リ島の残留日本兵 


次表の31名は、私が現在知りえる全てである。
が、重複して方がいるかも知れない。
また、まだ知りえていない方も確実にいる。
したがって、人数については、
30名ほど」と発言してよいのでは、と思っている。

表の墓標とは、マルガ英雄墓地の碑のナンバーのことである。
現地の墓標339番には、クトゥト・スニョウとブン・チャングの2名の名前が刻まれている。
管理人は、同一人物で名前を二つ持っていたと言う。
が、そんなはずはない。
戦死した場所が違うからだ。
クトゥト・スニョウは、ムンドゥク・サワで戦死したことをバリ兵が証言している。
一方、ブン・チャングは、ププタン・マルガラナで戦死した96名のうちの、
一人であることがマルガラナ記念誌に記載されている。
二人が同一人物であるわけがない。
また、墓標1372番であるが、これは名前が知れない者を全て網羅した墓標である。
例えば、ププタン・マルガラナで玉砕した96.....
そのうちの3名が名前がわかっていない。
名前のわからないのは日本人である、といわれる。
それはともかくとしても、
工藤栄、そして曽我 の墓標は、1372番と考えて良い。

したがって、マルガ英雄墓地の中で、
日本人独自の墓標は11基あり、12人の日本人が祀られていて、
さらに、1372 番という特別な墓標に25名の日本人が祀られているということになる。

また、表の10人目に挙げた氏名不詳者であるが、
日本人としてプラガに慰霊碑まで建てられており確定した員数に含めた。