■1999/12/28 ▽日本→アテネ
いよいよだぁ。不安はウスラグ。(ヒトリの旅と同じようにそのキモチはやってきていた)2人という心強さのせい?楽しいこといっぱい待ってる??直前まで、この旅に何を見い出せばいいのか分からなかった。今はひとつの時代が終わって、新たに私自身も変革していくchanceなんだと思えてきた。
ひとりでいる時間とふたりでいる時間…比べられない。どっちもそれぞれよいものだ。思いっきり楽しむ。呼吸する。人と一緒っていうのも発見あるもんなぁ。
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旅っていうのは生活の再構築でもある。
今いる場所を見直して…ちょっと離れたところから。
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ギリシアで、エーゲ海で、「空」…「風」…「無」になれたらよいなぁと思う。同じ地球の上でありのままの姿でいられたらと。
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人からどう思われようと、たった一度の人生に賭けてみる。勝負どきに何を持っているか?何で勝負できるか?
今の私にはその方向性は見えても安住の地は未だ見えず。
■1999/12/29 ▽アテネ→サントリーニ島
(アテネ深夜0:30着→早朝のサントリーニ島へのフライトのため空港で夜明かし=ひたすら時間の経過を待つ)
待ち時間が好きだ。何かを待っているというのは、人であったり、予期せぬハプニングであったり…
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世の中同じ人間は絶対にいない。違っているから楽しい。そう思える。全く違う人を受け入れることの心地よさみたいなものを最近は感じることがある。ちょっとした成長だなぁ。
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夜道を2人だけの乗客で行くエアポートバスの不安、そしてトキメキ。ホントに行くの?行くの?っていう気持ちは、旅しているから発するアドレナリンなのかもね。多分私の旅のスタイルは私の中で輪廻転生しているのだろう。新たなスタイルの発生。目の前にあるものを受け入れ、貪欲に楽しもうとするココロ。
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何もすることがないとき、私は私自身に問いかけるしかないのだ。旅とはそういう場所。
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フィラ(サントリーニ島の中心)をぷらぷら。振り返ったら美しいまちなみ。噂は本当だった。それはホンモノ。
本当に美しいものを目の前にしたとき、私は言葉で表現できない。ただニコニコしちゃう私がいる。
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寂しいときは思いっきり一人になって寂しがってみるのもよいかー。今自分の居る場所がよく分かるように。
■1999/12/30 ▽サントリーニ島(ティラ遺跡&イア散策)
はるか異国の地、人はこういうとき誰を思い出すのだろうか?
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真っ黒な海、うなる風、断崖にしがみつく家並み、ほのかな灯、私は一生忘れない。あの景色が私に何を与えたか。何を言いたかったのか。まだ答えは見い出せないけど、きっと近いうちに分かるだろう。
サントリーニ島で静かに静かに暮れていく1900年代を振り返る。私自身の歴史は28年しかないけれど、人生もちょうど半分にさしかかっている。(私は多分Maxで50歳位までしか生きないような気がしている)さぁ、目を覚まさなきゃ!2000年は21世紀に向けての助走期間。
・生活するってことに貪欲になる。
・生きていくための術を磨く
たくさんいい出会いがありますように…きっとある!
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最初からいつでもどこでもうまく自分を表現できる人もいるし、後天的に獲得していく人もいる。私は明らかに後者。
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人は時として弱くなるもんね。エーゲ海の小さな島で考えたこと…今の私そのもの。ずいぶん弱くなったものだなぁ。
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(サントリーニ島北端イアで夕陽を拝む)
どうしてここに住んでいるんだろう?
美しさは意識から生まれるのか?
無意識のうちに生み出す産物なのか?
