福井ヤクルトスワローズを彩ったスター達

福井ヤクルトスワローズで活躍した選手達の記録を
ここに残そうなどと考えてみる。

永久欠番
11 荒木 大輔
(史実では高校野球に旋風を巻き起こしたヒーロー プロでは故障に泣いた)
ていうか、↑の部分だけでは史実のすべてを語る事ができないスーパー選手。
早実の1年生エースとして甲子園に出場。
甲子園大会には5回出場して、荒木フィーバーを巻き起こす。
その年生まれた男の子につけられた名前第1位に『大輔』が選ばれるくらい凄かった投手。
現在のスーパーヒーロー松坂大輔の『大輔』も
両親が荒木大輔に影響されてつけたものだという。
ヤクルトファンの清水Kさんは。 愛を込めて育てたのだった。
↑ ただ荒木大輔の背番号を覚えていなかったというのは秘密だ(爆)
はぁ・・・ お恥ずかしい限りです。
それはさておき、愛を込めて育てた荒木大輔
怪我も無くスランプも無く32歳で引退するまで常に主力として活躍。
14年という短めの選手生活だったが、福井スワローズ2人目の200勝投手となるなど
6度の最多勝という素晴らしい成績を残して去っていった・・・
スワローズに所属したのは、2X06年〜2X19年まで。
最優秀防御率1回
最 多 勝6回
最多奪三振1回
2X07年度新人賞
出場試合373試合実動年数14年
通算投球回数2243 1/3通算勝利数207勝
通算防御率2.55通算敗戦数49敗
通算勝率.809通算セーブ数27S
通算奪三振1395個通算SP6SP

3 アレックス・ラミレス(史実ではホームラン打ったら『あいーん』 ペタジーニの相方)
ヤクルトが長年ラブコールを贈っていた選手。
来日後は、ペタジーニと共にヤクルトの貴重な長距離砲・・・
のわりに、主力として活躍した時も年間で本塁打は20本程度。
そんなに大騒ぎするような活躍はしていない(笑)。
以前ヤクルトスワローズにいたヘンスリー・ミューレンと同じような使われ方をした。
打順は基本的に8番。 クリーンナップを抑えても、その後に恐怖の8番打者がいる。
それが当時の福井スワローズ。
ていうか、単に5番打者とか任せられる器じゃなかっただけだけどね・・・
確かに長打力はあるけど・・・ なんかなぁ・・・ って感じで(笑)。
ホームランを打ったら、志村けんの『あいーん』をやる事でもおなじみ。
ヤクルトの助っ人外国人って、良い意味でも悪い意味でもお調子者が多いよな。
プリクラ、ヘルメットに貼った奴とか。
↑ 覚えていますか? デュウェイン・ホージー
スワローズに所属したのは、2X01年〜2X10年まで。
出場試合1056試合実動年数10年
通算打数3641打席通算打点541点
通算打率.248通算安打数904本
通算本塁打144本通算盗塁数0本

永久欠番
53 五十嵐 亮太
(史実ではヤクルトスワローズのジャニーズ系)
甘いルックスで若い女の娘達に大人気の彼。
やきうの実力も本物で、2X04年から2X11年まで・・・
実に、8年連続で最優秀救援のタイトルを獲得。 球界最高峰の抑え投手になった。
このゲームでは、防御率が5点台とか6点台なのに
救援のタイトルが取れてしまう、納得のいかないことが多々あるが
彼の場合は、常に2点台から3点台の防御率をキープしたし
まぁ、合格点ではないかと思う。
通算370セーブは、当然日本記録。 よって53番は永久欠番に。
読売ジャイアンツの最強外国人
アルモンテとタイトルを争ったのも、今となっては良い思い出である。
ちなみに、彼は歴代2位の350セーブという記録を持っている。 ← おいおい・・・
通算勝利数76勝、全部にセーブポイントがついているが
先発に回る機会が無かったわけではない。 先発も何度かやらせている。
投球スタミナはあるし、体力も集中的に鍛えて人並み以上になった。
今年は、先発でいけるんじゃないか? って思った年もあった。
が、先発では1度も勝てなかったのだ(爆)。
彼の名誉のために、60回も救援失敗したわけではないと最後につけ加えておこう。
↑ でも先発で負けたんじゃん(笑)
ま、向いてなかったってことやね。
スワローズに所属したのは、2???年〜2X15年まで。
最優秀救援8回
出場試合799試合実動年数18年
通算投球回数1147 2/3通算勝利数76勝
通算防御率3.62通算敗戦数60敗
通算勝率.559通算セーブ数370S
通算奪三振593個通算SP446SP

