DATA+DIARY
……On the Mekong……


 



 

 太陽・風・水

それはすごく不思議な体験だった。

地球の上の一点として生きていることは分かっていたけれど、
自分の中の感覚として意識したことはなかった。
あくまで、知識として脳味噌の中に存在しているものが、
体の各部分に波及している…そういうとらえ方だった。

それで十分満足していたとしても、
旅の中では、意図せずして、
そういった概念が溶け出してしまうことがある。

そういう感覚を求めて、旅に出た訳ではなかった。

偶然出会ってしまったのだ。

必然性がないものほど、
こういった中で出会えてよかったなぁと思う。

soulとsoulが出会う場所…
それが「旅」であり、on the earth.....

熱く、清らかに、生き還る。


 
 
 

 DIARY

■8/13 ▽金沢→関西空港
 仕事場から初めて旅へ向かう。私にとっては旅も、そして仕事もこよなく大切なもの。どっちがどうということはない。

 完全なるバカンス。私の中はカラッポで、目的も手段も結果もそういったものは一切求めない。ただ、私が私でいることを無意識に感じられたらいい。こういう時に小さな1週間の旅に出られることを感謝したい。家族や仕事場のみんな、友人…。

 今回は本を携えない。これは私の中から何かをつくり出すための旅でもあるからだ。"create" 私は自分の向かっている方向が分からない。それでも、向かっていきたい方向は漠然として表われていて、見い出せなくて立ち止まっている。

 私の芽は一体どこへ出るのか?

 何をcreateすることで、何を伝えていきたいのか。

 inspiration...私が感じて伝えたいことをどんな表現にすれば、私らしく伝わるのか?

 電車が動き出した。

 こうした時間のみが無我夢中でいられる。

 たった一人で旅をしていても精神的にはちゃんと誰かは見守ってくれる...そんな旅。………こうやって旅に出ることが、自分にとっても、誰かにとっても幸せな結果になる。そんな旅があってもいい。

 太陽が傾いていく。同じ地球の上で起こっていることなのに、今日は意味が違う。太陽が沈む今、旅が始まろうとしている。

 もう、私の中から涌き上がる感情は沸いてこないのかな?………

 本当に美しいものってどこにあるの?
 
 

■8/14 ▽関西空港
 私はどこへ向かっているのだろう。
 たった一つ、分かっていることは未来へ向かっているということ。

 旅に行くときも、日常を生きるときも、あまりに自分自身が変わらないので、驚く。可笑しくなる。もう、ありのままでいいのだ。誰にこびを売る訳でもなく、自分自身でまっすぐに立つ。立っていけるのだと思う。

 旅ってこんなもんだったっけ?ってフト思う。

 関西空港に居ると"レンゾ・ピアノ"(建築家)を感じる。彼は彼の表現を打ち出しているのだ。私は彼にはなりたくもないし、なれもしないが、彼の表現するものから、誰かが何かを感じているように、そういうものをつくる人を、芯から尊敬していることは確か。

 少し私は豊かになりすぎた。削ぎ落とせる部分はある。何を必要としていくか?そういったものに忠実に生きていきたいと思う。

 とうとうピーク期にチケットをとるような身分になってしまった。それは、私にとっては必要なものである………。

 順調すぎる位順調なことがこわい。今、とてもいい方向に人生が流れてきていて、そういうところでフト立ち止まりたくなる。どうしてだろう。
生き方ってのは、少しもうまくならないものだね。
 
 

■8/14 ▽バンコク・ドンムアン空港
 AM5:00前に降り立ち、時を待つ。飛行機というビッグモンスターに、私は運ばれている。自分で選んだ旅先、自分で選んだ便なのに、動かされている感は否めない。Transferのwaiting roomでは、自分の思いのままにイスを並べて寝込む人たちがいる。私はヒトリでも旅に出て楽しめるけど、一緒にこんな旅を楽しめるヒトを探すのも悪くないかなと思う。(CNNを見ながら…)日本が今、世界のどの位置にいるのか?中にいると無意識で居られることが、一歩外へ出るとひしひしと突き刺さってくる。

 今回、私の荷物は驚くほど軽い。何かを忘れてきたのではないかと心配になる。
 バンコク〜ビエンチャンの飛行機に乗る人はどういう人だろう。陸路からでも行ける。私は貪欲に、その場所を知る、楽しむために…、イキナリ、オイルポットに飛び込む贅沢をワンフライトで買ったのだ。

 日本人はもともと流浪の民である。私は一体どこから来たのだろうか?
"origin" 私は今、こういうことが気になる。

 旅はいつも大切なコトを教えてくれる。

 やれ、こんなことをやってはや10年になろうとする。いつもいつもではないけれど、こういう存在が私の中に大きく占めていて、その中からつくられてきたものは、ハカリしれない。

 この地球の上には、普遍なもの、固有なものがあり、そういうことが、私を旅へと誘(いざな)っている。感じること、信じること、すべて、人間の存在意義はここにある。いろんな人と混じり合って、こうやって何かを待っている時、「旅」に出ているんだなぁと思う。飛行機がやけに眩しい。 
 

