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− 更新記録 −

 2001年2月26日(日)  ビリヤード、対抗戦、復活!!

年くらいにやっていたハローとの対抗戦。しばらくお休みしていましたが、このたび復活しました。とはいっても対戦チームはハローではなく、今度の相手はGET。あの砺波プロが経営するお店のチームです。GETのメンバーは若手中心。いきのいいメンバーばかりです。さて今回の対抗戦はどんなドラマがくりひろげられたのでしょうか。

第1回目は我がリバプールを会場として行われた。1チーム5人の総あたり戦。当初の予想ではメンバーのレベル的にGETが優勢と思っていた。しかし、リバプールのみんなはよく頑張った。まさるが4勝1敗。千たくちゃん、亀ちゃん、たくちゃんが2勝3敗。そして、Sechanが4勝1敗。通算、リバプールの14勝11敗。なんと予想とは反対にリバプール大金星。とくに千ちゃん、亀ちゃんがよく頑張ってくれました。レベル的にはB級の千ちゃん、亀ちゃんがGETのA級の人から勝利。そして今回の対抗戦のMVPは4勝1敗だった、私。得失セット数によりMVPに輝きました。イヒヒヒヒって感じです。次回もいい試合ができるよう頑張りたい。

 2001年2月20日(火)  競馬のコーナー、リターンズ

ととしくらいから、競馬の成績がよろしくない。なんとかしなければということで、競馬のコーナーを復活することにした。少しは当るようになればいいなと思うしだいです。

Study Horse Race 〜競馬のお勉強〜

 2000年12月7日(木)  リバプール用語集 第1弾 『さのちゃん』

近、金沢はめっきり寒くなりました。今日は暦の上では『大雪』。この日を境にグンと寒さが増すそうです。

さて、ビリヤードをしていると、そのお店だけのビリヤード用語が出来てくるものです。そんな用語を紹介していきたいと思います。記念すべき第1回を飾るのは『さのちゃん』。ある日さのちゃんが、ある配置の球であまりにも衝撃的なショットをしたためこの名がついた。配置はこんな感じ。こちら

ふつう5番を右上のコーナーに狙うと思われるのだが、さのちゃんは、なんと右下のコーナーに入れてしまった。さのちゃん曰く、ネキの関係上、そういうショットをしたらしい。それにしても、狙って入るのだから驚きである。
それ以来、振りの多いほうの穴を狙う時にするショットのことをさのちゃんと呼ばれるようになった。

 2000年11月18日(土)  リバプールマンスリー〜女神は私に微笑む

バプールのマンスリーが11/14(火)行われた。私、嬉しい初優勝でした。準優勝は、福井から来られた河合さん。3位は、たくやと掘君でした。1年ぶりにビリヤード事件簿を追加しました。リバプールマンスリー〜女神は私に微笑む

 2000年11月12日(日)  北日本新聞社杯 ビリヤード大会

日本新聞社杯 が富山で行われた。この大会は、プロも参加するハンデ戦の9ボール大会。レベルによって与えられたセットを先に取ったほうが勝ちといいやつです。今回、220名という人数で行われた。そのため、ベスト128から決勝トーナメントという、北陸オープンなみのトーナメントになった。この大会でのセット数は、
  プロ、9、8セット=5セット、7、6セット=4セット、5セット=3セット、4、3、2セット=2セット
で行われた。
  ということで、私の成績は、緒戦は不戦勝で、実際の緒戦は勝ち。その時点でベスト128。決勝Tに入った。決勝1回戦はVIVA2のYOUさん。かわいらしい女の子。女の子に弱いSechanであったが、なんとかYOUさんに勝利。その次は、Tスクエアの東城プロ。気合入れてたが5−1敗退。結果こそ完敗だが、球入れた数はそれほど変わらなかった。なのに完敗ということは・・・肝心なところでミス。弱い。完敗だったが、私の取った1セットは、なんと3ファールで取ったのでした。情けないやら、嬉しいやら。でもプロから取った3ファールということで、まぁ良しとします。あぁ〜でも悔しいぃ〜!!

 今回リバプールからは、11人という大人数が参加したが、誰も好成績を残したのもはいなかった。どうしたリバプール勢?

