...HITORIGOTO archi ver...2002...
#790 「気」の流れ
 週末の朝は、人を穏やかな気持ちにさせる。正確に言うなら休みの安心感は、人の心を満たす…といったところか。覚悟していたとはいえ、今年の私の仕事ぶりは尋常ではなかった。いや、尋常ではないと現在進行形が正しい…。日曜日はしっかり休んでいるとはいえ、平日は7時すぎに家を出、帰宅するのは深夜0時。それでも終わらない仕事を土曜日に片付けたり、三連休なら土日と…。さすがの私もへこむ。いや、表面上では大丈夫でも、体がついてこなかった。気持ちは何とかついてきていた…。9月には二の腕と背中に原因不明の吹き出物が蔓延?し、それで飽き足らず?なんと眼の痙攣が続いた。それでも病院にかかる時間がなく、不安を抱えつつもドイツへ行って、ゆっくり?過ごしていたら回復した!!そして、11、12月と仕事中心の生活は変わるはずもなく、ぎりぎりのところでやっていたのだが、とうとう…キモチがおかしくなった。仕事場でトイレへ行こうと席を立った時、「このままどこかへ逃げたら『楽』になるかな…」と思いついた自分がいた。思いついた自分を認めることが怖かった。同じ気持ちで仕事をしている人も居るだろうけれど、私は私。外は雪…ということもあって、あまりにも寒そうなので、結局それは実行せずにいたったのだが(笑)、その後は行き場のない鬱蒼感に包まれていた。その後、夕方…いや夜になって、ひとつ難題が見つかった。私も一部悪いのだが、私の指示が悪いというか、抜けていた…ために起こった難題だった。直っているはずのものが直っていないという初期的なミス。確認作業が抜けていた…と自分を責めた。上司に相談すると「困った…」という雰囲気…。文句なしに私が悪者になって、小さくなるよりほかなかった。「何やってんだろう。出社拒否になりそう…」と心の声。しかし、よくよく見て見ると、指示を出した形跡が付箋で残っていた。それが見つかる前までは、指示も出していない…確認もしていない…で、身から出た錆び状態だったけれど、100%私が悪い状態から50%私が悪い状態まで上向いた。状況は変わらないけれど、もうそれ以上何もする気にはなれなくて、その日は帰った。…と言っても午後9時近いオハナシだ。一生懸命やったりしても空回りしたり、どうして自分だけがこんなに背負い込んでいるのだろう?と思っていた。誰かに認められたいということもないのに、きちんとしないと気が済まない性格は「損」なのか?とも思った。真面目にちゃんとやってても、適当に手を抜いてやってても、結果は同じなのだろうか?そもそも私は、手の抜き加減が分からないというか、仕事においては、自分のできるかぎりのことをしたいと思っている。それが、今は本当に裏目に出ることが多くてへこんでしまう。自分の能力不足を換算に入れたとしても、神様は不公平なんじゃないかと思うくらい。そして、どうして神様は私を仕事中心の生活へと導いてしまうのだろうと。社会人になって9年。途中ブランクもあるけれど、私の生活における仕事率は妙に高い。結婚や育児はおろか、恋愛もふっとんでしまうそやつの存在から私は逃げ出せない。そういう星の元に生まれついている。こうやって書くことで「鎮魂」し、あるいは「気」の流れを元からあった場所へと導いているように思う。今朝、こんな時間を持てたことを幸せに思う。人はそれぞれ悩みを抱えつつも、気の流れに沿って生きているものなのだろう。(20021214)

