷わされることなく、ただひたすら阿弥陀仏が助けてくださるという法におまかせする人間を、たとえいかにその罪が深く重くても、またどんな悲惨な境遇を嘆く身であっても、必ず阿弥陀如来はその本願力によって間違いなくお救いくださいます。これが阿弥陀如来がおたてになられた四十八のお誓いのうちの第十八番目のもので、念仏をするものを必ず救わないではおかないというお誓いの心なのです。このように心がしっかりと決まったうえは、休んでいても働いていても、どんな生活の仕方をしていても、命ある限り一生の間、常にお念仏を申して仏恩報謝の生活をすべきであります。ああ、めったに遇えない御縁に遇わせていただき尊いことであります。

 

【原文】

末代無智の、在家止住の男女たらんともがらは、こころをひとつにして、阿弥陀仏をふかくたのみまいらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に、仏たすけたまえともうさん衆生をば、たとい罪業は深重なりとも、かならず弥陀如来はすくいましますべし。これすなわち第十八の念仏往生の誓願のこころなり。かくのごとく決定してのうえには、ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念仏すべきものなり。あなかしこ、あなかしこ。

 

 

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