 2000年11月4日(土)  トロッコ電車 in 黒部峡谷

山彦橋 本の秘境100選にも選ばれてる(と思われる)黒部峡谷に行って来ました。観光地に行くなんて結構久しぶりでもあったし、名物であるトロッコ電車に乗るということもあって、年甲斐もなく少々ワクワク。その日は3連休の中日。天気もよく、凄い人出であった。そりゃぁ、宇奈月周辺では渋滞もするちゅうねん。交通整理のおっさんに周辺に車止めるところないか聞いたけど、『こんなの(人が来てるの)初めてやぁ』っと。ちょっとトンチンカンな答えが返って来た。結局宇奈月温泉駅発、14:56の電車に乗ることになった。
 10月以降は寒いので防寒しましょうと言われた。しかし、この日はあたたった。16:20くらいに終点、欅平に到着。時間も時間なだけに、さすがにちょっと寒い。終点に着くまでに、いろいろ名勝についてアナウンスしてくれる。結構楽しむことが出来た。ちなみに写真は、宇奈月温泉駅から出発して最初に渡る橋(山彦橋:奥)です。が、何よりよかったのが、山々に響き渡る、トロッコが奏でるレールの音。昭和初期にも同じ音色が山々に響いていたのかと思うと、不思議な感じがします。
 欅平についてちょっと散歩と思ったけど、時間が遅く、あたりも暗くなって来たのでそれほど遠くまで行くことが出来なかった。少々残念であった。帰りの電車は終電。あたりは暗い。なので、アナウンスもない。乗客のほとんどはウトウト。上は寒かったので疲れるのもわかる。私も疲れた。あぁ〜・・・・
 なんだか急ぎ足で過ぎた一日だった。観光地に行く時は、もう少し早めに行動するべきだったと、ちと後悔だった。この次は秘境、名剣温泉に泊まることにします。
 宇奈月温泉のホームページがあたので紹介しておきます。
 http://www.unun.nu

 2000年9月24日(日)  石川県知事杯 ビリヤード選手権

月24日(日)雨
 (久しぶりの日記更新だったりする)
石川県知事杯 ビリヤード選手権
上級クラスに出場しました。緒戦の西嶋さんには5−2で勝利。緒戦を勝ったのは久しぶり。うれしい。
 2回戦は森君。最近、金沢に越して来た人だそうです。わたくし、2−0とリードするも3セット目、私、
9番を入れてスクラッチ。3−0のはずが2−1。その後、森君のペースでゲームは進む。結局3−5で負け。負けたけど、相手の森君はすばらしかった。負けて悔しさななかったって言ったら変だけど、そんな気分だった。
 その後敗者ゾーンに回り、1回勝つ。そして次は長木さん。石川では指折りの実力者。胸を借りるつもりで挑んだ。
そういえば去年のこの試合で長木さんに勝っているのだ。勝たして頂いたと言った方がいいかもしれない。
さて、ゲームは長木さんが1セット取り。その後何故か、いい球がわたくしに回ってくる。9番コンビなんかも決まってあれよあれよという間に
4−2と私が先にリーチ。7セット目、ブレイクしたけどノーイン。そのまま長木さんに取りきられ4−3。8セット目。長木さんがブレイク。何か入って取り出しの1番も入れらた。4−4になり最終セットになるのか〜・・・
と思って気を引き締めて見てたら、3番から4番の時にネキストをミス。長木さんは4番をセフティに行くも、他の球にあたり、4番が見えた状態で私に番が回って来た。まさか回ってくるとは思わなかった。しかも4番が見えた状態で。しかしちょっと渋い4番ではあった。それでも何とか4番と沈め、5番にもいいポジションが取れた。
勝てる
今回は勝てる勝たして貰うのではなく勝てる。
その浮かれた気持ちが・・・・7番で入れミス。
やってしもた〜・・・・
そのセットはそのまま取りきられ4−4。最終セットも1回球が回って来たけど、結局ミス。そのまま負けてしまった。

