大東亜戦争時の日本軍の防空壕をゴア・ジパンという。
何故こんな不便な場所にゴア・ジパンがあるのか?
と、ブラタン湖のゴア・ジパンを知ったとき、疑問に思った。
その疑問を解くためにも是非に行ってみたかった。
ネット情報では、湖を船で渡るしかないとのことであった。
が、クトゥが調べたところ、徒歩で行けるとのこと。
是非に行ってみたいと、クトゥに頼んでいた。
彼女はそのことを覚えていてくれた。
彼女とその甥達、さらにその友人の大勢で、
賑やかにゴア・ジパンを探索して来た。
写真は、湖の際を歩く先頭のMさん。
昔は、こんな道もなかったのだろうか。
進めども、なかなか見つからない。
案内者であるグデ(クトゥの甥)も話に聞いて知ってるだけ、
行くのは初めてとのこと。
湖畔で魚釣りをしている人に、在り処を尋ねる(写真)。
グデが突然に右に折れ藪に入って行った。
で、「ここ、ここ!」と言う。
中は、真っ暗、何も見えない。
この写真もフラッシュを焚いて撮ったもの。
手前がオレ....これは、出口である。
防空壕は暗く、写真では写れていない。
突然に雨が降って来たので、出口で待機した時のものだ。
さて、こんなゴア・ジパン。
来て見て、前述の疑問が解けた。
まずは、その位置的意義から考えてみる。
日本軍がバリに上陸した頃のバリの重要都市は、
ジャワ海に面した北のシンガラジャ市とインド洋に面した南のデンパサール周辺都市であった。
その二つを繋ぐ唯一の街道がブラタン湖の西側を通る。
防空壕は、その街道のすぐ近くにあることになる。
人の往来が多く、攻め返すことの活動性に富んでいる。
次に、その地形的意義である。
防空壕は、湖の際の緩やかな崖下に掘られている。
緩やかであるが100m以上の高さがあって背後からは近づくことができない。
一方、前には湖があって近づく船は防空壕から丸見えである。
実に守りやすい処にある。
要するに「攻めやすく守りやすい」それがゴア・ジパンなのだ。
ゴア・ジパンを出たあと、地元の人に尋ねてみた。
と、日本人で見学に来る人は滅多にいないとのこと。
さらに、昔は入り口が三つあったのに、
その内のひとつは既に崩れてしまったとのこと。
今でさえ、崩れかかって入り口が判別できにくくなっている。
ブラタン湖のゴア・ジパン.....
間もなく藪の中に消えてしまうだろう。
まさに、兵(つわもの)どもが夢の跡、になろうとしている。
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