"My Pure Lady" Junko Sakurada

桜田淳子 インタビュー

「週刊平凡」(1980.03)

桜田淳子になぜ恋人ができないのか!?

 彼女もまもなく22歳。恋の噂が飛び交う芸能界にあって、なぜか、これといった噂もない。なにかにつけて彼女と並び称された百恵が、はなやかな渦の中にいるだけに、なお淳子の恋≠ェ気になるのだ--

 

 
 あの“結婚宣言"いらい、山口百恵に当てられる脚光は、ますますまぶしさを増すばかりだ。三浦友和との共演映画、誕生パーティーでのあつあつぶり…・そんな情景がマスコミに紹介されたり人々の話題に上るたび、百恵からは女の幸せがあふれんばかりである。

 だがそのいっぽうで、そうしたはなやかさとは縁遠い場所にいるタレントがいる。桜田淳子だ。

 かって百恵と肩を並べて妍を競った淳子なのに、いま彼女の周辺からははなやかな♂\が何ひとつ聞かれない。

 噂が流れないことはない。だがそれはいつも根も葉もないものだ。淳子もまもなく22歳になろうとしている。恋人と呼ぶ男性がいておかしい年ではけっしてない。それなのに、どうしてまだ恋人ができないのだろうか?

「私は、たったひとりの男性を心から愛して、その人と結婚したいんです。そしてその人と一生、添いつづけたい。だから恋愛も結婚も、私の場合は一生に一度と思ってるんです。

好きな人のひとりやふたり、いてもおかしくないのに、そんなこといってるなんて、お前はかたわじゃないか?≠ネんていわれることがあるんです。私はやっぱり古風すぎるのかしら……そう思ったりすると、ときどき自信がなくなってしまうこともあるんです」

 自分の気持ちを、自分で手さぐりするように、淳子はこんなことをいう。

 恋は同時に結婚のときであり、前にも後にもその恋は一生に一度きり……というのは、いかにも古風で、大時代のようにみえる。いまどき、そんなヤングがいるのかと耳を疑いたくもなる。

 

 だが、淳子がそう思うには、それなりの理由があるようだ。それは、とりもなおさず、淳子に恋人ができない第2の理由にもなるのだが……

 「私って、だれかを好きになっちゃうと、だれになんといわれようと、どこまでもいっちゃいそうな性格だと思うんです。

 そう思うと、つい臆病になってしまう部分がどこかにあるんですね。

 だから、ふつうなら恋愛になりそうなケースでも、私の場合は、自分から早目に、その芽を摘んでしまうんです、きっと」

愛を育てようとしない彼女

 2年ほど前の冬だった。秋田の中学時代にいっしょだった友達数人と東京で会ったことがある。そのとき見知らぬ大学生がひとりいた。桜田淳子に会うという話を友達から聞いて、同行させてもらったと彼はいった。

 その後何回か秋田の友達と会うたび、その大学生も必ず姿を見せた。見るからに素朴な人柄と朴訥な話し方に、淳子はいつか好感を寄せるようになっていた。

 ふたりで東京湾の岸壁に腰をおろし、時を忘れて話したこともある。ふたりで山手線に乗って、淳子は、初めて見る東京のもうひとつの光景に目をみはったこともある。そこに、明らかに、俺のかな愛が芽ばえかけていた、ということができた。

 だが、それを感じたとき、淳子は突然、彼から来た何通かの手紙を燃やしてしまったのである。愛の芽を、みずから摘み取ってしまったのだ。

 もしもこれが、世間の20歳の女性だったらどうしていただろう。人によって積極さも時間のかかり方もちがったにしろ、ふたりは遅かれ早かれ恋人同士になったことは間違いない。その恋が成就して結婚にゴールインするかもしれないし、あるいは不幸にしてその恋は破局を迎えるかもしれない。が、彼女がどういう結果を得るにしろ、少なくとも自分の気持ちに正直に生きようとしたことに悔いは残らないのではないだろうか。

 だが淳子はちがうのだ。それが恋になりそうだという予感が生まれたとたん、その気持ちを断ち切ってしまうのである。なんという臆病さ、そしてなんという気の強さなのだろう。