#788 冬到来
 今日はひっさびさに手帳に何の予定もない日。願わくば、仕事場にてチンとして、たまっている図面のチェックや、現場での「!!?!!」を検討しようかと。その前に頼まれ仕事の資料をまとめてっと、やることはそれはそれはたくさんある。大したこともやっていないのに気が付くと、お昼。窓の外が白くなっている。本格的に雪が降り始めたらしい。午後からも今日は仕事場から一歩もでないもん!と思いつつ、仕事を続ける。やがて図面を持ってきてくれた現場担当さんが異様に寒そうである。思わずこっちまで寒くなって、急に鼻をすすっていたら「風邪ですか?」とのお気遣い。「いえいえ大丈夫」と答えたような気もするが、「風邪をひきそうなのは現場担当さんだよなぁ…」と思い、何だか逆だ!こちらが気遣ってあげねばならないほうだろう…と後で気付けど、時は遅し。さてさて、夕方(夜?)になっての打ち合わせ…外の雪が気に掛かる。周りは心無しかいそいそと帰ってゆくような気がする。さて、22時前、さすがにもう帰らねば…と外套を羽織って外へ出ると、1日で積もったとは思えない雪!こんなに降ると思っていなかったから、今日は革靴…だった。とほほ。融雪装置からの水で出来た水たまりを歩くと、足に凍みる。(車中心の道なんてダイッキライ)さてさて、こんなふうに今年初めての雪がやってきた。それはあっけないほどに見事に!「まさか」の心境で。小さい時、冬は嫌だなぁと思ってた。そして、冬が異様に長かった。一年の半分は冬だったと思うくらい!今はそうでもない。まさしく「あっそうなんだぁ」って感じで駆け足でやってきて去っていく。人生と同じだな…きっと。(20021211)

#784 道具
 着のみ着のまま。最近の私のファッションのテーマである。というと、カッコいいのだが、洗濯して乾いたものを手にした順番から身につけている感じ(笑)もともと何の変哲もないものをひっつかんで着ている「感」があったが、最近とみに強くなった。それは、身にまとっているものに限らず…。自分でも不思議なのだが、面白い位モノにこだわらなくなった。私の場合、モノは所詮"tool" にすぎないと思いが根底にあって、道具への愛着があっても固執することはなんだか違うなぁ…と。一番最後のこだわりがなくなった事件?がある。それは、ドイツでのこと(またしても!)。ドイツに行ったらたった買おうと思って楽しみにしていたものがあった。それは「シャープペンシル」。ある日、美術館のアートグッズコーナーで、気に入ったデザインのものを見つけた。それでその日から早速使い始めたのだが、それを使ってわずか数日後になくしてしまった。悔しいことにどこでなくしたかも分からない。そのシャープペンシルは見事私の元から去っていった。その代わりに、某ホテルでメモに添えられていたサービスのシャープペンシルを拝借?したのだが、それはいまだに私から離れず。私にふさわしいのは、こっちのシャープペンシルなのか…と思うと、何だか情けないような気もする。それでも、気持ちを切り替えるに思い浮かぶのは「カタチあるものは壊れる」という真実だ。すなわち、シャープペンシルにこだわるのではなくて、それが書き記すことの内容を重んじたいのだ。誰がそれを持つかによって、シャープペンシルの書き得ることは全く違う。ホテルに居たら、そやつは、いつまでたっても電話の横で、ホテル客の約束の時間や場所あるいは、連絡先の電話番号を書き記すにとどまっただろう。それが、偶然私が持つ運命になったことで海を越え、はてまた訳のわからん建築の打ち合わせ記録等を書くに至った次第である。道具は生き方のすぐそばにある。だからこそ、固執するのではなく、あくまで人間を主体として操っていくためのツールという認識が必要なのではないかと思う。(20021205)

#770 帰国の覚悟
 ほぼ一ヵ月、家を開けていたのに、私の家での生活は、それがそれだけ中断していたとは思えないほど、すんなりと穏やかに始まった。いつものカップであたたかい飲み物を飲む。ずっと使ってる茶碗にほかほかごはん。歯ブラシや石鹸も以前使っていたものをまた使い始める。机の上に積まれた本や資料の類は埃がのっているでもなく、同じ場所に同じように積まれている。…ただ、ハンガーに掛かったままの半袖は「行く前は暑かったなぁ」ということを思い出させる。このひと月の間に暖房が必要なまでの季節になってしまっている。すこーんと抜ける秋の空が、私には今年なかった。その代わり、ぐずつくように泣きそうな曇った空の下をいつもの2倍過ごすことになる。これはあくまでもプライベートでのおはなし。実は、帰国の飛行機の中で、日本に帰ることに対して「覚悟」を決めるような気持ちになったのは初めてのことだ。「どうしよう」「どうなってるんだろう」。いつもの仕事をするのがコワイ…。帰ってきた以上、現実を見つめるしかない。
 ドイツに行くまでしばらくの間、日々くたくたになって考える時間があったら眠ろうというような生活を続けてきた。それが、仕事とはいえ、旅の生活の中で、いろいろと、あーでもない、こーでもないと考える時間を持ちえて、今さらながら見えてきたことがある。それは、自分の土俵とすべき場所についてのことだ。今までずいぶん迷ってきた。しかし、ドイツでいろんな方と会うに連れて、「自分が最大限の能力を発揮できるのは今基盤を置いている日本なのではないか」ということ。それは、見えてきつつあったものでもあるけれど、ドイツで私と同じように働いているヒトがいるということを、実際にこの目で確かめて、会って、話をすることで、自分が何をしなければいけないか…あるいは何をすることが、世の中のためにも自分のためにもいちばんいいのか…そんなことが見えてきたような気がするのです。例えば、いくらドイツで働きたいからといって、私がドイツへ行って働くのは、何か意味が違うのです。最大限に自分を活かすことができないような気がしたのでした。そう思っていたところへ、ちょうど新聞記事で「才能とは努力することです」という記事を見つけ、ふと我に返るというか、はっとしたのでした。私は本当に自分を活かすために努力しているんだろうか?と。そう思った地点で努力不足だと悟りました。きっとまだ努力の余地があるから、そう感じるのだろうと。最大限に努力していたら「こんなに努力しているのに、やっぱり才能がないのかなぁ」と感じるはずだからです。無心にて努力あるのみ…。(20021103)

