...■ SENSE OF LIFE ■...
視覚

色のチカラ


 「好きな色は?」 美術部だった頃、自己紹介を兼ねた質問で問われ続けた。それは名簿と一緒に印刷されるもので、毎年毎年同じ質問に答えるもの。美しいものを愛し、作り出す人たちにとって、これは難問であった。たくさんの色をいとおしく思えばこそ、絵を描いたり、愛でたりできる。好きな色はかき切れないほどあるというのに。ある年、ふと閃いた。好きな色…それは「天然色」だということに。美しい色のお手本は、すべて自然が教えてくれた。夜明けの空の色、季節折々の花の色、5月の風の色、秋の海の色、大地を彩る様々な色…そして、それを作り出すのが風土というものなのだと、私はおぼろげながらに感じていた。何か色を決める時、頼りにしているのは、自分の感覚だ。身にまとう色、包まれる空間の色…これまで自分が見てきた天然色の中から、それにふさわしい色としたいと願う。そして、粋な人とは、そういう色の選択の場面で、これまで生きてきた中で感動した色を重ねられる人のことだと思う。だからこそ私自身、カラフルな人生でありたいなぁと日々思っていたりもする。
聴覚

耳をすますこと


 どんな音楽が好きですか?と聞かれたら、「静けさの音」と答えたい。例えば、休日に部屋に居て、聞こえてくる鳥のさえずりや、秋の夜長の虫の音(ね)。耳を澄ますと、この地球の上でたくさんの生きている音が聞こえてくるのに、人間が作った音で聞こえなくしてしまうのは、もったいないなぁと思う。人間の作った音楽が嫌いな訳ではない。感動に値する音楽、心やすらぐ音楽、力を与えてくれる音楽…好きな音楽には、出会うべくしてあった友人たちのように少しずつ出会う。だからこそ、そういう音楽とは「会いたい」気持ちになった時に耳を傾ける。静けさの音楽は、その中にも流れていて、いつも私と一緒にある存在。耳をすませば、生きていることをいとおしくさせてくれる音楽が流れていることに気付いてから、満ち足りた気持ちがどういうものなのか少しは分かったような気がする。
嗅覚

薫りを聞くこと


 香り立つような存在のものが好きだ。ポットから注いだ紅茶、季節の風、旬の果物、焼き立てのパン、太陽を浴びた洗濯物や布団。それは、いつもの場所を幸せ色に染めてくれる魔法のような存在。できることなら魔法にかかったままでいたいのに、いつのまにか香りは空気の中に溶け込んでいき、静寂な場所へと戻っていく。だから、薫りを聞くために、心を澄ませておきたいと思う。
 薫り立つような存在のヒトが好きだ。いい生き方をしているヒトはいい薫りを発している。華美な外見でなくてもパっと明るくなるような雰囲気を持ち、人生の醍醐味といった香水を身につけている。そういうヒトと居ると自分が生きていることすらいとおしく感じる。心の真ん中からいい匂いのする人になれたらいいなぁと思う。
触覚

暮らしの体温


 暮らしの中で使っているものには、それぞれ体温がある。毎朝紅茶を飲むときに使うカップ、泡立った石鹸、くるまって眠る布団のシーツ、木の床や畳…。そういうものを全てひっくるめて、暮らしにも体温がある。物質的に冷たいものばかりに囲まれていると、体温の低い暮らしを送っているような気になる。基本的には温かいものに包まれたい。そして、精神的緊張感を保つために、アクセントとしてひんやりするものを持つ。それは、個々の感受性によって、心地よい温度を見つけていく中で分かることのなのだろう。夏はさらっとした感触のもので低めに保ちたいし、冬はふんわりと温かい空気を含むようにしたい。暮らしの体温をうまく調節して、気分よく生きていきたい。
感じること

味覚


 食欲とは生きる意欲のことだと思う。食べっぷりのいい人は見ていて気持ちいい。何かをたいらげる時、そこには人柄が出てくる。私は比較的食べるのが遅い。時間をかけてゆっくりもぐもぐ食べる方だ。もしかしたら、私の生きる意欲もこんな感じなのかもしれない。
 おいしい…美味…すなわち美しい味…とは、素材そのものに、火や水が加わり、仕上げとして、塩味、甘さ、酸っぱさ、辛さによって、旨みとうまく融合されたものを指す。時に、薬味やハーブが絶妙な役割を果たす。食べ物を味わうことについては、書き尽くせないが、それは人間の感覚の中で最も「主観」に近いことなのだと思う。自分がどんな気持ちで、それを口に運んでいるか。それが直接味覚に関わっているような気がするのだ。だからだろうか、食べることを大切にしている人は自分を分かっているうえで丁寧に生きていると思わせる説得力を持っている。それは、食べることがすなわち生きることにつながっているからともいえる。食べ物からもらった生命を自分の一部として享受することを慈しむことを本能で分かっているのかもしれない。愛情のこもった料理を食べているかぎり、ヒトは孤独を感じることはない。自分が何者か分からなくなったら、いつも食べているものを思い出してみる。食べているものは、自分自身そのものだから。
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