16 石井 一久(史実ではヤクルトスワローズのエース・・・ のハズ)
ヤクルトスワローズのエースである。 間違いなくエースである。
たぶん・・・ エース・・・なんじゃないかな・・・?
なにしろ、いろんな意味でやってくれる投手で
ヤクルトファンとしては泣かされる事もしばしば・・・
実際、これを書いている当日も3回までに6失点してKOされている。
とにかく不安定なエース。
このゲーム中でも、何度か5回もたずにKO、他。
初回に大量失点、5者連続四球など、泣けるパフォーマンスをかましてくれた。
自己最高は1イニング13失点で ← しかも初回に
その日は、25−1で敗北という。 チームの歴史に残る大敗を演出してくれた。
↑ 2X06年の出来事です
とはいえ、なんだかんだ言っても160勝を記録。 エースなのだ。 ・・・たぶん。
が、なんと引退した2年後に
同姓同名(ということにする)の石井一久が入団!?
物議をかもし出した。
彼もまた、不安定な投手・・・ にならなければよいのだが・・・
スワローズに所属したのは、2???年〜2X10年まで。
最優秀防御率1回
最多奪三振3回
出場試合474試合実動年数19年
通算投球回数2403 1/3通算勝利数160勝
通算防御率3.44通算敗戦数110敗
通算勝率.593通算セーブ数1S
通算奪三振2093個通算SP18SP

28 入来 智(史実では読売ジャイアンツのエース・入来祐作のお兄ちゃん)
近鉄にドラフト6位で入団。
近鉄 → 広島 → 近鉄 → 読売と渡り歩くが
読売ではついに戦力外通告をうけてしまう。
しかし、あきらめずにヤクルトスワローズのテスト生として入団。
どん底から立ち上がり、見事先発ローテーションとして復活。
解雇した読売に対して見事完投勝利を果たし、リベンジ達成!!
気合に勝る天才無し!!
スワローズに所属したのは、2X01年〜2X05年まで。
出場試合272試合実働年数16年
通算投球回数694 0/3通算勝利数35勝
通算防御率4.18通算敗戦数37敗
通算勝率.486通算セーブ数22S
通算奪三振508個通算SP34SP

永久欠番
1 岩村 明憲
(史実ではヤクルトスワローズの将来有望な若手)
球界でも屈指の大打者。
打率が4割を超えたりと、人間界の常識では考えられない成績も残し
3年連続を含む、5回の三冠王を達成。
首位打者6回は、鈴木一朗に次いで、史上2位。
本塁打王8回は、王貞治野村克也に次いで、史上3位。
打点王7回も、王貞治に次いで史上2位の記録だ。
そのほか、盗塁王も2度獲得しており、打撃部門すべてのタイトルを獲得。
オールマイティな活躍ぶりだった。 通算安打数、3173本は歴代2位。
もちろん、背番号1は永久欠番。
スワローズに所属したのは、2???年〜2X16年まで。
M V P8回
首位打者6回
本塁打王8回
打点王7回
最高出塁率4回
盗塁王2回
最多安打7回
出場試合2361試合実動年数20年
通算打数9303打席通算打点2048点
通算打率.341通算安打数3173本
通算本塁打640本通算盗塁数219本

28 江夏 豊(史実ではなんか・・・ もう・・・ とにかくスゴイ投手)
若干20歳で、401奪三振のシーズン記録作るわ
オールスター戦で9者連続奪三振を達成するわ
日本シリーズで奇跡の21球と呼ばれる投球を披露するわ
延長11回に自分で決勝ホームラン打ってノーヒットノーラン達成するわ
優勝請負人として何球団も渡り歩くわ
セ・パ・両リーグでMVP獲得するわ
36歳で渡米してメジャーリーグに挑戦するわと、とにかくスゴイ選手。
福井スワローズにおいては・・・ まぁ、なかなかの成績を残した投手。
とにかく、先発やらせても抑えやらせてもバッチリなスーパー投手。
ホントは、200勝200Sの偉業も達成して欲しかったが。
ていうか、実際に史実で残したような成績は不可能だよ。 こんなもん。
だって、通算で206勝して。
しかも、実質300セーブ以上記録しているんだから。
300セーブて。 浜の大魔神どころの話ではないぞ。
↑ 当時は最優秀救援のタイトルが無かったから記録には残らなかったんだって
現役で活躍できるのは18年か19年ってところだ。
先発に使って、1年に23勝したとして9年。
それから抑えにまわして1年34セーブずつやったとして9年。
これで、18年で207勝。 306セーブ。 頑張れば・・・ 達成できるか?
スワローズに所属したのは、2X08年〜2X22年まで。
最 多 勝2回
最優秀救援1回
出場試合890試合実動年数18年
通算投球回数1791 1/3通算勝利数153勝
通算防御率2.96通算敗戦数43敗
通算勝率.781通算セーブ数82S
通算奪三振1065個通算SP147SP