#763 とある休日
 三連休の中日…仕事場に篭った。先週はケガをしたおかげとドイツに行く準備で本業が滞った。平日の日中は現場優先で、デスクワークは夜…というパターンに陥っている今日この頃。落ち着いて考える間もなく、作業してても中断することが多く、チリも積もればヤマとなるといわんばかりに仕事が溜まってくる。家でじっとしているよりは、仕事場で仕事をやっつけていた方が精神衛生上良い…という結論にいたり、前回の三連休も今回の三連休もそれぞれ1、2日自主的に働くことにした。軽食を調達し、お湯を沸かしてお茶を入れる。机の上の資料やファックスをあるべき場所に仕舞い、作業環境を整える。図面に手を加えたり、金額のおさまりでうなったり、同じく仕事にやってきたTさんと外壁の仕上げについて話したり、階段のノンスリップを調整したり…。まだまだ、今月末…と言われているもののアイデアをひねってもいないし、いい加減にやっつけてしまわねばならないこともいくつかある。週明けには病院にも行かねばならないし…(ため息)。立ち止まれる気配すらなく、時が流れていく。小さい時はあんなにたくさん時間があふれていたのに、三十路となった今日この頃、何ひとつ無駄なことなどしていないのに気がつくと一日が終わっている。一体時間はどこからどこへ流れているのだろう?(20020923)

#756 試すかって?!
 仕事で現場へ出かける時の持ち物で、忘れがちなもの。タオル・名刺・水筒・カメラ・手帳…。これまでを振り返るに、車に乗って「あ☆」と忘れたことに気が付くのは数知れず…。なくてもなんとかなるが、持っていたいものではある。財布や図面のように必需品ではないだけにすごく困るという訳でもないが、この5つのものは代理がきかないので…だからこそ持っていきたいものなのである。…忘れないための呪文を考えようと頭文字を並べてみたら「ためすかて」…「試すかって?!」と勝手に語呂合わせとしておく。これで忘れ物クイーン?から脱皮しようっと。(20020910)

#738 好きなものと作ること
 本当に好きなものだと、最初っから作りたくなる。パンを作り始めたのも、いろんなお店のパンを食べてみて、自分の好きなものが分かりかけた頃に、自分でも作ってみたいと思ったことがきっかけだ。それからは本で独学?したり、いろんな話を聞いたりして、何十遍となく試行錯誤を重ねて今にいたる。器も好きだからこそ、自分でもつくってみた。プロの作る良さ、自分でつくる楽しさ…。お茶も好きだからこそ、自分の手で茶摘みをした。衣服も手作りしたものがある。裁縫はかなり苦手なのだけれど、その時は気合いを入れた!のです。あの時、建築を学び始めたのも、いつかおうちを作るときのためかもしれない。おうちを最初っからつくりたくなっても、今なら何とかなるかな…っていうくらいの知識はある。もっとも今はおうちを最初っからつくりたいとは思ってなくて、こうやって住んでいるおうちをどうやってもっと好きなものに近づけていこうかなぁと思っている。こうやって暮らす毎日は、とても平和でこの上もない幸せに包まれている。(20020816)

