福井スネークスを彩ったスター達
福井スネークスで活躍した選手達の記録を
ここに残そうなどと考えてみる。
S = スネークス歴
岩村 明憲(史実ではヤクルトの将来を有望視される清水Kイチオシな若手選手)
スネークス誕生の年に、ヤクルトとのトレードで入団。
誰もが認めるであろう、球団史上最強の打者に成長した。
32歳のときには、打率.452 本塁打91本 208打点、256安打と
人間界の常識として、考えられないような成績を残した。
2年後には222打点を記録し、自らの大記録をさらに塗り替えている。
8度の本塁打王は、王貞治、野村克也に次いで、史上3位。
打点王8回も、王貞治に次いで史上2位。
打撃部門すべてのタイトルを制覇し、2年連続を含む3度の三冠王。
通算安打数と通算打点数で日本記録を更新し、本塁打も史上2位。
打つだけではなく、走っても323盗塁など
球団社長もビックリのオールマイティーぶり。
たしかに、その将来性に惚れ込んで、トレードで獲得したが
ココまでの、世界を代表するような選手に成長しようとは・・・
もちろん、背番号1は永久欠番。
史実の岩村明憲は、この半分くらいの成績は残せるだろうか・・・
在籍した年数は17年間。
S1年 〜 S17年
M V P | 6回 |
首位打者 | 4回 |
本塁打王 | 8回 |
打 点 王 | 8回 |
最高出塁率 | 4回 |
盗 塁 王 | 1回 |
最多安打 | 6回 |
出場試合 | 2281試合 | 実動年数 | 19年 |
通算打数 | 9558打席 | 通算打点 | 2224点 |
通算打率 | .351 | 通算安打数 | 3358本 |
通算本塁打 | 758本 | 通算盗塁数 | 323本 |
小笠原 道大(史実では日本ハムファイターズの至宝)
NTT関東から日本ハム入り。 恐怖の2番打者として活躍する。
スネークスでは4番として活躍し、初の日本一に大きく貢献した。
在籍した年数は13年間。
〜 S10年
本塁打王 | 1回 |
最多安打 | 1回 |
出場試合 | 1421試合 | 実動年数 | 13年 |
通算打数 | 5167打席 | 通算打点 | 859点 |
通算打率 | .310 | 通算安打数 | 1603本 |
通算本塁打 | 272本 | 通算盗塁数 | 169本 |
金子 誠(史実では日本ハムファイターズ鉄壁の二塁手)
常総学院高校から日本ハム入り。 新人賞を獲得する。
守備力は球界でも随一。 10年以上にわたって、2塁を守り続けた。
打者としても、2000本安打を達成しており
彼以上のセカンドは、もう入団しないのではないかとすら思える。
在籍した年数は18年間。
〜 S12年
出場試合 | 2015試合 | 実動年数 | 18年 |
通算打数 | 7530打席 | 通算打点 | 798点 |
通算打率 | .270 | 通算安打数 | 2030本 |
通算本塁打 | 173本 | 通算盗塁数 | 257本 |
金村 暁(史実では日本ハムの若手投手 将来は大投手に?)
