"My Pure Lady" Junko Sakurada

桜田淳子出演 舞台評「野田版・国性爺合戦」(セゾン劇場)




「PLAY BOAT」(1989.12.05)

桜田、橋爪は野田戯曲は経験ずみとあって安心して見ていられる。」

 


 野田秀樹が何をやりたいのかは、最近の作品を見ていれば何となくわかる。
 「彗星の使者」で取り入れた三味線の連弾、「贋作・桜の森の満開の下」で繰り広げた華美な日本趣味。けっして成功したとは言いがたいが、それもこれも歌舞伎へのアプローチであったわけだ。
 今回の銀座セゾン劇場プロデュースによる「野田版・国性爺合戦」でようやく、そんな野田の思いが形になって見えてきたようだ。
 井上ひさしの「薮原検校」「雨」や花組芝居の一連の作品を見るとその底流にある“歌舞伎的なもの”を感じるように今回の「野田版〜」も見ることができたのだ。
 ここで書いた“歌舞伎的なもの”というのは、極めて曖昧な定義ではあるのだが、ミュージカルに文法(これも曖昧で申し訳ないが、やはり厳然とあるのだ)があるように、歌舞伎にも文法があるということだろう。原作が歌舞伎界の大物近松門左衛門であるということも、いわゆる“歌舞伎的なもの”をうまく取り入れることができた理由かもしれない。
 ちなみに野田が歌舞伎を題材にしたのは今回だけではなく、「赤穂浪士」という作品もある。この頃は特に歌舞伎を、という意識はなかったろうが下敷きにした鶴屋南北の趣向は踏まえていて、極めて歌舞伎的な作品に仕上がっていた。こうして考えてみると“歌舞伎的なもの”というのは、その趣向にあると言ってもいいのかもしれない。
 「野田版〜」で見れる歌舞伎的な趣向をいろいろと上げてみる。
 これはまあ当たり前なのだが、まず主人公シロート(国性爺・池畑慎之介)が姫(桜田淳子)を助け、国の再興を図るという設定が数々のお家再興の物語を思い出させる。
 また姫と乞食女の入れ替わり、シロートの出生の秘密、姫と彼の父クロート(橋爪功)の自分を犠牲にした行為と、いかに時代を大和朝廷誕生の神話時代に移し変えようと、野田は近松の「国性爺合戦」のエッセンスだけは忠実に残しているのだ。
 さらに極め付けは姫が敵対するヒミコの城に乗り込み、シロートを裏切ったと思われたクロートの子を思う心を知りながら、彼を殺し、自らも命を断つ場面だろう。
 はっきり言ってこんな場面が野田の戯曲で登場するとは思いもよらなかったが、逆に言えばなければ歌舞伎とは言えない場面でもある。
 さて役者に目を移してみよう。
 シロートの役は当初篠井英介、加納幸和と変遷したようだったが、結局日舞の素養のある池畑に落ち着いたのも歌舞伎的な世界を作るためにも良かったのではないか。
 桜田、橋爪は野田戯曲は経験ずみとあって安心して見ていられる。
 ヒミコは毬谷友子だったら、きっとゾクゾクするような恐さを感じるだろうなと思いながら、明るい円城寺あやを見てしまった。
 野田以下のイレズミの一族の一員として渡辺いっけいが出演していて、一場面だけ、拍手をさらう芸を見せる。これはいっけいファンだったら、ぜったい見て欲しい場面である。
(89年12月5日ソワレ、2h15)


題 名:「野田版・国性爺合戦」
劇 団:パルコ
場 所:セゾン劇場
演 出:野田秀樹
戯 曲:野田秀樹
上演日・1989-12-12

主な出演者
桜田 淳子
池畑慎之介
円城寺あや
橋爪  功
松澤 一之
野田 秀樹
渡辺いっけい他
セゾン劇場
12月24日まで





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