#733 暮らし方の提案
 建築士会の環境研究会に参加してのこと。建築の仕事で「環境にやさしい」という観点を持つと、いとも「どの自然素材がよい…」といった傾向に陥りがちだが、本当に必要なのは『暮らし方の提案』なのではないか…という話題が出た。胸がすく思いだった。建築を仕事とすればするほど、私は自分が何をしたいのか、ジレンマに悩まされた。自分の理想と現実とのギャップ。では、その理想とは何か?どんな構造を以て、どんな空間をつくったとしても、本質そのものに至る何かが欠けているのではないか…と。究極のところ、建築は手段であって目的ではない。では目的とは何かと自らに問いかけるに、それは、それぞれの暮らしの中にあるのではないか…と次第に思うようになった。暮らしに善し悪しなんてないけれど、地球の上に存在する一生物としての人間にあるべき暮らしの営みはあると確信している。そして、これまでの世の中は、特に日本は、良い方向に進んでこなかった。このことは、いろんな歪みが、私たちの暮らしの中に露呈していることからも明らか。そして、今こそ、暮らし方を見直す必要があるのではないか。意識の高い人はもうとっくに気付いている。今、自分たちがどういう位置にいるのかということを。まだ気付いていない人には、やはり暮らし方の提案が必要なのかもしれない。軌道修正するには、みんなの意識が大切だから。(20020808)

#708 7年
 働いて何年になるんだっけ…。ふと仕事をしながら考えていた。新聞社での2年、学生としての2年は加算しないにしても、建築の仕事をするようになって5年目に突入…!なんと、社会に出てから9年目になるのだけれど(出戻り期間含む!)、まだまだと思っていたのに…もう半分以上はこっち(建築)の方に足を突っ込んでいることになる。いつまでたっても半人前…気分でいるには許されないような事態なのかも。。。一人前未満の自分へのジレンマを何で穴埋めしようか…。近頃は、仕事に求められるクオリティーもより高度になっているような気がしてならない。もちろん量も…(涙)。別の観点からすれば、それだけの成長?を期待してのことかもしれない。。。全く油断も隙もありません。3年目の浮気とか…結婚生活に例えると、7年目も浮気の年らしい…が、まだまだ私は相手(仕事)のことを知り尽くしていないし、やり尽くしてもいないので、浮気なんて論外です。精進あるのみ。それにしても、もうすぐ社会人と呼ばれるようになって10年ひと昔の域かと思うと感慨深い。そういえば、街や電車で見かけるサラリーマンが低年齢化しているのでは…と感じていたのは、自分が年をとったせいだったもよう(笑)(20020703)
それにしても年齢って不思議。いつも仕事場でタメ口聞いてる後輩…ふとなにげに「ボク今年25(歳)ですよ…」と言い出して驚いた。私は彼がランドセル背負いはじめた頃、学生カバンを抱えたセーラー服のおねーさまだったのだ。ま、この年になると、大差ないわなぁ…

#654 居場所
 ちょっと前の日経アーキテクチャーで"「気持ち建築」のすすめ"を特集していた。(2002年3月18日号)その中で何度か繰り返されている「居場所」というコトバが気になった。心地よい建築というのは、「居場所」があるものだ。そう言われてみれは、旅先で印象に残っていたり、居心地がいいなぁと感じた土地には、居場所があった。もともと旅人なんてものは、一時的にその場に居させてもらっているヒトなのだけれど、そういったたとえ短時間たたずむだけであっても、「居場所」が感じられると、「どうぞどうぞココに居てください」って言われてるみたいで、どこか気に入ってしまう傾向がある。本題の特集では、テーブルと椅子が大事…ということも書かれていたっけ。それは、ある場所では、こたつになったり、公園のベンチになったり…。そういったしつらえだけではなくって、その場の雰囲気がそういう寛容さを帯びているということが重要なのである。この「居場所」という概念が、これからしばらく頭の中を駆け巡ることになりそう。(20020408)