99 大山 孝弘
スワローズが福井に移転した年にテスト生として入団。
そして、12年にも及ぶ2軍生活。 耐えに耐えた入団13年目。
先発ローテーションに加わり、防御率2.92。
18勝3敗という素晴らしい成績で1軍デビュー。 彼の苦労はこうして報われた。
選手生活18年の中で、1軍で過ごしたのはわずか6年間ながら65勝。
頑張ったぞ大山孝弘!! カッコいいぞ大山孝弘!!
スワローズに所属したのは、2X01年〜2X18年まで。
出場試合162試合実動年数18年
通算投球回数703 1/3通算勝利数65勝
通算防御率3.40通算敗戦数18敗
通算勝率.783通算セーブ数3S
通算奪三振480個通算SP8SP

6 奥森 洋文
2X03年にドラフト1位でスワローズに入団。
控えとしてベンチにいた期間が長かったが、入団9年目にレギュラーに定着。
30歳を超えてから頭角を現した選手で杉江忠義としのぎを削りあった。
この2人は、どちらも実に頼もしい打者に育ち
杉江忠義が4代目4番打者。 奥森洋文は5代目の4番打者となる。
まぁ、打順に何代目もクソも無いと思うが。
とにかく、ナイスな選手だったって事は伝わると思う。
34歳の時には全盛期を迎えたかとも思われたが
そのわずか2年後に現役を引退している。
M V P2回
首位打者1回
本塁打王2回
打点王2回
最高出塁率1回
最多安打1回
出場試合1707試合実動年数18年
通算打数5985打席通算打点1418点
通算打率.314通算安打数1882本
通算本塁打363本通算盗塁数70本

20 鎌田 祐哉(史実ではヤクルトスワローズ 2000年度ドラフト2位)
ドラフト2位でヤクルトスワローズに入団。
そして、その年に幸か不幸かスワローズは
よりによって、福井県などという偏狭の地に移転。
才能的には非凡なものをもっていて、試合に出しても安定した成績を残しているのだが
投球スタミナがあまり無い事もあり、先発としてマウンドに上がる機会も少なく
抑えとしても、当時は五十嵐亮太條辺剛という不動のリリーフエースがいたために
力がありながらも、中継ぎエースどまりだった。
スワローズに所属したのは、2X01年〜2X14年まで。
出場試合380試合実動年数14年
通算投球回数647 0/3通算勝利数44勝
通算防御率3.07通算敗戦数20敗
通算勝率.688通算セーブ数8S
通算奪三振593個通算SP37SP

43 上坂 太一郎(史実では阪神タイガース売り出し中の若手 F1セブンの1人)
阪神タイガースとのトレードで濱中治と共に入団。
スワローズでは主に2番打者として起用され
1番・東出輝裕、2番・上坂太一郎、3番・岩村明憲
100盗塁以上決めて、チャンスをつくり
ペタジーニで一気に得点する、ってパターンで当時のスワローズは頑張った。
スワローズに所属したのは、2X05年〜2X12年まで。
出場試合1542試合実動年数13年
通算打数4850打席通算打点440点
通算打率.245通算安打数1189本
通算本塁打87本通算盗塁数213本

