日本軍からインドネシア独立軍に渡った武器の数

オランダ軍と戦ったインドネシア独立軍には、
決定的に兵器の数が足りなかった。
そのため、なんとか日本軍から兵器を手に入れようと画策した。
日本軍の中には連合軍にばれないように、
なんとかインドネシア軍に兵器を渡そうとする者も現われた。


インドネシア軍に武器が足らなかったことを語る証言と、
日本軍から武器が横流しされた証言をひとつづつ紹介する。


インドネシア独立軍に不足する兵器

まずは、
愛媛県出身、海軍軍需部の上曹であった、井上助良が語って
いる、「足りない武器」の証言である。


(証言))

1946
71日、この頃からオランダ軍はバンドゥンから
ダイヤコロ地区に進出してきた。
飛行機からの援護射撃のもと、擲弾筒、機関銃を先頭に押し
立てたものであった。
インドネシア独立軍も応戦したが、兵器が足りなかった。
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式小銃20数挺と軽機2挺以外は竹槍のみであった。
いきおいゲリラ戦術をとらざるを得なかった。
村の辻々には、女子義勇軍も竹槍を持って警備に当った。
合言葉は「ムルデカ(独立)」。
多くの若者たちが赤鉢巻をし、独立の一念に徹した決死の姿
であった。


日本軍から武器を入手したとの証言

次にイ軍には相当の武器があり、それは日本軍から入手した
とする、石川県出身、16軍野貨廠、二等兵であった、桶健行
が語っている証言です。


(証言)

1946
2月、私はバンドン地区守備隊のアブトラ・サレー
部隊にいました。
同部隊は大隊編成で兵員500名ほどでありました。
兵器は日本軍の重機関銃3丁、迫撃砲5門、擲弾筒数筒、
軽機関銃、自動短銃、小銃などで数百丁、と、数は相当に
そろっておりました。
アブトラ・サレー部隊長の話によると、これらの武器は、
日本軍の兵器製造工場の幹部より入手したとのことでした。



日本軍の兵器の3分の2がイ軍に渡る(?)




日本軍の兵器の3分の2が
インドネシア軍に渡ったのでは
なかろうかと記述しているものがある。

そこに証拠としてあげられているのが、
第1表及び第2表の兵器数である。

第1表は、連合軍が作ったもの、

(ナスチオン著「インドネシア独立戦争をめぐって」)

で、インドネシア軍が
日本軍から奪取した兵器、
及び装備類の数値である。

下の第2表の右欄は、戦時中の日本軍保有兵器総数である。
終戦後に日本軍が、連合軍に報告したものである。

義勇軍の数字が書かれているが、日本軍保有兵器数は、
この義勇軍使用中のものも含んでいる。

で、第1表と第2表を併せ見ると、3分の2の兵器が渡った、
と考えてもおかしくないと、結論付けている。

少ない資料で結論付けるのはどうかと思うが、相当量の武器がインドネシア軍に渡ったようだと、大雑把な把握をしても良いと思われる。