 自分の気持ちに逆らいつづけるこの不自然さについて、淳子ほこう答える。

「ふつうのお友達であるあいだはいいの。だけどそこに好き嫌いの感情が出てきて、恋に発展しそうな気配が見えたとたん、こわい、と思っちゃうのね。

 それは私だって恋愛はしたいですよ。でも、そのときの感情だけにおもむいて、恋愛、結婚と流されていくにはまだ早いと思うんです。

 いまのうちに自分の人生を決めてしまいたくないんです。もしも恋人なんかできてしまうと、そこから先の自分の人生がもう見えちゃうでしょう。

 とにかく恋愛も結婚も一生に一度と考えてるんですから。いまから先が見えちゃ、つまらないでしょう」

淳子と百恵、その決定的な違い

 とはいっても彼女も感じやすい年ごろの女の子である。どんなに古風な信条をもとうと、つい感情に負けるということはないのだろうか。

 だが淳子をよく知るスタッフによれば、彼女が恋を敬遠する背景はもうひとるあるという。

 「彼女はとっても頭がいいですからね、仕事の場と私生活をきびしく分けているし、仕事の世界を異常なほどだいじにしています。それだけに、恋愛沙汰によって事務所に迷惑をかけるとか、まわりの人々に迷惑をかけることを極度に警戒してるんじゃないですか。恋愛になりそうだというだけで自分の気持ちを殺してしまうというのも、半分はそういう思いやりからだと思う」

 では、淳子に恋人ができない第3の理由は何だろうか。

 それは彼女の生い立ちに由来するもののようだ。サラリーマンの家庭ながら、彼女は両親、兄姉の家庭円満な環境に育っている。そのために、たとえば肉親の愛情に飢えたという経験がない。だから男性に対する飢餓感かまったくないという見方がある。それが淳子に、恋人をそれほどほしがらせないというのだ。

「たとえば山口百恵は、家庭環境が複雑だったから、それだけ肉親愛にも飢えていたし男性を惹きつけるカゲも色気もある。ところが淳子にはそれがない。育った家庭環境のちがいとしか考えられない」これが百恵との決定的なちがいといっていいだろう。

「あんな若くて、まわりからチヤホヤされる生活をしていると、まともな家庭婦人になれなくなるんじゃないか。歌手をやめて早く家にもどったほうがあの娘のためにいいのではないか」

 と、3年ほど前に淳子の両親が発言し、関係者をあわてさせたことがあったが、淳子の胸中には、こんな思いでいる両親を裏切りたくない気持ちが強いのではないだろうか。

 だからといって彼女が、だれかのために、したい恋もがまんしているということではないようだ。

恋人ができないのは性格のせいなの

 

 それを裏づけるように、第4の理由が浮かび上がる。それは淳子の抱く理想の男性像のことだ。

「よく、どういうタイプの男性が好きですか、という質問を受けるんですけど、私にはこれがいちばん困るんです。だって好きな男性のイメージって、私には浮かんでこないんで

すもの。しいていえばマッカーサーかしら……なんていっては笑われちゃうんです」

 これは意外な答えだ。理想の男性はどんな人かと聞かれるのがいちばんつらいというのは、どういうことだろう。やはり男性を求める切実感が淳子の場合はそれだけ稀薄だということだろうか。

淳子のつぎのことばは、それをいっそうはっきりさせるようだ。

「信念をもって生きている人がいいとは思うんです。

 ただ、どういう信念か、具体的に説明しろ、といわれると、人それぞれ信念をもって生きてるわけだからまた困っちゃうんです」

 いかにも抽象的な男性のイメージ。もしも淳子がギラギラした目と切実な思いでまわりの男性を見ているとしたら、この答えはもっと生身の匂いがするはずだ。それがない。

淳子と接触する機会の多い人たちが口をそろえていうことばがある。

淳子にはあやしい色気というものがない」

 男性に飢えることがなく、恋が芽ばえそうになっても自分で摘み取ってしまう青春の中では、色気も発育不全に陥ってしまっているかのようである。

 

 最後に第5の理由。それはいま彼女の置かれている立場だ。

 歌手として忙しい彼女にとって、つきあえる男性が限られていることだ。日常、顔を合わせる対象は多い。しかし、彼女を口説こうと、具体的にアプローチしてくる男性はほとんどいないようだ。淳子は自分から積極的に男性に接近するタイプの女性ではない。それだけにますます恋の生まれる範囲はせまくなっているのだろう。

 

 だが、いつまでも恋に臆病だったり、男性に活淡としていられるわけはない。一生一度の恋を淳子はいったい、いつするというのだろう。

「30になったら結婚したい」と彼女はいう。

 となると、淳子が自分の気持ちにしたがって胸を開き、こぼれるような女の色気を見せてくれるのは、どうやらまだ先のようだ。


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