#647 Atelier Bath Cafe
 スケッチブックを広げた場所が"Atelier"になる。ベトナムのミーソン(遺跡)も、カンボジアのアンコールワットも、"Atelier"
 そういえば、インドのバラナシでは、沐浴で有名なガンガーで、体を浄めてる人がいた。南国では、水のある場所が、即ち"Bath"という光景をしばしば目にした。
 旅先で"Cafe"は欠かせない存在。喉を潤すのは勿論のこと、とりとめのないことを語らったり、絵葉書をしたためたり、日記を綴ったり、時にバスを待ったり、WC拝借が第一目的だったり!
 Atelier Bath Cafe…私は頭文字をとって「空間のABC」と呼んでいる。生きるために欠かせない場所に対して愛情を込めて…。だからとて、立派な部屋・空間が必要という訳でもない。旅人的発想からすれば、地球の上にごろごろと転がっている場所をちょいと拝借するような感じ。Atelierになったり、Bathになったり、Cafeになったりする場所が、この地球上にわんさかあると想像するだけでも楽しい。(20020330)

#640 空間をみたすもの
 香り立つ飲み物が好きだ。紅茶は言うに及ばず…、コーヒーに至っては飲む為というよりも、その香りのためにいれているようなものである。だから、あの香りが恋しくなったら、家族に「コーヒー飲みたくない?」って聞いて、なかば無理やり飲ませている(笑)たぶん、コーヒーという飲み物そのものよりも、コーヒーの香りが好きなのだ。飲み物の嗜好からすれば、私は断然紅茶派。(私以外の家族は、どちらかといえば、コーヒー派なのである)飲み物のことをいつから偏愛するようになったのか、自分でも定かではない。飲み物に限らず、近頃は、以前よりもずっと香りに、意味を感じる。光、音、香り…空間をみたすものとして存在する全てのものが、今とても愛おしい。こういった要素ともいうべきディティール(細部)について、一つひとつ、自らと照らし合わせていく中で、周囲と調和をはかりながら、自ら心地よい場所へと動いていくことを知るのである。空間をみたすものは、五感を働かせることによって直接自らの感覚に入ってくる。そういったライブ感のある、生活の中の行為を愛おしく思うのは、この上もなく贅沢な幸せなのだ。もともと俗に言う、贅沢な暮らしには興味がないけれど、空間をみたすものについて贅沢な気持ちを持てることに、日々感謝していきたいものである。(20020320)

#629 春
 畦道を歩いた。田圃のど真ん中が目的地。
 建物を建てる前には、その土地がどんな地盤になっているかを調査する。その結果によって、建物の根っことも言うべき、基礎工法を決定する。建物を建てる予定の場所のみならず、周辺部も何カ所か測定して、地面の中がどのようになっているかを、おおよそシミュレーションする。今回、測定する場所のひとつが、たまたま田圃のど真ん中にあたったのだ。予め安定した地盤であるということが分かっていたので、安心して、現場へ向かった。サンプリングも予想した通り…良い結果。あっけないくらいの結末。
 田圃の畦道を歩いて帰る時、行くときは気づかなかった、草の緑が目に入った。まだまだ冬だと思っていたけど、タンポポやオオバコはしっかり地面に葉を伸ばしている。小さな名も知らぬ草花も咲いていて、そこだけクローズアップすれば、まぎれもない春。
 地球という星のほんの表層の十数メートルの地層の状態を知り得て、この星の皮膚ともいうべき土から、また新しい生命が芽吹く季節がやってきている。ただ単純に嬉しかった。地球という生命体のほんの一部を知り、その上っ面で起こっている、小さな小さな変化に対して、今年は自分のことのように「よろこび」を感じる。私という生命体の季節…も「春」だといいな…そう思った。凍るような地面も、ほんとは、柔らかな暖かさを持っている。そんなことを地球の上の一生命体として感じたり、自分自身もそういう一部なんだということを感じられるようになったことが、生命体の「春」なのだと思えてならない。いかんせん、春は意味もなく嬉しいものである。(20020227)

#616 position
 仕事場宛に送られてきた郵便物や共同購入している雑誌類は、一応全員に目が通るよう、大きな封筒に入れて回覧される。忙しい時は、資料や図面・書類に加えて、この回覧まで机近辺に積層させてしまう私である。もう雪崩る寸前になって、いいかげん開き直って、気分転換と銘打った閲覧タイムを決め込む。そんな時間に、とある建築の会報にこんな言葉を見つけた。