あぁ〜。悔しぃ〜。でも後の祭りであった。なんともやるせない気持ちだった。
 しかし、今日の大会で、これからの大会での手応えっていうか、自分さえ、しっかりすることが出来ればなんとかなることを感じた。
この次は北陸オープン。1つでも多く勝てるように頑張りたい。
 最後にこの大会で優勝したのは、森君でした(納得)。
我がリバプールでは、篠ちゃんの3位(リバプール指定席)が最高でした。

p.s. あなたの本日のラッキーナンバーが11の人は、いい(11)ことがあるでしょう。

 2000年7月27日(木)  会社のSolarisマシンを壊した。そして・・・

うやく、今開発していた製品の登録が済み、忙しさのピークが過ぎた。7/21の朝10:00。今回開発した製品のバックアップをDATに取っておこうと思い、DAT装置をマシンに接続した。そして、Solarisでスーパーユーザ(マシンで一番エライ人)になり、開発環境をDATに落とす作業をしてたら、なんだったんだろうか、ふとした事から、/devices配下のあるディレクトリを丸ごと消してしまった。消した当初は大したことじゃないと思ってたが、実際は大変なことをしてしまったと、後から気付くのだった。

ようやく、バックアップ環境が整い、マシンを電源を再度入れ直した。しかし、マシンはエラー表示を残したまま起動しなくなった。なんで?なんで立ち上がらないの?マシンが立ち上がらないとバックアップも出来ない。それよりも、マシンが使えないと、障害調査も出来ない。何もできない。と思った瞬間、血の気が引いた。でも、開発環境や、ユーザ環境は、増設ディスクに全て入っているので、そのディスクさえ無事ならば、何とかなると思った。とりあえず、画面に表示されているエラーの説明(英語・・・)を読むと・・・
『マシンのシステムを再インストールするか、boot -b でシステムの再構成を試してみてください』
というようなことが書いてあった。そして、悟った。先ほど消したディレクトリは、起動時に最初に参照されるデバイス情報があるところだということを。そんなところを消してしまったため、マシンをメンテナンスするためのシングルユーザモードでの起動も出来ず、最悪、システムの再インストールするしかないのかと思ったけど、とりあえず、boot -b を試してみたが、やっぱり駄目。残るはやっぱりシステムの再インストールかぁ〜。システムの再インストールするだけなら、半日もあれば十分なので、別に気にならなかったけど、マシンにインストールされていた製品、コンパイラや印刷のための環境設定、テスト環境、ユーザ設定などの復旧作業を単純に見積もっても・・・丸2日くらいは楽にかかる。今週も休みなしになるの?それを考えると、やっぱりシステムの再インストールは最終手段にしたい。でも、画面には、『マシンのシステムを再インストールするか・・・』と表示されている。こうなったら、いろいろやってみるだけやってみるかぁ〜。ということで、消したディレクトリを同じSolarisマシンからコピーして見ようということにした。そんなことで上手くいくのだろうか?不安がありながらもやってみることにした。しかし、どうやってマシンを起動すればいいのだろうか?いろいろ人に聞いたりしてたら、インストールCDから起動することが出来ることが分かった。そして、CDをCDROMに入れて再起動かけた。・・・エラー・・・CDが読めな〜い!!がーーん。なんでぇ〜、CDから起動できんかったら、システムの再インストールも出来んやんかぁ〜。ということは、ずーと、この高価なマシンも、ただの重いだけの箱。どうすればいいんやー、マシン壊したとなったら、またマシンをリースしなくちゃいけないし、手続きも面倒。と思いながら、別のCDを入れてもう一度、マシンを再起動した。(ガガガガ・・・)CDを読み込んでいる。ちゃんと読み込んでいるじゃないかぁ〜。ほっと一安心だった。CDが違っていただけだったのだ。そして、マシンをシングルユーザモードで起動することに成功。そして、先ほど消した/devices配下のディレクトリを見ると、消したはずのディレクトリが存在しているではないか?もしかして、このまま再起動すれば、マシンが復活するのでは?と思って、再度、再起動。
しかし、結果は前と一緒だった。やっぱり、システムの再インストールしかないのか〜。