仙台育英高校から日本ハムに入団。
スネークスでも大活躍を続け、球団史上初の200勝投手となる。
3度の最優秀防御率を獲得し、見ていて安心出来る投球は定評があった。
背番号16は、永久欠番になっている。
在籍した年数は18年間。
〜 S13年
最優秀防御率 | 3回 |
最 多 勝 | 2回 |
最優秀勝率 | 3回 |
出場試合 | 361試合 | 実動年数 | 18年 |
通算投球回数 | 2285 | 通算勝利数 | 200勝 |
通算防御率 | 2.47 | 通算敗戦数 | 74敗 |
通算勝率 | .730 | 通算セーブ数 | 3S |
通算奪三振 | 1309個 | 通算SP | 6SP |
シャーマン・オバンドー(史実では日本ハムの頼れる4番打者)
福井スネークスの1年目。 チームは最下位ながら、三冠王に輝く。
30勝できたら上出来だと思っていた1年目に
52勝もできたのは、彼の活躍のおかげなのは間違い無い。
そして、背番号67は、日本球界初の(たぶん)外国人永久欠番となった。
が、永久欠番にした事を清水K社長は後悔しているとかいないとか・・・
ちょっと・・・ はやまったことしたよな・・・
在籍した年数は7年間。
〜 S6年
M V P | 1回 |
首位打者 | 1回 |
本塁打王 | 2回 |
打 点 王 | 1回 |
最多安打 | 1回 |
出場試合 | 698試合 | 実動年数 | 7年 |
通算打数 | 2406打席 | 通算打点 | 508点 |
通算打率 | .315 | 通算安打数 | 759本 |
通算本塁打 | 160本 | 通算盗塁数 | 1本 |
正田 樹(史実では日本ハムの若手投手 甲子園優勝投手だぞ!!)
桐生第一高校を甲子園優勝に導いた左腕。
その年のドラフトで日本ハムに入団した。
清水Kは、その年の甲子園を、たまたま、真面目に見ていたらしく
そのために、結構思い入れの大きい選手。
スネークス入団後も実力は伸び続けたが
成績に結びつかない、苦しい戦いが続き
ある年は最多勝争い、ある年は7点台の防御率と
好投手なんだかダメ投手なんだか、ハッキリしない選手だった。
しかし、年間18勝をあげて優勝に貢献した年もあったのだ。
在籍した年数は14年間。
S1年 〜 S14年
出場試合 | 413試合 | 実動年数 | 14年 |
通算投球回数 | 1615 | 通算勝利数 | 121勝 |
通算防御率 | 4.53 | 通算敗戦数 | 65敗 |
通算勝率 | .651 | 通算セーブ数 | 6S |
通算奪三振 | 876個 | 通算SP | 31SP |
関根 裕之(史実では日本ハムファイターズで頑張っている投手)
東北福祉大からドラフト1位で、日本ハムファイターズに入団。
福井スネークス創成期に、先発の柱として活躍した。
在籍した年数は11年間。
〜 S5年
出場試合 | 221試合 | 実動年数 | 11年 |
通算投球回数 | 1001 | 通算勝利数 | 61勝 |
通算防御率 | 3.45 | 通算敗戦数 | 50敗 |
通算勝率 | .550 | 通算セーブ数 | 1S |
通算奪三振 | 562個 | 通算SP | 9SP |
小鳥遊 翼
テスト生として入団し、気がつけばスネークス不動3番打者。
タイトルこそ取れなかったが、毎シーズン期待通りの成績を残した。
在籍した年数は14年間。
S2年 〜 S15年
出場試合 | 1591試合 | 実動年数 | 14年 |
通算打数 | 6264打席 | 通算打点 | 1073点 |
通算打率 | .297 | 通算安打数 | 1862本 |
通算本塁打 | 298本 | 通算盗塁数 | 85本 |
竹田 敏夫
金子誠の跡継ぎとして、スワローズとのトレードで移籍。
福井県出身の選手として注目を浴びる。 その守備には定評があった。
在籍した年数は14年間。
S8年 〜 S21年
出場試合 | 1812試合 | 実動年数 | 19年 |
通算打数 | 4776打席 | 通算打点 | 706点 |
通算打率 | .228 | 通算安打数 | 1090本 |