■8/14 ▽ラオス・ルアンプラバン
 風が気持ちいい。ここでは何をせかさずとも、時が流れている。
 水の上の風、緑...
 そういった当り前でいて、何でもないことが、今の私にはありがたい。

 私たちは、何を忘れてしまったのだろう。

 流れていくもの、流れてしまったもの。

 夕暮れ、暮れなずんでいくこの時をいとおしむ。私はココに確かめにきたのだ。何が大切で、どういう自分でいたいかということを。

 ここには時計がない。私には私のペースがある。

 スケッチ、思索。自らの中で沸き上がる思いを大切にしたい。 
 

■8/15 ▽ラオス・ルアンプラバン
 昨日は夕暮れから闇へと変わった後、スコール。宿に帰りたいのに帰れなくなり、ただひたすら外の闇に光る雨の糸を眺める。小降りになって外へ出ると、道が滝のよう。ぬかるむ道を歩く。自分から飛び込んでいかねばならない世界も世の中にはある。私はこんなところで一体何をしているのだろう?旅に求めるものが急速に小さくなっているように感じる。それは人生そのものでもそうだ。何も求めずとも生きていける。それは、ある程度自分が飽和しているから、出てくる科白でもある。朝だ。町へ出よう。

 おばあちゃんがいて、母がいて、娘がいる。家のことを手伝い、一生が終わっていく。そういう生き方をしている。日本はどうだろうか?家族と言う枠組、組織という枠組、そういったことに縛られていないといえる?………自らが、それぞれ本当に大切なものを見い出していく。1人1人が気付くことができるような、そんな生き方をしていく。何でも誰かにやってもらえる、こういう時代だからこそ、自らを動かし、その中から蓄え、何かをつくり出していける人が強いのだと思う。アジアの片隅でささやかに暮らしている人の顔を見ていると、私なんか全然負けてる。

 雨季なので、Mekongを流れる水がなみなみとしている。 
 

■8/16 ▽ラオス・ルアンプラバン
 昨日はタム・ティンへ。
 地球の上を水が覆っていること、ほんの一点、私がその風に吹かれている。
 生きるのに意味はないけれど。

 次になれる職業があるなら、私は"母"になりたい。

 だんだん日本という国が遠くなる。あの国で個人的感情を抱いていたことが馬鹿々々しくなる。ゆっくりゆったり時を過ごすこと。それで見えてくることも、たくさん×2 あるのです。

 クアンシーの滝へ。2日続けてメコンの風に吹かれる。GAIAに抱かれているような気がした。地球という星は、自然(水や大地、木)などのオブラートで包まれていて、私たちもその一部。メコンという水の恵みは、ここに与えられて然るべきもので、この恵みがどれだけの人に豊かさを与えているか計り知れない。

 昼下がり、何でもなく時が過ぎ、影が長くなっていく。日が傾いていく。私はアップルシェイクを飲み干しながら、ファンの風に吹かれ、アジアの午後に溶かされていく。
 
 

■8/17 ▽ラオス・ルアンプラバン
 あやうく日付を忘れそうになる。

 .....あまりの暑さに生きていることそのものがどうでもよくなる。朝と夕方しか機能していない。………ただ、なんでもないことをなんでもなく生きることで、私は何者でもない存在になる。毎日が暑すぎて、何も考えられない。そんな時間が大半で、ほんの少し夢を見たり、何者でもない日常を生きたりしている。それが正しいとか良いとか悪いとか間違ってるということではなく、そういったことを達観している。

 ラオスでは靴をぬぐ習慣がある。もしかして、ここに住んでいた人が私たちの祖先かもしれない。旅の中で、民族について、宗教について、風俗について、慣習について考える。その固有性たるや、人の「暮らし」なのである。

 果てしなく広がる地球の上に、私たちは何を感じ、何をinprintしていくのだろう?全く必要のないことが存在しているのだろうか?私たちは一体どこへ向かっているのだろう?こんなことを地球の片隅で考えていたりする。

 1つ思う。私は、受け入れられるものは、できるだけ受け入れる。しかし、それは、自らが、よい状態で居られるときのみということ。

 満足してはいけない。続けていくことで見えてくることもある。
 もう、私自身について、うだうだ考えることはやめた。
 地球全体で以て、調和がとれている状態へとmoveしていきますように。

 今日の朝焼けは美しかった。きっと夕暮れも美しい。

 身の回りについては、少しずつ整理して手放していこうと思う。私は十分持っている。持ちすぎているくらいだ。たくさんのものに囲まれて呼吸困難になりそうになる。身を削いでいこうと思う。

 私の中に太陽という存在が入ってきて、私は熱くなる。
 私の中に風という存在が入ってきて、私は清らかになる。
 私の中に水という存在が入ってきて、私は生き還る…。

 こんな場所にいると、私はただただこういう場所で生きるだけの強さを持ち合わせていないのではないかと思う。 
 

■8/18 ▽ラオス・ルアンプラバン→ビエンチャン
 出発までのヒトトキをメコン河沿いで風に吹かれて時を過ごす。………

 ラオスはイヤシドコロか?