いや、まてよ。先ほど出てきた/devices配下はCDから一時的にコピーされてできたものではないのか?案の定そのとおりだった。そこで再度、CDからシステムを起動して、本来、マシンに構築されていた/devicesがある内臓ディスクをシステムから参照できるように、mountコマンドでマシンに接続した。そして改めて、/devices配下を見てみると、消したディレクトリはやっぱりなかった(当たり前か〜)。早速、一時的にコピーされた/devices配下のディレクトリを内臓ディスクにコピーした。しかし、コピーの最中に、『File system full...』とエラー表示。あぁ〜なんで?なんでコピーできないの?どうしてディスクがいっぱいなっちゃうの?もともとあったものを復元しているだけなのに...。調べてたら、コピーしようとしていたファイルはキャラクタ型特殊ファイルというもので、普通にコピーできないものだった。え〜!!!そうなん?どうすればいいのぉ〜?どうやってコピーするの?やっぱり再インストールかぁ〜。でもあと一息のところまできている。なんとかコピーできないものなのかな〜。と悩んでいたら、ふと思い付いたのが、コピー元をtarコマンドで一つに固めて、コピー先でひとつになったものを、展開すればいいのかも?ということだった。そしてやってみたら、ちゃんとコピーできた。ただ、何とかコピーできたものの、単にコピーしただけで本当にマシンが起動するようになるのだろうか?これでもし上手くいかなかったら、これから先の対処方法も特に思い付かなかったので、最終手段のシステムの再インストール(=週末の休みなし)しかなかった。そして、いよいよマシンを再起動・・・。もう祈る気持ちだった。起動してくれ〜。たのむ。なんでも言うこと聞くから〜って感じ。そして、いつもエラーとなっていたところは、クリアしてエラーは出なくなった。いいぞ。その調子やぞ。最後までちゃんと起動してぇ。お願い!!そして、何事もなくマシンは立ち上がった。開発環境もちゃんと存在している。思わず全身の力が抜けた。ほっとした。これで再インストールせずに済む。週末休みが取れる。そう思った瞬間、力が抜けた。午後3:30のことだった。最悪の事態は免れた。

ふとした過ちがこれほど苦労するとは思わなかった。でもとりあえずよかった。
そしてこの話を、復活を手伝ってもらった先輩に話したら、
『朝一からスーパーユーザーにならんことやね』って警告を受けた。しばらくして、別の先輩にも、その話をしたら、
『朝一からスーパーユーザーにならんことやな〜』と同じことを言われた。私もそう思った。うん、納得。

 2000年7月25日(火)  7−9コンビ、やっと完成。

リヤードの部屋のアンビリーバブルショットの7ー9コンビネーションをやっと完成させました。仕事もやっとひと段落し、1週間前ほどの忙しさはなくなり、ちょっと一息といったところです。。。。HBDS!

ところで、またまた万物創世紀の話題ですが、1991年に3つの嵐が合体して30mの高波が発生したそうです。100年に1度のことだそうです。しかし、実際の映像は存在しないのですが、この模様をCGを使って再現した映画がもううぐ公開されるようです。『パーフェクトストーム』。この映画のCMを、先日劇場で見たけど、それはもう凄まじいものでした。劇場でみたほうが、その迫力を十分楽しめると思います。ところで、テレビの話に戻りますが、30mというのは、あくまで高波の話。これが津波となると、これまでの最大の津波は、その高さなんと520m。波の進む速度は1000Km/h。ジェット機と同じです。このお化け波ってどんなんだろう・・・CGで再現してもらいたいです。

 2000年7月12日(水)  BreakCueを購入。

リヤードを始めて4年ちょっとになるだろうか・・・。本日ブレイク用のブレイクキューを購入しました。Mezzのブレイク&ジャンプ。絵でかくとこんな感じ。

ぶれいくきゅ〜

  さっそく、試しにジャンプしてみたけど、これが、軽くジャンプショットができる。いい買い物したと思いました。そして、店に3人いたので、ジャパンをして遊んでいた。せっかくだから自分のブレイクキューでブレイクしようと思ってたけど、何故か9番でミス。たとえ9番が入っても手玉が2ポイントに出くれない。結局、2、3回しかブレイクできなかった。ジャンプショットのチャンスもなかった。この次に期待です。

