...HITORIGOTO archi ver...2000...
#316 →2001→
 2000年最後の日、午後近く一段落したので、部屋の窓の近くに座って、前々から読もうと思っていた20世紀のモダン住宅を集めた本を開いた。写真からあふれてくる光や空気を感じながら、一つひとつの作品の雰囲気を堪能していた。途中、窓の外では雨が降り出した。日もやや暮れかけてきた頃、静かに本を閉じ、目を閉じた。ル・コルビュジエ「小さな家-母の家」、ミース・ファン・デル・ローエ「ファンズワース邸」、アルヴァ・アアルト「コエタロ(実験住宅)」、ルイス・カーン「フィッシャー邸」……数々の作品が語りかけてくれるようだった。1900〜1975年に完成したこれらの住宅は、1870〜1910年に生まれた作家によって作られている。それから100年の年月が流れようとしている。…とすれば、これからの時代は私たちの世代がつくっていくんだなぁと急に実感が込み上げてきた。それで、自分の源流となるモノはどれに近いのか…と。どれも素敵だが、何かが違う。窓の外はいつの間にか暗闇となっていた。そういえば、私のココロの源流はなんといっても日本…それもココ北陸。ふと目の前の本箱に突っ込んであった北陸の住まいという小冊子を手にとった。柱や梁から暮らしへの力強さを感じさせる加賀・能登それぞれの民家、それに今や世界遺産にもなった五箇山や白川郷の合掌造…などが飛び込んできた。いくつかの土地・民家は訪れたことのあるが、今一度、訪れてその空間を味わってみたいと思った。不思議な気持ちである。こんなに近くに大切なモノがあるのに、これまで気付いてなかったような…。ホントはもっともっと大切なものは私のココロの中にあって、私自身まだ気付いていないことがいっぱいあるに違いない。20世紀のおしまいは、21世紀のはじまりへとスライドしている。すなわち、バージョンアップしていける自分を見つけていける時代になるってことかな。うん!そう定義しておこう!!

#313 …理由…
旅した理由。ヒトを好きになる理由。仕事を辞めた理由。
建築ハジメタ理由。。。
なぜなぜって考えるとキリがない。
だけどそういうのに理由なんてホントはない。
…少なくとも私は…
そんなものこそ、最終的に信じられるものだって
近頃はそう思う。こんなものを信じられるようになって
はじめて人は強く優しく弱くなるじゃないかな。
(2000.12.28)

#294 雰囲気のキメテ 
 雰囲気がいいと、自然と足が向く。あるいは行くのが楽しみになる。それは、工事現場とて同じこと。商業施設とかそういうとこなら、空間のもつ演出力に助けられることもあるが、ここはまた発展途上の空間。そんな中で雰囲気のキメテは「ユーモア」なんじゃないかと思う。窮地に陥っても悲観的にならず、知恵を出し合う。これまで自分の現場だけみて半年近く過ごしてきたのだが、先日上司の現場へ随行する機会を与えられ、そんなことに気付いた。あんなにおっきな建築物さえ、そこで働くひとりひとりの人柄でつくられているんじゃないかなと感じてしまうほど。私としては、これまではほんま新人でがちがちしたことしかできなかったけど、もっと意識を高くもって仕事に臨めないかなぁと希望の光が…。ユーモアは余裕から生まれてくるとすれば、その余裕を持つには多大なる努力や経験や失敗もあるだろう。それでも、私自身、ユーモアを持ちつつ、成長していけたらいいなぁと思った次第。(2000.12.4)

