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1、福祉友の会230名名簿
2、200号月報「抜粋集」掲載人名リスト
3、福祉友の会・現存者名簿(1982.4.1)
4、読売新聞大阪版(1981.12.3)
5、読売新聞74名名簿(1982.2.22)
6、厚生省帰還者名簿(1958.11.1)
7、在メダン日本国領事館作成名簿(1974.10.1)
8、日イ文化交流委員会・池上信雄氏提供資料
9、アジア問題ジャーナリスト加藤裕氏提供資料
であるが、
これらを集大成してカウントすると、
右表のとおり、903名という数字になる。
集大成を試みたのは、松下電子社員として、
インドネシアに勤務した坂根孝氏である。
氏は、903名という調査結果を「仕掛品」であって、
完熟した数字ではないと言っている。
が、ほぼ現実に近い数字であろうと思われる。
ひとつ気にかかることがある。
人数の把握に取り組んだ,
乙戸昇氏の次の言葉である。
「残留日系人数となると各地に残っておられた、
日系婦人も加算しなければならない」
と、言っていることである。
独立戦争を戦った自らが残留日本兵の
乙戸氏ご本人が言っているってことは、
そうしたことを痛感する事実があったからであろう。
そうしたご婦人のことが、
全く歴史の表面に出て来ていない。
時が過ぎ去りすぎて、もう掘り起こすことはできない。
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