 2000年7月5日(水)  7−9コンビ、ちょっと更新。

リヤードの部屋のアンビリーバブルショットのコーナーをちょっと更新。まだ途中です。

 2000年7月2日(日)  7−9コンビ。

 雨入りしたというのに金沢は良い天気が続きます。このまま雨が降らずに梅雨明けしそうなそんな感じです。

ところで先日、リバプールで『ジャパン』という9ボールゲームを3人で遊んでいました。その時、まーくんが信じられないようなコンビを決めた。とりわけ難しいコンビを入れた分けでもないが、とにかく信じられないようなことになっていったのでした。どのようになっていたのか、詳しくは近日、アンビリーバブルで公開します。

 2000年6月21日(水)  烏龍茶で脂肪がとれる?

 ンビリーバボブルショットの解答編をやっとUPしました。

 ところで、先日のたけしの万物創世紀を見てたら、いいことを言ってました。烏龍茶を飲むとやせるらしいのです。ちょっと前にもダイエット飲料としてはやったそうですが、成分的にも、やせるというか脂肪がつきにくくなるようです。脂肪分を分解しやすくする作用が含まれていると言ってました。また、ある話では、1日1リットルの烏龍茶でやせるというのも聞きました。
 最近、ちょっと太ってきたかなぁと感じてる。この前も、・・・太った?って言われたので、だまされたと思って、しばらく烏龍茶でも飲んでみようかなと思います。効果がでたら、報告します。

 2000年6月13日(火)  大地震が来た。

 しぶりの更新!ですが、日記だけ。最近は会社と家の往復で1日が終わってしまう。仕事がなかなか落着かない。1つ問題が発生して、やっと解決したかと思ったら、またまた問題発生。この忙しいのがいつまで続くのだろうか?おまけに製品の登録も迫っている。おかげで月日の流れるのがすごく速い。いつのまにか、金沢では梅雨入りしたそうです。いやな季節ですが、雨の振る音しか聞こえない部屋でのんびり読書でもしたい気分ですが、それどころではないのだ。仕事が・・・夢にまで出てきそうです。
 ところで先日、朝早くに地震がありました。さすがに揺れで目がさめました。が、私は呑気に寝ていた。一番最初に逃げれて星になるタイプです。いけませんね。震源は小松沖だったそうで、大きな被害はなかったようです。これはアパートに住んでいる友達から聞いた話ですが、私が、はやく揺れがおさまらないかなぁと呑気に寝ている時、その友達は地震がきたから、外に逃げなくては!!と思い、部屋の襖を開けた時・・・
同居しているA君がテーブルの下に非難していたそうです。
その話を聞いた時、A君らしいと思ったけど、同時に私も、その慎重さを見習わなければいけないのかなぁと思った。

