山口百恵のファイナル・リサイタルを聴きに(見に)武道館へ行った。なにかが終わったということを、肌で実感したかったからである。その二、三日後、桜田淳子の『アニーよ銃をとれ』を見に新宿コマ劇場へ行った。
そこで今度はなにかがはじまったことを肌で実感した。
ミュージカル『アニーよ銃をとれ』をぼくがはじめて見たのは、ベティ・ハットン主演の映画だった。ハーバート・フィールズとドロシー・フィールズ夫妻による人情味あふれる台本、「ショウ・ビジネス」「ショウほど素敵な商売はない」その他のナンバーで胸をゆさぶるアーヴィング・バーリンの音楽、そしてスクリーンから飛び出してきそうなべティ・ハットンのアニー・オークリー。まだ学生だったぼくは、この映画を見たあと、しばらくは本を読んだり授業に出たりする気になれるいほど感動したものである。
次に見たのは、昭和三十九年、やはり新宿コマ劇場の江刺チエミ主演によるステージだった。おもしろかった。そしてチエミは、どこかべティ・ハットンに似ていた。
今度の桜田淳子は前の二人とはややちがうアニーだ。
でも、おもしろかったし、感動した。一九四六年にアメリカで生まれたこのミュージカルは、三十余年後の日本においてもみごとに生きていた。
ほぼ一世紀前のオハイオ州の片田舎に、アニー・オークリーという少女がいた。おんぼろ銃で山鳥を射ち、それを売って幼い弟妹を養っていた。近くの町に、バッファロー・ビル(池田鴻)が率いる「ワイルド・ウェスト・ショウ」一座がやってきた。花形射手フランク・バトラー(あおい輝彦)を呼びものとする一座である。フランクとアニーが射撃の腕くらべをしたところ、アニーが勝った。一座のマネジャーのチャーリー(左とん平)は、アニーをフランクの助手にやとうことにした。
野育ちで男の子のようなアニーは、スマートで男らしいフランクを一目見たときから好きになっていた。なんとかして彼の気に入るような女になろうと、アニーは読み書きを勉強したり、ショウの練習をひそかに積んだりした。
「ワイルド・ウェスト・ショウ」は、ある町でライヴァル一座とかちあい、客の奪いあいになった。そこで新しいショウが必要となり、アニーを一本立ちさせた。これが大当りをとって、アニーはスー族の大酋長シッティング・プル(ハナ肇)の養女に迎えられるという光栄を得た。だがフランクは、プライドを傷つけられ、アニーが自分を利用してスターの座にのぼろうとしていたのだと誤解して、ライヴァル一座に走ってしまった。
アニーが中心になった一座は、ヨーロッパに渡り、各都市で大成功を収めたが、宮廷や王室での特別公演が多かったため、勲章と名誉は得たが経済的には苦境に立たされた。そこで、やはり経営難におちいっていたライヴフル一座と合併することになった。アニーはフランクと再会した。
二人はまた射撃の試合をした。アニーの射つ弾はみんなはずれた。実はプル酋長の手で銃の照準がねじ曲げられていたからである。
見かねたフランクが自分の銃を貸すと、今度は百発百中だった。意気込むアニーの耳もとで、プル酋長がささやいた、「負けるが………勝ちじゃ。鉄砲では男はつかまらない」 すべてを諒解したアニーは、「私の負け! フランク・バトラーこそ世界一のチャンピオン!」と宣言した。二人はしあわせに結ばれ、合同一座はショウの旅を続けていくのであった。
実在の人物をモデルにした「サクセス・ストーリー」は、感動的ではあっても、夢が不足している例が多い。だが『アニーよ銃をとれ』には、笑いと涙を大きく包む夢がある。
岡田敬二の演出は、出演者一同の持ち味を存分に発揮させながら、その夢をステージから客席いっぱいにあふれさせていた。
桜田淳子のアニーは、ベティ・ハットンやチエミが野性味を発散してひたすら観客を圧倒したのにたいし、ときには可憐で頼りない乙女心を見せて観客の心を惹きつける、という瞬間があった。その芝居心あればこそ、一スター歌手にとどまらず、ミュージカル・スターとして新たな旅発ちをした、とぼくは肌で実感したわけである。
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