#286 そもそもゼロの茶会…
 さる11/19に開かれたゼロの茶会…そもそもなぜ建築廃材なのか?例えば家を新築する場合、モトモトあった建物を壊してつくるケースが大半。その「壊す」という行為について、効率を優先するなら、建築機械でガバっとメタメタに壊してトラックに積んで捨てるというのが、一番速くてしかも安い勘定になるんです。しかし、まだ使えるはずの柱や梁などの木材などなどを、そういった理由で捨ててよいか???「スクラップド&ビルド」…それは、大量消費の時代に培われた価値観なのです。でも、今一度その価値観とそこから生まれた行為を考え直してみるときがきたのではないでしょうか?本来ゴミになってしまったかもしれない廃材たち。本当に捨てる価値があるでしょうか?まだ生かしてやることはできませんか?私たちは、この材にはもう一度生かされる価値があると思っています。そして、本当に蘇らせて空間をつくる力があるということで、御茶室をつくってみたい…と。そういった空間で人と人とが出会い、1つ茶を飲み、心と心がふれあうきっかけになれば、こんな素敵なことはないでしょうね。「ゼロの茶会」は、まずその廃材を知って見て触れてもらうために開かれました。廃材はまだ「0(ゼロ)」すなわち解体された現場から持ってきたままの状態で倉庫に保管されているのです。はじめの「とっかかり」としての御茶会…それが「ゼロの茶会」だったのでした。(2000.11.21)

#285 ゼロの茶会
 話の発端は建築廃材でお茶室を作りたいというカヨコさんの話を聞いたことからだ。そういった「おもしろをかしい」ことは大好きなので、倉庫に置いてあったそれらの廃材を「一度見せてもらえないですか?」と申し出たのだった。そして、倉庫で御見合いした私は、「ココでいっぺん御茶会を開いてみましょうよ!」と提案してみた。なんにもないところで、いろんな人が集まり、建築廃材の現状を知り、意見を聞いたり、御知恵を拝借してみたら、素敵だな〜と思ったのである。名付けて「ゼロの茶会」。まさかホントに実現するとは!!実はそれが本日めでたく開かれたのでした。ゼロという名にふさわしく、倉庫のモルタル(コンクリート状)の床に直に古畳を敷き、木の端材で床(とこ)をつくって会場を設営。周りにケナフ(パルプの代わりとして注目されている…)の鉢植えを置いてみたり、炉がキャンプ用のコンロだったり、御茶碗は自ら焼いたものを持ち寄ったり…なんにもないというのがウリのわりにはなかなか味のある趣でした。。。また機会があれば写真なんぞをお見せしましょうぞ!さてと本題の御茶室、来年の夏に真夜中の御茶会を開くという目標を掲げておりますが、はてさてどうなることやら…!(2000.11.19)

#282 アヤシイひと。
 最近の私はどうにもこうにもネジが抜け落ちている。忙しいなんていう言い訳は大嫌いだから、別の理由を考えるけれど、それ以外のことは首をかしげたくなるくらい、なんにもなくって…(笑)やっぱり視界が狭いのかなぁなんて思ってしまう。さてと、いよいよ完成を迎えたとある工事現場。明日最終検査ということで、フト…。人に検査してもらうっていうのに、自分自身きちんと図面とすり合わせて現場をチェックしていない部分があることに気付いた。夕方5時を回ってのことだった。あまりのテイタラクさに情けないというか、何とかせねば…とばかりに、帰り道、懐中電灯を持って現場へ向かった。気になっていた数量をチェックしたりして、現場を何度もぐるぐる回っていると、遠くで犬が吠えているのが聞こえる。やっぱり怪しい気配だよなぁ…反省の意味も込めて念入りに照らし合わせた。結果オーライだったけど、こんなに大切なプロセスが脳味噌の思考回路からスコーンと抜け落ちてしまっていたとはァァァァ。初心忘るるべからず…である。(2000.11.16)