永久欠番
37 清水 本名
(史実では福井県の汚点との異名を持つ とある清水K)
テスト入団から、大選手になった人物。 ていうか球団社長自身(爆)。
このゲームやってる人で、自分を入団させる人はほとんどいないらしいが
↑ 某公式BBSでの会話にて
福井スワローズの球団社長は、勢いで入団して。 勢いでレギュラーになり。
いつのまにか、好打者と呼ばれ。 いつのまにか、全日本代表に選ばれ。
いつのまにか、チームの4番打者を任され。 気がついたら、2760試合も出場してしまい。
いやはや、3339安打で日本プロやきうの通算安打記録を塗り替えてしまった。
ちなみに、史実での本人は自称人間のクズを名乗るダメ人間である。
ダメ人間ついでに、自己満足で背番号37を永久欠番にしてしまった。
ちなみに、37には理由があり。 それは、とある雑誌に投稿していて
良い意味でも悪い意味でも自分の人生を変えてしまったある出来事を表す数字から。
清水K本人のラッキーナンバー(だと思っている)とも言われている。
ちなみに、確かに2X20年に引退したハズなのだが
ゲーム中のプロやきう記録の欄では、出場試合数3位、通算安打数1位にランクインしているが
バグにより、いまだに現役選手の扱いになっている。
スワローズに所属したのは、2X01年〜2X20年まで。
M V P1回
首位打者2回
本塁打王1回
打点王2回
最高出塁率3回
最多安打3回
出場試合2760試合実動年数20年
通算打数10546打席通算打点1926点
通算打率.317通算安打数3339本
通算本塁打510本通算盗塁数17本

57 條辺 剛(史実では読売ジャイアンツの中継ぎエース)
当時、圧倒的強さを誇っていた読売ジャイアンツの中継ぎエース。
彼を獲得したのは、2X05年。
打倒読売に燃えながらも、あえて当時のクリーンナップの1人。
大村直之を放出して獲得。 スワローズは念願の中継ぎエースを獲得。
五十嵐亮太とのダブルストッパーで、黄金時代を支える事になる。
出場試合は1000試合を超え、なおかつ防御率も2点台。 素晴らしい投手だった。
残念なのは、スタミナ不足のために先発として活躍する機会が少なかった事か・・・
スワローズに所属したのは、2X05年〜2X18年まで。
最優秀救援3回
出場試合1060試合実動年数19年
通算投球回数1367 0/3通算勝利数84勝
通算防御率2.65通算敗戦数48敗
通算勝率.636通算セーブ数207S
通算奪三振593個通算SP286SP

7 杉江 忠義
福井スワローズが初の日本一を獲得した2X07年のドラフト2位。
この年のドラフト1位は、あの有藤道世
ペタジーニ戸田涼太郎。 2人の偉大な一塁手。
ペタジーニ引退の翌年。 新人賞を獲得する大活躍でデビュー。
戸田涼太郎入団した3年後に引退している。
なんか、この2人のつなぎ役的な存在だったが
ペタジーニ岩村明憲清水本名に続く4代目4番打者。
生涯打率.343。 MVP2回。 4番打者として十分すぎる活躍をしてくれた。
スワローズに所属したのは、2X07年〜2X22年まで。
M V P2回
首位打者2回
本塁打王2回
打点王2回
最高出塁率1回
最多安打2回
2X10年度新人賞
出場試合1620試合実動年数15年
通算打数5097打席通算打点1203点
通算打率.343通算安打数1748本
通算本塁打368本通算盗塁数89本

17 高橋 直樹(史実では日本ハム、広島、西武、読売で活躍した投手 通算169勝)
2X09年に西武ライオンズとのトレードで獲得。
現役生活は17年。 30代後半まで、その肉体は成長を続け
実に40歳まで1軍でバリバリ働いてくれた。
時には中継ぎ、時には抑えと、いろいろな場面で活躍したが
この17年を、ずーっと先発に定着させていたら
200勝・・・ いや、250勝くらいはやったかもしれない。
スワローズに所属したのは、2X09年〜2X22年まで。
出場試合381試合実動年数17年
通算投球回数1604 2/3通算勝利数125勝
通算防御率3.14通算敗戦数46敗
通算勝率.731通算セーブ数17S
通算奪三振884個通算SP32SP

4 西尾 博志
福井ヤクルトスワローズとして、初のドラフト会議で獲得した選手。
主に、センターで起用された。 打席は2番か8番。
外野の守備の要として活躍したが、30歳の若さで現役生活にピリオドを打った。
スワローズが福井に移転して以降、ドラフトで獲得した選手で1番初めに引退した選手が彼だ。
純粋な福井スワローズ生え抜き引退者第1号。
スワローズに所属したのは、2X02年〜2X13年まで。
出場試合1089試合実動年数12年
通算打数2818打席通算打点342点
通算打率.263通算安打数742本
通算本塁打56本通算盗塁数36本