「建築も町も、ゆっくりできていく。人の手でレンガが重ねられていく。
陽が昇り、陽が暮れる。私達はなぜこんなに生き急ぐのだろう。

それぞれの国、それぞれの風土にそれぞれの建築文化が在る。石、土、そして私達の日本には木の文化がある。

もう一度原点から建築をやり直そう」

 まがいなりにもこの世界に入って6年になる。純粋に建築のことを見つめ、考え、自分なりにあがいていた最初の2年。建築という名目で仕事をしてきたこの4年。ふとこのコトバに出会うに、日々惰性に流されがちな自分の今いるpositionをしばし顧みる。「原点」というコトバがこれほどココロにしみるのはなぜだろう?建築における原点はもちろんのこと、自分自身のなかにある原点を忘れてはいないか…「原点」の存在を意識することなく、ものをつくっていいのか?という、自分自身への警告なのかもしれない。このコトバにハッとする自分が恥ずかしかった。初心忘るるべからず。これから先、晴れた日もどしゃぶりの日も「原点」から物事が派生していくようなものづくり、生き方そのものを目指していきたいと思う。(20020212)

#615 春と不思議
 この前の週末、小さな旅をしてきました。行き先は富山県・高岡市&福岡町。金沢から富山行きの普通電車に揺られ、下車したのは、福岡駅…。駅員さんが二人でまかなっているような小さな駅でした。目指すは、前々から観たい!行きたい!!と思ってた「ミュゼふくおかカメラ館」。建築家・安藤忠雄作品というだけで、ミーハーゴコロマルダシで出かけていく私です。展示そのものもさることながら、WCにいたるまで隈なく、空間そのものを堪能しました。今回は、光の存在をより意識しました。空間を満たす光の強さそして弱さ…を感じつつ、その視線は、どこか自分自身の中にある光…を見つめていたような気がします。
 その後、すんでのところで電車を逃し、1時間近く福岡駅で足止め。。。待合室にあった移動図書館?コーナーにあった本を片っ端から読みふける。その一冊、中野幸次「老年を幸福に生きる」(青春出版社)にこんな詩を見つけた。

こころが美しくなると
そこいらが明るくかるげになってくる
どんな不思議がうまれても
おどろかないとおもえてくる
はやく
不思議が生まれればいいなあとおもえてくる
「八木重吉詩集」彌生書房

 暦も春になって、この詩を読み返した。春先に樹木が芽吹くのを待つように、「不思議」がやってくることにわくわくする私がいます。光があったかくなったら、不思議がいっぱい生まれてきそう!そんな予感がするのも、もう春だからでしょうか?春という季節の持つ美しさは、明るくかるげで、不思議が生まれる可能性をたくさん秘めている。しばし、春を慈しんでいきたいと思う。(20020210)
 

#610 部屋という宇宙
 冬の夜、部屋のヒーターの前でぼんやりする時間が好きだ。早く家に帰りたいなぁと思う時、オレンジ色の光に包まれた部屋の光景がフラッシュバックする。実際、部屋に帰ってすることは、ほんのわずか。まず着替えをし、元気であれば、お茶を持ち込んで、本を読んだり、メールしたり…する。そうでなければ、あっという間に布団の中…である。それでも、ほんのわずかな行動をも包み込むような「宇宙」みたいなものを感じる。そう!部屋はひとつの宇宙。目に見えるもの、見えないもの、それぞれが存在している。私をとりまいている小さな単位のひとつが、部屋という空間なのだ。宇宙と部屋との共通点を見い出すに、外に出て眺め得るような存在ではないことを思えば、宇宙も果てしなく大きな内的空間なのかなぁと思う。部屋は、窓から見えることもあるが、内に入ってこそ…のもの。大きな宇宙と小さな部屋には、意外や"inside"という共通点があることを見い出す。(20020202) 