#276 蜜の味?!
今年を振り返るには早いですけど、
うちのシゴトバの3大事件@2000!
3位…消えるオカモト…
自分の現場の集水桝(深さ50センチ前後(雨泥水入り!))に落っこちる…上司に現場説明中スッポリと!
2位…元祖はコッチ!落っこちる某さん…
某公衆トイレの現場見学で、地下点検口にスッポリと落っこちる。コエダメじゃなくってよかった…
1位…ロッカーでクサヤが腐ってくさや〜…
(うわ☆さむ〜)絶対鼠の死体がどこかに隠されてると皆散々騒いでいたのに、当の本人が気付かず(笑)そして、幸か不幸か、私のロッカーはそのオトナリだったのでした。
ほんとに牧歌的なモンです。ちなみに個人的ランキングなのであしがらず!まだスクープはこれからかもしれません。ちなみにウチの係長は私にもっと恥をかかなきゃいかんとおっしゃいます。…ふむ。もっと派手にやっていいのかぁ?!末恐ろしいことになるぞぉお。そして、楽しい思い出を胸に今日もどんなことにもめげずオシゴトしているのです!人の不幸は蜜の味???(2000.11.9)

#251 生活のディティール
 生活のディティールがしっかりしている人を見ると、こちらまでしゃきっとする。それはきちんアイロンをかけたシャツを身にまとっているとか、手入れの行き届いた革靴を履いているとか、あるいはいつも手の込んだお弁当を持ってきてたりするとか、はっきりした声で挨拶するとか…。そういうとこは特に目につく訳でもないけど、結果として全体的に清々しい印象を与えてる。一つひとつにおかしなところがなくて、その人そのものとして調和している。私にとって素敵な人っていうのは、大抵そういう方なんですよね。
*ディティール…おさまり。業界(建築)用語か…。(2000.9.26)

#228 V.S.O.P.
 人生にもV.S.O.P.があるという。お酒の好きな方ならピンときたかもしれませんけど、V.S.O.P.というのはブランデーのアレです。その人生のV.S.O.P.とは…
Variation…いろんなことを体験し、考える。

Speciality…専門・得意な分野を見つけ、掘り下げる。

Originality…独自の視点を研鑽する。

Personality…これらがその人そのものとなる。
さしずめ私はV〜Sへの移行期間ってとこかな。

#211 プロローグ/ナツノタビ2000
 ただいま〜!ご無沙汰してました。コモ・エスタ・ウステ?
●-----●-----●-----●-----●
今回の旅はひょんなことから始まりました。なのに、とってもとっても有意義で、『今』をかみしめるような旅でした。行き先は南米チリ。チリって何があるの?何しに行くの?この旅に一般解は始めからありませんでした。今回行かなかったら、この先ずっと行くことはなかったかもしれない。実はそんな旅だったんです。そもそものきっかけは、昨年の秋、私の書いた一通のメールから始まりました。「こんばんは。そして、はじめまして。「建築,青年海外協力隊」をキーワードにHPを探していたところ、松岡さんのHPにたどり着きました…」と。(*松岡さんのHPというのはLINKxLINKでも紹介しているkmdesignです)海外を旅していて、いつの間にか建築にたどりついた私。いつの日か、人の役に立てる建築のお仕事を、できれば、海外(私が足繁く出かけたような、いわゆる第三世界と言われる地域)でやってみたいと思ってました。それは、いろんな国を訪れるにつれて、ある国にただ訪れるのではなくて、私にできるささやかなこと(=マン・パワー)があるのではないかと感じていたことと、何もできない…していない自分との間のジレンマを埋めたいという思いからでした。「青年海外協力隊」は、そんな私にとって魅力あるプログラムで、いろいろ情報を探し求めていたのです。実際にチリで建築(都市計画)の隊員として活躍なさっている松岡さんと巡り会えたことは、私にとって天にも昇る思いでした。インターネット様サマです(笑)それから、松岡さんとは建築をはじめとして多岐にわたる意見交換を重ねてきました。秋、冬、春、夏(チリで言えば春夏秋冬)と季節がほぼ一巡し、松岡さんが今年の12月初旬に帰国すると分かった時、その前に一度彼の地へ行って、いろいろとお話を伺ったり、自分なりに考えてみたいなと思ったのが、動機といえば動機に当たります。幸い、松岡さんも快く案内役を引き受けて下さいました。(ホントに感謝してもし尽くせぬ思いでいっぱいです)仕事場の方もはじめはびっくりしてたけど、快く送り出してくれました…(実際現場を抱えていると、ホントはそうもいかないのだけれど、無理言いました。。。すみません。ありがとうございました)さてと、行くという気持ちは固まったのだけれど、仕事上、最小限の負担となるよう、7月に入ってすぐ月間工程表とにらめっこして、7月の最終週ならなんとかなるかも…と思ったのが、最終的には「旅」につながりました。
●-----●-----●-----●-----●
松岡さんの眼を通してみた今回の出来事は"kmdesign"のDAIRY…2000/7/23→28に記されています。(2000.8.1)