58 西本 聖(史実ではドラフト外で読売に入団 ドラフト外選手初の150勝投手)
2X05年に中日ドラゴンズとのトレードで移籍。
16年間にわたり、スワローズでプレイ。
30歳を超えてから頭角を現しだし、晩年は先発ローテーションで活躍。
しかし、生涯防御率は4.54。
福井スワローズの100勝投手の中では一番悪い数字。
スワローズの黄金時代で
まわりの主力投手が1点台、2点台の防御率を簡単に残している状況で
1人だけ、4点台の防御率だったり。
一見、完璧に見える能力値だった彼に。 なにが足りなかったのだろうか。
スワローズに所属したのは、2X05年〜2X20年まで。
出場試合373試合実動年数18年
通算投球回数1579 1/3通算勝利数107勝
通算防御率4.54通算敗戦数69敗
通算勝率.608通算セーブ数11S
通算奪三振1004個通算SP45SP

永久欠番
47 野口 茂樹
(史実では中日ドラゴンズのエース)
2X01年にFAを宣言して、スワローズに入団。
まさに、エースと言うに相応しい成績を常に残し続けた。
47番は球団史上初の永久欠番になった。
生え抜きではないが、212勝中150勝近くをスワローズで上げているんだし。
彼のおかげで、球団が軌道に乗ったのは間違いが無いので
永久欠番にする事には、なんの問題も無い。
スワローズに所属したのは、2X02年〜2X12年まで。
M V P1回
最優秀防御率3回
最 多 勝2回
最多奪三振2回
出場試合494試合実動年数20年
通算投球回数2817 1/3通算勝利数212勝
通算防御率3.08通算敗戦数108敗
通算勝率.663通算セーブ数3S
通算奪三振2070個通算SP15SP


永久欠番
2 東出 輝裕
(史実では福井県出身 広島東洋カープの若手でも筆頭か)
福井県が産んだ巧打者。
福井県出身で、彼以上活躍する選手は二度と現れないかもしれない。
敦賀気比高校で、夏の甲子園ベスト8まで勝ち進み
2年後、ドラフト1位で広島東洋カープに入団。
2X02年に、トレードで福井県に帰ってきた。
1番打者として6度の盗塁王。
バッティングでも首位打者を獲得して、3割近い生涯打率を残している。
福井県最高のやきう選手として、背番号2は永久欠番となっている。
スワローズに所属したのは、2X02年〜2X16年まで。
首位打者1回
最高出塁率2回
盗塁王6回
最多安打1回
出場試合2432試合実動年数19年
通算打数9523打席通算打点908点
通算打率.295通算安打数2809本
通算本塁打212本通算盗塁数554本

15 平本 学(史実ではヤクルトスワローズ 2000年度ドラフト1位)
ドラフト1位でヤクルトスワローズに入団。
そして、その年に幸か不幸かスワローズは
よりによって、福井県などという偏狭の地に移転。
即戦力として期待されたが、制球力に難があり
入団当初は、先発させても四球連発で自爆する事もしばしば。
しかも、当時のエース石井一久も制球力の無い投手。
2人で仲良く自爆したりと、当時の投手陣の中でもインパクトは強かった。
が、彼の場合は入団したてという事で若かった。
これから育つ投手だったので、とにかく練習。 練習を重ねて弱点を克服。
入団4年目には、防御率2点台で16勝。 チームの最多勝ち星を記録。
2X07年には、野口茂樹石井一久前田浩継
この3人と共に投手陣の柱となり初の日本一に貢献。 世界選手権でも金メダルを獲得。
この年から、毎年好成績を残すようになり
2X11年には、ついに最優秀防御率のタイトルを獲得。
当時のスワローズで、一番大きく成長した選手であろう。
記録には残らなかったものの、記憶に残る選手だった。
ていうか、入団当時から比べられる事の多かった石井一久
勝ち星数では追い抜いちゃったもんねぇ(笑)。
スワローズに所属したのは、2X01年〜2X15年まで。
最優秀防御率1回
出場試合382試合実動年数15年
通算投球回数2232 2/3通算勝利数169勝
通算防御率3.61通算敗戦数90敗
通算勝率.653通算セーブ数1S
通算奪三振1196個通算SP1SP