そういえば、ビリヤードの部屋のアンビリーバブルショットの解答編がまだだった。今週中にはHPに載せたいと思います。

 2000年5月15日(月)  CART観戦記。

 ART FedEx Championship Series Round 5 Firestone FIREHAWK 500 が2000年5月13日(土)、栃木県茂木町のツインリンクもてぎで行われ、観戦するため遠路遥遥金沢から友人4人して出かけた。金曜日の午前、金沢を出発。その日の夜に栃木県宇都宮市に到着。夕飯は、餃子。宇都宮と言えば餃子らしいですね。名物だけあって、安いし、うまかった。あっさりしてて、また食べたくなるような味だった。その後、ホテルにとまり、次の日の決勝に備えることにした。
 夜が明けた。外は小雨・・・。雨が降ってコースが濡れるとCARTは走らない。ツインリンクもてぎについたが、雨は、しとしと降っている。コース上も濡れていた。しかし、日が昇るにつれて空は明るくなってきた。雨も上がり、コースも乾きそうな感じ。そして、オフィシャルの方もコース上に車を走らせたり、大きなドライヤーを使ったりして、懸命にコースを乾かした。その甲斐あって、お昼くらいには、コースは完全に乾いた。空は青空ではないが、雨も降りそうな感じはなかった。少なくとも、正午の時点では・・・。そしていよいよ、ウォーミングアップ走行が始まった。初めて見るCART。速い。その一言。スタンドの一番前に行ってみた。目の前、10m先くらいを時速300Km/hで車が走っている。走るというより、『スッ飛んでいく』という表現があっているかもしれない。それくらい、一瞬で目の前を通り過ぎて行く。音も凄い。ただ、ちょっと変だぞっていうか、F1と決定的に違うところがあった。それは、車が通り過ぎた後にその辺りに漂う匂い。ちょっと嗅いだことのない匂い。なんだろう・・・。後で分かったのだけど、CARTってガソリンで走っていないそうです。燃料は、エタノール。小学校の時に理科の実験などで使ったアルコールランプの中に入っているアレです。驚きでした。燃やしても、環境破壊するような有毒なガスはでないし、エタノール自体も、廃棄物からも作られるそうで、まさに現代にふさわしい、モータースポーツですね。ウォーミングアップも終わり、おえらいさん方の挨拶、米日の国歌斉唱。ドライバー紹介とプログラムは消化されていった。そしていよいよ、ドライバーが車に乗り込み、スタートを待つばかりとなったその時・・・頬にポツリ
 空から冷たい雨が降りてきた。心までシミそうな冷たい雨。最初はそれほど降らないだろうと思ったけど、なかなかやまない。むしろ強くなってきた。あっというまにコースは濡れた。再び大きなドライヤーが登場。懸命に路面を乾かすも、空からの使者は絶えず訪れていた。あぁ〜、思わずため息が出た。結局その日は雨が止まず、午後3時過ぎ、中止が決定。次の日の日曜日に延期になった。
 日曜日の朝、雨が心配だったが、その時は降っていなかった。なんとかレースが終わるまで降らないいでくれよと思いながら、ツインリンクに向かった。現地に到着。路面は濡れていたが、オフィシャル達が懸命に路面を乾かす作業を行っていた。心配された雨だが、日が高くなるにつれて降りそうになくなってきた。むしろお日様のもぞくようになった。そしていよいよレースのスタート時間になった。CARTのスタートはF1とは違い、ローリングスタート。最初はペースカーが選手たちを先導して数周。そしていよいよペースカーがピットに入り、そのまま加速してスタートを切った。もうこの時の興奮は最高潮。あっという間に20台の車が爆音と共に目の前を通り過ぎて行った。もー速い、凄い。テレビで見るより全然スピード感が違った。改めてドライバー達の凄さを実感した。あっという間に車は1コーナーから2コーナーへ。その時、8番手スタートのベテラン、マイケル=アンドレッティが外から5台をパス。あっという間に3番手につけた。思わず、スッゲーーー。一気にアンドレッティのファンになってしまった。そしてバックストレッチから3コーナーを抜け4コーナー、直線へと我々の前に戻ってきた。とその時、1台がクラァッーシュ。目の前を車が横に回りながら止まった。即座にイエローフラッグが振られ、フルコースコーション。序盤から凄いシーンが見られた。選手には気の毒だけど、決定的瞬間を見れて良かった。選手はたいした怪我ではなかったようです。(ホッ)そして再スタート。その後も凄いシーンがたくさんあった。そして201周の末、あのアンドレッティがチェッカーを受け優勝。すばらしいレースだった。また来年も見に来こうとすぐに思った。興奮覚めやらぬまま我々は、ツインリンクを後にした。本当はもう少し、現地の雰囲気を楽しみたかったけど、次の日、普通に会社もあるし、金沢まで帰ることを考えると、すぐにツインリンクを後にする方が良い選択だった。
 雨が降って1日伸びたけど、レースが行われて本当に良かった。そしておめでとう、マイケル=アンドレッティ。これからもアンドレッティに注目していきたい。次の第6戦は、6月4日、アメリカ、ウィスコンシス州ウェストアリスで行われるそうです。