#201 サスティナブル
 台風が接近してくるという夕暮れに「『サスティナブル』って何?」って聞かれた。そう言えば、ここんとこ話題の単語ではあるのだけれど、正面きって聞かれると「う〜ん」と……明確な答えは用意できそうもない。辞書的意味合いなら「永続的」とか「持続可能」。でも、この単語だけで使われるよりも、「サスティナブル・ハウジング」とか「サスティナブル・コミュニティ」とか、この後に付く言葉によって、いろんな方向に膨らんでいく言葉なのである。「…ハウジング」なら、「環境にやさしい、リサイクル…」といったキーワードを含んでいるボキャブラリーになるし、「…コミュニティ」として使うと、「人とのつながりを大切にしたまちづくり」などなど…。気になる言葉ではあるけれど、まだ使いこなせてないっていうのかな。。。感覚で掴んでいても、身にはついてない!…普段何気なく使ったりしている言葉の中にも曖昧模糊としたものって割とありませんか?ま、これに限らず言葉ですべてを表現するのってキビシイなぁって思う今日この頃…(2000.7.9)

#197 やわらか。
 柔らかい素材が好きだ。和紙、自然の力で染められた天然素材の布。そして、陶器なんかも表面的には固いけど、私にとっては柔らかい素材のひとつ。土壁や木もそうだなぁ。柔らかい素材に包まれてたら、人間そのものも柔らかくしなやかになるんだろうなぁ。(2000.7.5)

#196 男と女…
 いわゆる男社会の中で紅一点っていうことも珍しくない環境にいるけど、本人は気にしない人種なのである。(気にしている関係者のみなさん、すみませ〜ん!)敢えて言うなら、男女っていうよりも、それは個性の一つとしてとらえているってところがある。例えば、一緒に何かをするとき(恋愛抜きって前提ね!)には、染色体の組み合わせより、もっと重要視することってあるよね。何ができるかということとか、どんなことをしてきたかということ、どんなことをしていきたいかっていうこととか…。そして、よく世間で囁かれるのが「女性の感性を生かして…」っていう台詞。実はこれにも私は疑問視ししてしまうクチである。(なんてかわいくないんだろう!!)だって、そういう台詞が出てくるのって、住宅がどうのとか、バリアフリーがどうのっていう場合が多いんだもん。家事や介護は女性がするって前提があるみたいで…。こういう時、正確には「生活者としての感性を生かして…」じゃないかなぁ?今や、家事や介護を真剣にしているのは女性のみならずって時代。一人の人間が…生活者…としての視点を持ち、暮らしをまっとうしていくのに、男も女もない!なんだかとっても辛口なHITORIGOTOでした。(2000.7.4)