通算本塁打 | 134本 | 通算盗塁数 | 12本 |
田中 賢介(史実では東福岡高校から日ハム入りした将来有望の若手)
スネークス誕生の年がプロ1年目。
当時は人材不足だったスネークス。
入団1年目から、遊撃手のレギュラーを獲得。
そのまま、引退するまで19年間。 全試合に出場し続けた鉄人。
つまり、2565試合連続出場である。
そして、1万打席に到達した球団初の人物。
入団当初は、バッティングはまったくダメの
ひたすらに守備だけの人だったが、7年目あたりから覚醒。
打つ方でも主力として活躍し、4年連続盗塁王。
首位打者も獲得するまでにいたり、まさに球団最強の1番打者となる。
引退した当時に、安打数は歴代4位。
盗塁数でも歴代5位に入っている。
背番号3は永久欠番に。
在籍した年数は19年間。
S1年 〜 S19年
M V P | 1回 |
首位打者 | 1回 |
最高出塁率 | 1回 |
盗 塁 王 | 4回 |
最多安打 | 2回 |
出場試合 | 2565試合 | 実動年数 | 19年 |
通算打数 | 10330打席 | 通算打点 | 1421点 |
通算打率 | .293 | 通算安打数 | 3029本 |
通算本塁打 | 376本 | 通算盗塁数 | 660本 |
続木 宗八
福井県出身の即戦力として鳴り物入りで入団。
19歳で、防御率2.72 12勝1敗 という鮮烈なデビュー。
見事に新人賞を獲得。
先発の一角として活躍したが、その後は成績不信に悩み
スネークスのエースピッチャーとなるには至らなかった。
しかし、226試合、1053イニング投げて
奪三振383個という少なさは逆にスゴイ。
在籍した年数は8年間。
S13年 〜 S20年
新人賞 | 入団1年目 |
最 多 勝 | 1回 |
最優秀勝率 | 1回 |
出場試合 | 226試合 | 実動年数 | 8年 |
通算投球回数 | 1053 2/3 | 通算勝利数 | 92勝 |
通算防御率 | 3.66 | 通算敗戦数 | 20敗 |
通算勝率 | .821 | 通算セーブ数 | 4S |
通算奪三振 | 383個 | 通算SP | 8SP |
苫篠 誠治(史実では兄弟で活躍したやきう選手 お兄ちゃんの方)
西武ライオンズからトレードで移籍。
守備がためとしての出場が多かったが、晩年はレギュラーとして活躍。
つねに、3割を超える打率を残した。 外野の守備の要。
在籍した年数は13年間。
S8年 〜 S20年
出場試合 | 1279試合 | 実動年数 | 17年 |
通算打数 | 3434打席 | 通算打点 | 602点 |
通算打率 | .310 | 通算安打数 | 1064本 |
通算本塁打 | 130本 | 通算盗塁数 | 41本 |
野口 茂樹(史実では中日ドラゴンズのエースになれそうでなれない)
中日ドラゴンズからFAにて移籍。
中日時代にMVPを獲得した実績もあり、スネークス移籍後も
その期待を裏切ることなく、エースとして大活躍。
スネークス在籍中に4度の最多勝を獲得する。
背番号47は、永久欠番として登録された。
在籍した年数は10年間。
S2年 〜 S11年
M V P | 2回 |
最優秀防御率 | 3回 |
最 多 勝 | 4回 |
最多奪三振 | 1回 |
最優秀勝率 | 2回 |
出場試合 | 469試合 | 実動年数 | 18年 |
通算投球回数 | 2556 2/3 | 通算勝利数 | 187勝 |
通算防御率 | 2.76 | 通算敗戦数 | 89敗 |
通算勝率 | .678 | 通算セーブ数 | 14S |
通算奪三振 | 1844個 | 通算SP | 24SP |
福本 豊(史実では誰もが知ってる通算1065盗塁男)
オリックスブルーウェーブからトレードで移籍。
1番に田中賢介がいたため主に9番でのスタメンが多かった。
最強の9番打者。 30歳をすぎてから本格化。
在籍した年数は15年間。
S6年 〜 S20年
最高出塁率 | 1回 |
盗 塁 王 | 2回 |
最多安打 | 2回 |
出場試合 | 2070試合 | 実動年数 | 18年 |
