"My Pure Lady" Junko Sakurada

桜田淳子出演 舞台評「ア二ーよ銃をとれ」(新宿コマ劇場)




「アサヒグラフ」
「舞台うらおもて」
(吉岡範明)

「歌手桜田淳子に見るミュージカル女優の素質」

 

 もう終わってしまったが 和製ブロードウエイ・ミュ-ジカル「アニーよ銃をとれ」(東京・新宿コマ劇場10月公演)でヒロインのアニーを演じた青春歌手の桜田淳子の演技力には まさに目を見はるものがあった 日本に数少ない ミュージカル女優として 今後立派に大成できるだけの力があることを思い知らされた淳子のアニーであった
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   歌手芝居という言葉がある。当代随一の人気歌手が、大劇場での自分のワンマン・ショーで芝居を併演することである。ファンに対するサービスが、その主たる目的だが、現在、その芝居を打ち続けている歌手としては、三波春夫、北島三郎、美空ひばり、島倉千代子、水前寺清子らの名前を挙げることが出来る。

 歌手芝居は、戦前には、見られなかった現象だ。それが戦後台頭したのは、歌手の人気におんぶして利益の向上をめざそうとした興行資本のアイデアによるもので、それは、とりもなおさず演劇不振の挽回策につながるものであった。

 歌手芝居は、若いときから舞台に精魂を傾けて来た俳優から当初、白眼視されたものだった。演技の基礎もないくせに、ちょっとばかり人気があるからといって、へたな芝居を打つことは芝居に対する冒涜であり、歌手そのものにとっては邪道である、と極論する俳優さえいたものだ。その俳優たちの□ぐせは、「歌うたいのくせしやがって………」であった。こんな話が、いまもなお語り伝えられている。かつて、歌舞伎の殿堂である東京・歌舞伎座が、“小屋貸し"の形で、有名歌手のオンパレードを日を限って公演したことがある。その公演が終わった後、当時の歌舞伎の大御所の一人が劇場側に強く要求した。その言葉は、「歌うたいのやつらに板(舞台)を汚された。自分たちがけいこにはいる前に板を削れ!」というものだった。当時、歌舞伎座に出演した有名歌手たちが、もし、この言葉をすぐ後で耳に入れたとしたら、一悶着はまぬがれなかっただろうが、とにかく、当時の俳優は、歌手との間に、そんな一線をはっきり画していたのである。

 ところが、歌舞伎役者は別として、現在、名だたる俳優が歌手芝居の舞台に付き合うようになった。時代は変わったものであるといえば、それまでのことだが、それだけ演劇界もせちがらくなったということを物語るものである。

 断っておくが、決して歌手芝居に反対しているわけではない。歌謡界の“御三家"に属する有名歌手の芝居に接したことがある。

その中には、途中で席を立ちたくなるような芝居もあったが、歌手芝居はともかく、最近の有名歌手の中には、演技的な素質を立派に持ち合わせた歌手に出会うことがある。

 和製ブロードウェイ・ミュージカルの「アニーよ銃をとれ」で活躍した桜田淳子もまた、その一人だ。彼女は、こんど二度目の舞台であったが、最初、長谷川一夫の東宝歌舞伎「お半長石衛門」(東京・宝塚劇場)のお半をやったとき、大ベテランの長谷川を相手に初舞台ながら立派に、その役をこなしたことが、きのうのように思い出される。とはいうものの、あのときの芝居は、まさに、くだらぬ………の一語につき、そのため彼女も、その演技力を十分に発揮できなかったようだが、こんどの「アニーよ銃をとれ」のアニーで、それを補った。

 聞けば彼女はこんどの舞台に出演するために公演の三カ月前から、ほかの仕事をほとんど断って、これに備えたということだ。人気歌手が、舞台出演のために本来の仕事を投げうつということは、物心両面で大変なことである。まして彼女は、まだ若い。その若さに似合わず、こんどの舞台にすべてを賭けたことは、まことに、“あっぱれ"であったというほかはない。結果は、まさに上々と出、そして、こんごの彼女の精進いかんによっては、女優としても、またミュージカル・スターとしても立派に立ち行くことが出来るということを、彼女はこんどの舞台で物語った

 先日、東京・渋谷公会堂で、木の実ナナのリサイタルをのぞき、歌とダンスに接したが、ナナのステージぶりは、日本のミュージカル女優という言葉にうってつけであった。ナナの歌とダンスにひきこまれているうちに淳子のアニーぶりが、頭の中にふと蘇った。






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