#194 助けて下さい!
 私の住むまちで32.5度の真夏日を記録した日、悪しくも現在進行中の現場2つをはしごする日だった。午前中に片方の現場での打ち合わせを済ませて、昼下がりにもう片方の現場へ向かった。いざ到着して「暑いな〜」と荷物を掴んで車を出ると、小学校低学年と思われる男の子が車の前に仁王立ちするかのように立ち塞がり、ありったけの声を出して言った。「助けて下さい!子猫が溝に落ちちゃったんです」目がキラキラして、もう泣きそうである。溺れる者は藁をも掴むとやらで、たまたまやってきた私に助けを求めた様子。見れば、路肩にある木の繁みの下にもう一人男の子がいて、心配そうに覗いていると思ったら…「あ、のぼってきたよ!ほら…!!」と例の子猫をつかまえて出てきた。さっきの男の子の顔もみるみる晴れてきて「よかったね〜」って。。。ふと見回すと、二人とも下校途中と見えてランドセルは道路の隅っこに放置。そういえば、こんな時代あったなぁって思いながら、現場事務所に入っていった私でした。危ないことしてダメじゃないっていうこともできたけど、「助けてあげたい」っていうまっすぐで純真な気持ちを持ったあの男の子たちには言えませんでした。いつまでもこんな気持ちを持ち続けてほしいなぁ。。。(2000.7.2)

#186 ある日の荷物
 ココントコ仕事に出かける時は鞄を2つぶらさげている。耐水性バッチリのナイロンの小型手提げと「これから何処行くの?」って聞かれそうなボストン系…。小型手提げには財布とかハンカチとか手帳とか携帯必需品ってものを固めてる。これは基本的にはどこに行くにも一緒で、仕事場から現場へ行くときは、これ+図面とか資料とか建築小道具(スチールメジャーとか三角スケールとかそういうの…)の入ったズタ袋で「行ってきま〜す」なのである。そして、もう一つのボストン系…一体何持ち歩いているの?って…とある日の帰宅時の例。●作業着〜洗濯するタメ●「住宅建築」6月号〜特集・木に囲まれて暮らす●日本の伝統色〜色の小辞典とも…●NHK人間講座ビデオ・安藤忠雄〜またしてもTさんから拝借!自分で録画しろって…!●英会話CD〜とっさのひとことってヤツです●お弁当箱●某図面コピー…建具周り…●文庫本2冊・マザー・テレサ「あふれる愛」+けらえいこ「セキララ結婚生活」(後者はこれまた別のTさんが「コレ読んだら(結婚生活)失望するよ〜」と太鼓判?押して貸して頂いた代物…二人とも独身なのにこんなことで失望してどうするんだろう…)それにしてもますます二の腕が逞しくなってきたのは、コノセイ?ミンナどんなモノ持ち歩いてるのかなぁ?今日どんなもの持ち歩いてた?今度メール送る機会あったら(なくても!)教えて?!?第1回持ち物検査…調査か?!オオマジやねんけどなぁ(笑)(2000.6.22)

#163 ミニマム
 最小限のモノで、最大限の美とか心地よさを生み出せたらどんなに素敵なことだろうって思う。いわゆるミニマム。私がモノをつくるときに心掛けていること。ただし、ミニマムはそっけないのとは違うんです。意味があってそぎ落とされた「空」を大切にしているんですよね。(2000.5.26)

#161 徒然草
 先日、掃除をしてたら、妹の高校時代の副読本として『徒然草』を発掘した。そういえば、高校時代とかは、すばらしい文学作品に触れる機会はあっても、その真髄を楽しむなんてことはなかったような気がする。私が未熟だったせいもあろうが…。教材としてあれば、それはあくまで教材だったのだ。しかし今回、ひとつの読み物として読み返してみた。その第十段では、住居によって、そこに住む人の人柄は推測されるとし、現代風でもなく、華美でもないけれども、趣のある様子で、心穏やかに感じられていやみのないのは、実に奥ゆかしく見えるとありました。抽象的だけど、そう感じられる空間っていいですよね。住まいについては、「家の造りやうは夏をむねとすべし」が有名だけど…。私にとって「はっ」とさせられたのはこちらのほうです。(2000.5.23)