通算打数 | 6624打席 | 通算打点 | 1151点 |
通算打率 | .338 | 通算安打数 | 2242本 |
通算本塁打 | 297本 | 通算盗塁数 | 385本 |
黛 薫
スネークス誕生の年に練習生として入団。
そのリードは球界最高とまで言われ
スネークス黄金時代の投手を勝利に導き続けた。
在籍した年数は12年間。
S1年 〜 S12年
出場試合 | 1079試合 | 実動年数 | 12年 |
通算打数 | 3484打席 | 通算打点 | 338点 |
通算打率 | .223 | 通算安打数 | 777本 |
通算本塁打 | 82本 | 通算盗塁数 | 4本 |
三沢 興一(史実では読売ジャイアンツで頑張っている)
読売ジャイアンツからトレードで移籍。
抑えのエースとして活躍し2年連続の最優秀救援投手となり
スネークスの初優勝に貢献した。
翌年には最多ホールドも獲得。
在籍した年数は6年間。
S3年 〜 S8年
最優秀救援 | 2回 |
最多ホールド | 1回 |
出場試合 | 426試合 | 実動年数 | 10年 |
通算投球回数 | 643 1/3 | 通算勝利数 | 33勝 |
通算防御率 | 3.36 | 通算敗戦数 | 37敗 |
通算勝率 | .471 | 通算セーブ数 | 95S |
通算奪三振 | 458個 | 通算SP | 125SP |
山口 龍郎
ドラフト評価Cランクの、まったくの無名選手から怪物へと成長。
入団当初につけた背番号『91』がそのまま永久欠番になっているが
『91』という背番号が与えられた事から見ても
選手的には、あまり期待はされていなかった事がうかがえる。
しかし、長い2軍時代を経て1軍デビューすると、一気にその潜在能力を開花させた。
チェンジアップ、スライダー、シュート、カーブ、シンカー、ナックルと
6つの変化球で打者を翻弄。
10年連続2ケタ勝利、うち6回は20勝を超え
7度の最多勝。 5度の三振王と、まさにエースとして君臨。
9割近い勝率も、まさに相手チームにとって驚異的な存在だったであろう。
31歳のこの年には、28勝199奪三振という素晴らしい数字を残している。
在籍した年数は15年間。
S8年 〜 S22年
M V P | 1回 |
最優秀防御率 | 3回 |
最 多 勝 | 7回 |
最多奪三振 | 5回 |
最優秀勝率 | 4回 |
出場試合 | 432試合 | 実動年数 | 15年 |
通算投球回数 | 2241 1/3 | 通算勝利数 | 216勝 |
通算防御率 | 2.80 | 通算敗戦数 | 26敗 |
通算勝率 | .893 | 通算セーブ数 | 7S |
通算奪三振 | 1488個 | 通算SP | 17SP |
横山 竜士(史実では清水Kも応援する広島カープの若手投手)
福井商業高校時代は、決勝で
強豪・敦賀気比に敗れて惜しくも甲子園には出れなかった。
その後、広島カープに入団。 そして、FA宣言をする。
福井県を代表する投手のFA宣言を清水Kが見逃すわけが無く
当時のスネークスは経営難だというのに、招き入れた。
その3年後、19勝で最多勝に輝き、見事故郷に錦を飾り。
翌年からは一転してリリーフエースになり
6年連続最優秀救援投手という偉業も達成。
通算セーブ数265は、引退した当時の歴代4位。
背番号23は永久欠番となり、福井県史上最高の選手として称えられている。
在籍した年数は10年間。
S4年 〜 S13年
最優秀防御率 | 1回 |
最 多 勝 | 1回 |
最優秀救援 | 6回 |
最優秀勝率 | 1回 |
最多ホールド | 1回 |
出場試合 | 609試合 | 実動年数 | 18年 |
通算投球回数 | 1790 | 通算勝利数 | 121勝 |
通算防御率 | 2.76 | 通算敗戦数 | 60敗 |
通算勝率 | .669 | 通算セーブ数 | 265S |
通算奪三振 | 1034個 | 通算SP | 307SP |
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