 2000年5月9日(火)  リバプールマンスリーで頑張った。

 日、リバプールでハウストーナメントが行われた。三十数名が参加。午後8時30分から、試合が始まった。私の調子は、特別良くもなく悪くもなくって感じでした、1回戦、2回戦とフルセットの末なんとか勝ちを拾い、3回戦に進めた。ここでの対戦相手は、村本さん。同じリバプールの常連さんで、やさしくて気立ての良いお兄さんって感じの人。ビリヤードの実力は、北陸でもトップクラス。胸を借りるつもりで試合に挑んだ。この試合では、私に、『球外しても、隠れるの神様』が取り付いてて、私が失敗しても、ほとんどいい球は残らなかった。決定的なミスをしても、手玉と先球が隠れていた。結局フルセットの末、私が勝った。これで予選通過。ベスト8に残る。決勝に入っても、調子自体は平行線。まぁまぁ球は入っていた。しかし、先にリーチをかけられたが、追いついて、最後はマスワリで勝利した。準決勝では序盤から展開がよく、先にリーチ。しかし、その後相手の方も上手で、なかなかチャンスが来ない。しかし、9番をミスして私に番が回ってきた。が、これを入れたら勝てるというプレッシャーから、ミス。結局、フルセットに持ち込まれた。相手ブレークで何番かがポケットイン。配置も問題なし。万事休すか?と思ってたら、7番で私に番が回ってきた。チャンス到来。ここからはプレッシャーとの戦だった。1球1球慎重に落としていって、キューが出ないながらも、なんとか9番を落とし勝利。決勝進出。
 決勝戦は、篠ちゃん。同じリバプールの常連さん。この前の試合で優勝した実力者。この試合でも頑張ったが、やはり篠ちゃんのほうが1枚も2枚も上。あっさり敗退した。負けて悔しかったけど、自分の調子にして準優勝という結果にすごく満足している。
 ただこの時、時計が指し示していた時間は、4:00。夜がだんだん明けてきてた。あぁ〜あまり寝れない。明日、仕事になるかちょっと心配です。

 2000年5月1日(月)  天皇賞・春、観戦ツアー。

 月30日(日)天皇賞を観に会社の同僚と京都競馬場に行ってきた。朝の6:30に車で金沢を出発。京都に入って京阪の伏見稲荷で車を止め、そこから電車で京都競馬場に向かった。競馬場についたのは、10:30。芝生にレジャーシートを敷き、ビールを飲みながらの観戦。生きる幸せを感じます。
 この時には既に1R、2Rは終わっており、配当が、4000円台と万馬券。車の中で予想してた組み合わせとは全然違う結果だったので、買わなくて良かったと素直に思った。そして3Rから勝負したが、当たらない・・・。っていうか、よく荒れてた。もう関心するくらい。そして6Rをむかえ、やっと的中。馬連3000円の中穴だった。しかし、そのレースでハナ差の3着に入った馬が、2着に差してたら、配当はやや落ちるものの、その組み合わせにどかんと勝負してただけに、返ってくる金額は大きかった。当たるにはあたったけど、ハナ差負けだけにちょっと残念。(競馬してたらよくある話ですがね。)

それから、メインの天皇賞までは、当たらない。かすりもしない。まぁ、穴狙いだからまぁそんなもんでしょう。そして天皇賞。周りの観客もヒートアップしてきた。私が応援したのは、武豊騎乗のラスカルスズカ。今思うと、天皇賞では、いつも武を応援しているように思う。去年のスペシャルウィーク。その前は出走してなくて、その前は、マーベラスサンデー。で、今年もやっぱり、武豊、ラスカルスズカ。いよいよゲートが開いてスタート。ラスカルは後方2番手からの競馬。ちょっと心配でしたが、最後の直線でラストスパート。ぐんぐん先頭に迫って行った。この時私は、もう絶叫せずにはいられませんでした。
『たけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ〜!!差せぇぇぇぇぇぇ〜』
  もう声が裏返るくらい叫び続けました。しかし、オペラオーの壁は厚く、2着でゴールイン。残念・・・。が、馬券は馬連を買っていたので、当たった。

それにしてもいいレースだった。最近の天皇賞・春は本当にいいレースになります。馬券的な妙味は少ないかもしれないが、見る分にはしては、とても気持ちのいいレースだった。天皇賞を制したテイエムオペラオーにはこれからも名馬と呼ばれるように頑張って、そしてなにより無事に走って欲しい。

それと、優勝インタビューでの和田騎手の最後のコメントが面白かった。

インタビュアー『最後に観客のみなさんに一言お願いします。』
和田騎手『シャァァァァァァァァァァァァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜』

ヒョウキンな人ですね。
#ヒョウキンって死語?



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