 いろんな光を目に焼きつける。

 カーン河沿いは、17.18日とボートレースですごい人だかり。
 メコン河沿いは、いたって静か…。青い空と入道雲…木陰で冷たいバナナシェークを飲みながら時を過ごす。極楽ゴクラク。

 そういえば、昨日の夜、停電した。もう帰ろうと別れたところで、回復した。

 ルアンパバーンでの1日は、一番鶏の声とともに始まり、
 タクハツ→あさごはん→散歩…→  

 私は居場所が欲しいのだと思う。

 かまどで炊くにおいとか、読経の声、メコン河の光。いろんなものを自分の体の中に入れている。ここちよいまでにRelaxした休日。私は"人生"に疲れていたのかもしれない。

 大きな木に守られている。
 大きな地球に抱かれている。
 私は自分の足で地球の上に立っていたいのだ。

 雨の中のサイクリング。橋の上を渡ったこと。Sunsetを見ていたこと。道という道をそぞろ歩いたこと。私はココを忘れない。こういう時間があることを………。目を閉じるとよみがえってくるMovie。私は、私自身を旅し、何者でもない私が、地球のどこか一点に存在していることをいとおしく思う。

 "私には何ができるだろう"ここ数年、私の中には、いつもこんな気持ちが渦巻いていた。何でもできる…そんな気がして、何もできてない。していない。そんなジレンマの中にいる。見つからないのだ、私には。自分の表現すべきものの明確な回答が。そういったことを無理に求めるのはどうかな?と思う。きっと踊り出す日が来るだろう。「待つ」つらくても楽しみながら待つ。そういった中で見つかっていく。

 あの雲も動いている。雲は自分の力で大きくなっているのか?

 じたばたしない。自分のできることを「今」やっていくのみだ。自分が感じたことを表現していくのみだ。時は流れ、私はどこへ行くのか?今日の私は、行き先が決まっているけれど、ホントの私はまだ"WT"(ウェイティング)である。

 哀しいまでに青い空が拡がっている。私は私で生きている。ただそれだけだ。ほんの少しのそういう力に支えられて、私は私でいるのだ。カテゴリーで分けることなく、1つの存在でいたいと思う。
 
 空港でJICAのアンケートを受ける。ルアンプラバンの経済効果。いつまでも変わらずにあってほしい。それは旅人のセンチメンタルなわがままなのだろうか?
  
 

■8/19 ▽ラオス・ビエンチャン
 私はホントに人の世話になるばかりで何もしていない。心の記憶に"優しさ"のみが刻まれていく。

 どんな運命をも生き抜く力はある。だからこそ、私は"旅人"なんだと思う。
 

■8/20 ▽ラオス・ビエンチャン
 夕陽…ほんとうにそれが色を帯びて、意味あるもの?となるのは、完全に太陽が沈んでから…。太陽の存在がなくとも、ドラマはある。森羅万象においてもそういうことは言える。
 ………
 ヒトの感情というのは、自分の感情が相手の心の鏡にうつって、自分に返ってきているにすぎない。
 去っていった者でも、本当に価値が残響として意味を帯びてくるのは、なくしてからかもしれない。

 私がずっとヒトリなのは、ヒトリでいたいとどこかで強く思っているトコロがあって、フタリで共有する何かを持ち合わせていない…ということなのかもしれない。ネガティブにとらえることなく、ただ単にそういうことなのだ。

 国家や組織…そういったものにこだわっていると、真の個人の力は見えてこない。その個人の力を強めることはできない。今、必要とされているのは、個々がいかに人や地球と共存していくために"やさしさ"という本当の強さを提示していくこと。

 大切にしなければならないことは、もう分かりすぎる位分かっていて…。私はいつまで"旅"を続けていくのだろう?
  


 

 DATA   

■DATE■ 2001.8.13→8.21
■STAY■  Laos
                      →Luang Phabang
                      →Vientiane

□FAVORITE!
 ・のんびり、ゆったり =ラオ・タイム
 ・メコン河でボートゆらゆら
 ・FRUITS SHAKE!+Beer Lao!!「一体何杯飲んだろう?」
 ・朝の散歩…托鉢との出会い… 
 ・一番鶏が目覚まし時計! 
 
□I was 29 years old.
 恒例?!ナツのタビ・シリーズ!!!
 行けるトキに行けるトコロへ行く。それでいいのだ。ただひたすらアジアで深呼吸したかった。ヒトには説明しにくい、ある種の病気なのかもしれない。旅に出ないと、生きた心地がしないという。勿論、ココでの暮らしも落ち着いてるし、これ以上欲しいものなんてない…。私を生かしているものがあるとすれば、身の回りに感じる「愛」すべてと、旅に出たいという煩悩(笑)「建築」に関して言えば、ずっと、深いトンネルに入っているような状況。1つのことを情熱を持って続けていくことのムズカシサ。仕事という惰性の中で見失ってしまったのだろうか?

□STYLE:Alone. But I met many ......
             Special thanks
     Nishigaki chan and........, Morioka san,Nagai san!,Mariko san.....
            :By Self produce plan
 
 













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