23 藤井 秀悟(史実ではヤクルトスワローズの若きエース)
ヤクルトスワローズの若きエースという事で
多大なる期待をよせた選手だったが・・・
つねに、チームの負け頭。 防御率4点台、5点台はざらという
予想外に、期待に答えてくれない投手だった。
能力的には、他球団のエースと見比べても決して見劣りしないのに
試合に出るとめった打ち。 いったいなにがいけなかったのだろう。
なんとか100勝を達成したが、防御率は4点台と
勝ち星のわりに、活躍したという印象が薄い選手になってしまった。
スワローズに所属したのは、2X??年〜2X13年まで。
出場試合408試合実動年数14年
通算投球回数1704 2/3通算勝利数104勝
通算防御率4.17通算敗戦数101敗
通算勝率.507通算セーブ数25S
通算奪三振983個通算SP41SP


47 前田 浩継(史実ではオリックスを2年で解雇  ヤクルトにテスト入団  そして・・・)
見事、地獄からよみがえった投手。
入団してわずか2年で解雇。
しかし、ヤクルトにテスト入団して。 その年にプロ初勝利。
その翌年には、先発ローテーション入り。 なんか、スゴイ投手。
↑ で名前が挙がった入来智といい
他球団を首にされた選手が主力になり
あまつさえ、そんなチームが優勝争いをするまでになるんだから・・・
前田はその後も10年以上主力として活躍。
ついには、通算100勝をも達成したのであった。
背番号は47だが、同じ番号の野口茂樹が入団して11番に変更。
さらに、その11番も荒木大輔に譲り。
晩年は、その功績を称えエースナンバーの18でプレイした。
スワローズに所属したのは、2???年〜2X11年まで。
出場試合312試合実動年数15年
通算投球回数1616 1/3通算勝利数106勝
通算防御率3.55通算敗戦数80敗
通算勝率.570通算セーブ数2S
通算奪三振1102個通算SP8SP


42 メルヴィン・バンチ(史実ではノーヒットノーランもやった中日ドラゴンズの投手)
なんとなーく獲得して、とんでもない活躍をした投手。
先発ローテーションとして大活躍。 入団3年目にはノーヒットノーラン達成。
2X20年には、最優秀防御率、最多勝、挙句の果てにMVPまで獲得。
なにがスゴイって、全然負けない強運の持ち主。
いくら、当時のスワローズが平気で100勝以上するチームでも
通算でも17敗ってのは、ちょっとド肝抜かれてしまった。
この人、スカウトランクBで5200万円の年俸は格安でッせ。
スワローズに所属したのは、2X14年〜2X22年まで。
M V P1回
最優秀防御率2回
最 多 勝2回
出場試合176試合実動年数9年
通算投球回数1021 1/3通算勝利数105勝
通算防御率2.65通算敗戦数17敗
通算勝率.861通算セーブ数6S
通算奪三振610個通算SP9SP

00 優希堂 龍之助
2X01年の12月に、テスト生として入団。
テスト生ながら、入団1年目から正捕手の座を獲得。
12年間、1試合も休まずにマスクをかぶり投手陣を勝利に導いた。
バッティングの方でも活躍し、打率3割、20本塁打、盗塁もできる好打者。
4回の世界選手権出場は、チーム内の最多記録。
当時の日本プロやきうでは城島健司と並び称される最高の捕手。
ちなみに、名字は『ゆうきどう』と読み、全国でも数人しかいない珍しい名字。
スワローズに所属したのは、2X02年〜2X15年まで。
出場試合1776試合実動年数14年
通算打数6413打席通算打点988点
通算打率.281通算安打数1805本
通算本塁打220本通算盗塁数67本

9 ロベルト・ペタジーニ(史実ではヤクルトの頼れる4番打者)
このゲーム中では、タイトルは4つしか獲得できなかった。
松井秀喜さえいなければ、タイトル数はもっと増えたハズ。
永久欠番にしたいほどの、偉大な選手でした・・・
スワローズに所属したのは、2???年〜2X09年まで。
首位打者2回
本塁打王1回
最高出塁率2回
最多安打1回
出場試合1297試合実動年数11年
通算打数4401打席通算打点960点
通算打率.324通算安打数1428本
通算本塁打307本通算盗塁数17本


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