#604 偶然の女神(ビーナス)
 つい先日のプラハで起こった不思議な出来事。2002/01/01…初詣は、カレル橋を渡り、プラハ城へと洒落込んだ。入場チケットを買おうと思って、偶然入ったインフォメーションセンター。しかし、そこは入場チケットを売るために存在しているのではなく、単純にインフォメーションのみを扱っていた。「どうしてこんな所に来ちゃったんだろう?」と後悔しつつも、それでは…と、その棚に並ぶインフォメーションカードを眺めた。その中に見覚えのある建物…というよりは家!を発見した。「ミューラーハウス!!!」。ウィーンで気になってしょうがなかった建築家アドルフ・ロースの、最高?傑作の住宅と評価高きモノである。プラハ郊外にあることは知っていたが、詳しい住所を知らなかった。そもそも「郊外」というのが、クセモノで、この表現は往々にして、かなり交通の不便な場所にある場合に、最寄りの都市に添付して、その場所を表現するコトバではある。だから、プラハに居るとして、そう簡単には行けない場所だと判断し、下調べすらしていなかった。カードには、住所と地図が印刷されていて、「ミューラーハウス」は、プラハ「市内」にあることが分かった。但し、見学の場合は、予約を!とあった。ちょいと手間がかかるなぁ…となかば諦めて、そのカードを1枚鞄にしのばせておいた。2002/01/02…プラハの中心をくまなく観光。夜になって、手持ちの現金が少ないことに気付いて、やむなく両替に。担当のお兄さんは、地図もサービスするって付けてくれたけど、両替の明細にはしっかりその料金が差し引かれていて、少し損した気になる。。それまでプラハの地図を持たずに、適当に観光してたから、ひとつ買ってもよかったのだろうけど。2002/01/03…プラハ最後の日、観光地という場所は昨日までに見尽くした。だから、その日は特段何もしなくてもよい優雅な旅先の一日。朝食のテーブルで、ふと思いついて、ミューラーハウスのカードに記されたアドレスを、例の地図上で確かめてみる。中心部から意外と近いことが分かった。地下鉄の終着駅(といっても15分で行ける!)からトラム(路面電車)で5駅。外観だけでも「ミューラーハウス」見て来るのもいいかなぁ…そんな気持ちで、お出かけした。いざ「ミューラーハウス」。トラムを降りると、すぐそこに「ミューラーハウス」はあった。はじめそれがそうと思わなくて、しばらくぐるぐるして、やはりそうだと門のところへ行くと、見学についての看板を発見した。「火、木、週末」…ちょうど木曜日だった。しかし、中に人の気配がない!そのうちに、家の周りにイタリア人カップルと、大柄な欧米人(国籍不明)男性がやってきた。どうやら、私も含めて気持ちは同じらしい。「中を見学したいなぁ…」(外を見るだけで十分満足していたのだけれど、やはり欲が出るものである)しかも、この4人とも、見学の予約はしていない。イタリアンが、いきなりインターホンを押した。何度か押した後、インターホンに人が出てきた。ついには、中から人が出てきて、こう説明する。「今は見学の時間ではないので、内部に入ることができません。予約していただいた方には、英語でご案内します」と。欧米人男性が、いきなり名刺を出して、「明日の飛行機で帰るから、今見せてほしい…」と言った。「今は駄目です」「少しでもいいですから」「今日の夕方4時の見学には、まだ若干の余裕がありますので、その時にもう一度お越しいただけるなら…見学できます」…欧米人男性は、何を思ったか、いきなり怒り始めた。そして、「もう来ない!」と。イタリア人カップルは、その日の夕方の飛行機なので、「無理…」と。私は…といえば、明日帰国なのは、欧米人男性と同じなのだけれど、「夕方お伺いしてよろしいですか?」「では、名前を…」となり、予約の紙に私の名前が書き込まれていった。偶然に偶然が重なって、まさかの「ミューラーハウス」を見学させてもらえることになった!どれかひとつの偶然が欠けても、実現しなかったことだろう。『偶然の女神(ビーナス)』が微笑んだのだ。そして、その日夕暮れ時に訪れた「ミューラーハウス」は、プラハの旅のクライマックスといってもよいくらい素敵な体験だった。外からぼんやり眺めている分には感じ得ないくらい、何十倍から何百倍ものインスピレーションを受け、改めて、"inside"の素晴らしさに目覚めたのでした。思えば、人も外見よりも、中身(="inside")のほうがずっとずっと興味深い。この体験から、建物及び空間を体験することの意義を知ったのは、言うまでもなく、"inside"への見方や価値観などがほろりと変わってしまったような気もする。それはもちろんグンと良い方向へ!偶然の女神は、出会うべき人やモノを会わせてくれる。「ミューラーハウス」の"inside"はもちろんのこと、たくさんの言葉にはなりえないことと、会わせてくれた。そして、なんとなく嬉しかった。偶然の女神に、「ミューラーハウス」の"inside"に出会うべく人として、選ばれたことが。こうやって少し長く生きていると、これは出会うべくして出会ってしまった人かなとか、いずれ出会ってしまう事柄に今出会ったんだなって感じることがぽつぽつと出てくる。そんな時、私は、偶然の女神が微笑んだ…!そう思うことにしている。(20020125) 


>
>>□