#154 1本のビデオテープ
 同じ係のTさんがスっとビデオテープを差し出した。4月から「NHK人間講座」でやっている建築家・安藤忠雄氏の第1回から第4回分の放送である。>>NHK教育(木)PM11:00〜。見よう見ようと思いながら帰りが遅くて見逃していたものである。(私ってば一体どういう生活してるんだろう(笑))『!』…「貸していただいていいんですか☆」頼りないというよりはネジが一本抜けてる後輩を育てるという気持ちからだろう。(普通だったら気をきかせてこっちが録画しておくもんである。気がつかなくってスミマセン。。。)ココロから嬉しく思う…こう言っては何だが、私はセンパイというか上司に恵まれている(と思う)。ホントに面倒見がよかったり、人間がデキている人ばかりなのだ。果たして私は後輩たちに何かしてあげてるだろうか…。誰かにしてもらったことは誰かにしてあげるっていう「社会的原則?」が実行できていないような…。後輩および関係者の皆さん、これからデス!!ご期待下さいませっ。(2000.5.14)

#153 最高のライバル?
 壁を越えられないでいる。その壁とは自分自身だったりしませんか?自分の理想と現実との間には壁がある。蹴飛ばせば倒れてしまうような壁もあるし、どうやってよじのぼろうかって途方に暮れてしまう壁もある。よく考えたら、壁をつくっているのは自分。そして、よじ登るのも自分なんだよね。(2000.5.13)
***オシラセ***
心なごむ美・空間
「民家の再生」展
2000/5/12fri.〜24wed.(off:18thu)
10:00>>>18:00
Yamagishi ショールーム>>>金沢市小金町3-31(春日町ケアセンター前)Pあり
***先日お手伝いした「北袋の家」…谷重義行氏…発表されてます。
(階段に柿渋を塗っているのが私です!)
お近くにお越しの際はお立ち寄り頂けると幸いです。

#142 週末も…
 最近めっきり肉体労働づいている。この週末、築後50年の民家を再生(平たく言えばリフォーム)するために、金沢の山奥にある湯涌温泉近く(富山県境の福光まですぐ!)に行ってました。(これは仕事ではなく趣味の方の建築ナノダ)主な活動…階段にヤスリをかけること 、素地の状態の階段に柿渋を塗ること、柱、梁に残る釘を抜いて回ること、柱を磨いて木目を生かすようにすること、外壁の木部に塗料を塗ること、掃除してまわること…「無心」でやってました。全身柿渋臭くって、脚には青アザできちゃったし、塗料も手にベッタリ付いてるけど、何だかとってもすがすがしい。ここんとこモヤモヤしてただけに、モノをつくる原点に触れたことはとっても良い刺激となりました。それにしても、休みの日まで「建築バカ」やってる私です(笑)さぁ、今週もサクっと現場こなしていこう!(2000.4.23)
p.s.1...ところでココン家、金曜日に引っ越しっていうのに、カベ塗ってないし、キッチンでき上がってないし、便器も取りついてないんだけど…。楽しみだよね(意地悪?)

#101 コラボレーション
 近ごろオシゴト関係で前向きにつるんでいるのが、造園やのKちゃんである。エンジニア仲間の後輩にあたるのだが、彼女は一本筋が通っていて向学心??あふれるので話していても、あっという間に時間が過ぎていく。お互い空間を扱う人間として、時に貴重な情報を交換する仲だけど、いつもカタクルシイことばかり話している訳でもない。そんなKちゃんと先日金沢で開かれた建築家・内藤廣氏の講演会を拝聴してきたのでした。その帰り道にKちゃん曰く「内藤氏もそうだけど、建築のヒトって、その建物空間で完結させてしまうところあるよね。構造とか設備とかも大切だけど、もう少し…『コラボレーション』について考えなきゃ…」と。その講演の中で「周辺の環境との調和あるいは関係はどうあるべきか…どうしていきたいか」という彼女にとって最大の論点が抜けてたことがフラストレーションになっていたらしい。つまり言わんとすることは、よい空間をつくるには建築と造園(環境)を総合に考え、協同作業的に作り上げていく視点が必要ということである。これは建築と造園に限らず、世の中のものは案外こういった関係で成り立っているのかもしれない。これから思想にしろ空間にしろ「コラボレーション」していける関係…これからも大切にしきたいし、それのみにとどまらず、他でもコラボレーションできる可能性を探っていきたいものである。さてと、貴方にとってのコラボレーションはどんなものでしょうか?(2000.3.4)