そこに人が住んでいるという事実が衝撃的であり、感動的でもあった。
■1999/12/31 ▽サントリーニ島
今日は1999年最後の日。不安と希望が満ちあふれている。
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景色がグレーーー。
それは今の私の状態なのかも…。
いろんな国でいろんな思いをしてきて、20代の終わりを告げようとしている時期にたどりついた地のような気がする。
人によっては全然必要ないことだけど、私は旅がなかったらここには到達できなかった。やっぱりココロはロンリートラベラー、コスモポリタン(でありたい)
さっきふっと思った。たぶん今の私ならムリに旅しなくても日本でもごくごくあたりまえにステキなミレニアム過ごせた。クリエイティブできた。
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生活ってすなわちつくること。
生きてるってことをつくること。
それはココロのおもむくままに感情を大切にし、人に対して自分に対してリスペクトしていくこと。
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好きな者どうしが一緒にいて、生活を紡ぐ。そこに何の不安があろう。
それが生きることそのものなのだろう。
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私は1つ1つの旅の中でリセットボタンを押す。よい状態であっても悪い状態であっても「0」からスタートするものがあるから…
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サントリーニでSunsetを…
1999年最後の夕陽をみていた。ミレニアムだから何が違うって訳でもないけど。
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すっごい風-飛行機飛ぶんだろうか?どうなるんだろう〜〜〜。
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(夜、サントリーニ空港にて、アテネに向かう飛行機を待つ)
飛行機が遅れている。それはY2Kと何の関係もなく、風が…という理由だろう。
自然を目のあたりにして人間は無力でいるしかない。便利になった分、どこかで歪みが生じるのも否めない。
これからどうなっていくのか?なるようにしかならないし、流されてしまう…
風のうなり…これは不安以外の何ものでもない。ただ、1人じゃないっていう思いがここにはあって。
不安なキモチのときにココロが発することは多い。
■2000/1/1 ▽サントリーニ島→アテネ
願わずも予想は的中した。(アテネに行けなかった。しかも、1/3まで飛行機満席で日本にも帰れないかもしれないのだ)なんとかしなくては…。
ただ悪いことばかりではなくいいこともあった。
これ(飛行機が飛ばなかったこと)が最終的にいいとか悪いとか判断することはできなさそう。いつかきっと+になる。
(ギリシアで働くMさん(日本人女性デス!しかも同い歳!)との出会い…飛行機が飛んだらきっとなかった)
2000年は火花とシャンペンのシャワーで明けた---。
きっとこんな調子で生きていくのだろう。この先も!
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神…運命は、とんでもない方向へ、必ずその人が向かうべき方向へと導くものである。今、私が出会った事柄そして人は、私のこれからを予期している。どこに何がどうなっているか分からないものである。
(メデタイはずの2000/1/1を「これからどうなるのか」も分からず、ただうだうだとサントリーニ島を徘徊していた。時が止まったかのように静かな島での正月…サントリーニにいたから感じることのできたものは数しれない。Mさんのおかげでオリンピック・エアラインのウェイティングリストに名前が載ったので、今晩の飛行機に賭けてみる…としか言いようがない。何せ3日には日本に向かう飛行機に乗らねばならないのだ。最悪明日(1/2)の船で9時間かけてアテネに向かうっていう選択肢もあった。これも天候が良ければという前提つきである)
■2000/1/2 ▽アテネ
Athens-帰れてよかった。
(1/1夕刻のサントリーニ→アテネ便:満席かつウェイティグリストで7.8番目という絶望的な悪条件ながら、ギリギリのっけてもらえた。本来なら席がもらえるお子様も膝の上にのっけて…みたいな詰め込み方でした。。。私たちが座った一番前の座席は本来スチュワーデスさんが座る場所だったのかも。感謝。)
よい方向に希望を持つ。それには何もしないのではなく、Actionを起こすこと…
願っていればいつか手に入る。自分が明確であることが大切だけど。
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何か1つの時代が終わっている。
今回の旅は明らかにバックパックを背負って、生き方そのものを彷徨っていた頃とは存在意義が違う。それは、私自身新たな人生の段階にさしかかっているのだろう。
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そりゃ一緒にいるとけんかスル。
それは二人の関係が改善されるという意味合いでは、理解ある人なら問題ないだろう。
(私も妹チャンとシマシタ。でも彼女との付き合いはカレコレ26年。生い立ちや性格、現在の状況など分かりすぎるくらいだからヤッチャッタァって気がする)
だけど、けんかするに到らない中途半端な人間関係も世の中には存在する訳で、それは気にするに到らぬ。
そもそも"1人"ということが分かっていて"2人"にもなれる。そういう人間関係が大切。
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光・音・香の共存。空間の追求。 |