#98 ココロの臨界点
「臨界点」って…日常会話向きの言葉じゃないよね。でも、時々こういう言葉について考えてみるのもいいだろう。…例えていうなら、水が沸騰する100度とかはそうですよね。液体が気体に変わる温度のこと…。水そのものは変わらないけどエネルギーを受けたりした結果、形をかえてしまうってもの。これは水の反応のことだけど、私たちの人生の中にもこういう「臨界点」あるって感じることありませんか?きっと誰でもあるんだと思う。それこそ固体〜液体、液体〜気体なんていう2回こっきりのものではなくって、その人それぞれの温度と回数がある。それこそ周りの人が気付く変化かもしれないし、自分にしか分からない反応かもしれない。そのどちらでも臨界点に達するのはエネルギーが必要なんです。エネルギーっていうのは、自分が打ち込んだもの…ともいえるだろう。たとえ自分が打ち込んだものが思いどおりのカタチにならなくても、氷であろうと水(液体)であろうと水蒸気であろうと「水は水」。こういう視点がたまにはあってもいいでしょ。(2000.2.27)
[[[[[[[[[[[[[[[[[[背景]]]]]]]]]]]]]]]]]]
 金曜夜、建築家内藤廣氏の講演を拝聴してきたのです。<内藤廣氏 の概略>>>
http://www.interzone.or.jp/~aginc/architecture/ach.5.j.htm>「建築のはじまりに向かって」というお題目で…。その中で内藤氏が3回ほど『臨界点』なんて言葉を出したたので、私なりに考えてみました。(もし詳しい話が必要ならば「新建築」4月号での内藤氏と岸和郎氏との対談でもきっと触れられているはず…)どうして限界点ではなくって臨界点という言葉を多用したのか…。そこには未来に対する期待感が込められているのでしょうね。

#80 モチモノ 
 たまに女性誌で「あなたのカバンの中味見せて下さい」っていう特集をやっている。私はその一つひとつをくまなくみるのが好きである。ノゾキ見的で、決してヨイ趣味とはいえないが!!大抵本人の写真付きで載っているので、「ふむ。こういう系統の人はこういうモノを持つのかぁ」なんて勝手にカテゴリー化して喜んでいる。そんな中でも尊敬に値するのは、ちっちゃなバッグ 一つで出かけられる人。ハンカチとお財布しか入っていない。なんて身軽なんだろうとホレボレしてしまう。旅の持ち物については別格だが、私の普段の荷物は「家出少女」並みである。3人に1人はそう褒めてくれるから 間違いない。何をそんなに持ち歩いているのか…。ハンカチ、お財布は言うに及ばず、手帳に雑記帳、コンパクトカメラ。本は常に2冊は持っている。気分転換用に軽く読めるものと深く思考できるときのためのマジメなもの。ちなみに本日の場合、前川健一「アジア・旅の五十音」と「ルイス・カーン建築論集」。ほかにはラジオと英会話テキスト。こまごまとしたものもかなりあって、工作用ハサミにスティックのり、万年筆、なぜか筆ペン。シャープペンシルは言うにおよばず、スチールメジャー、コンパス(方位磁針)、歯ブラシに化粧品に名刺入れ、車のキー、時計がわりのICレコーダー、眼鏡、携帯電話。これにお弁当を入れている日まである。道理で腕力がつくはずである(笑)これをB4サイズ大の鞄に入れているのだから、それはそれで我ながらびっくりする。たぶんこれで家出しても2.3日は不自由しない自信ある。ホントは切り捨てられるモノも分かっているんだけど、敢えて持つことにしているっていう要素もあるんだよなぁ。いつでもどこでも自分らしい時間を過ごすために…。(2000.2.1)
  


>
>>□