Profile
- 1976年11月4日生。京都府宮津市出身。オーストラリアに留学経験有り。
- 1996年10月にマキシ・シングル「嘆きの雪」で、MCA VICTOR(現UNIVERSAL VICTOR) よりデビュー。
- ALBUM2枚、SINGLE6枚を発表し、現在は創作活動に入っている。
<バイオグラフィー>
以下の文章は、UNIVERSAL VICTOR,INC.が無料配布したパンフレットより引用させていただきました。
誕生…
自然がいっぱいの小さな田舎町で生まれたMisakoが、姉兄の習っていたピアノに興味をおぼえレッスンを始めたのは2歳。小学校入学のころからビートルズや『サウンド・オブ・ミュージック』を聴くようになり英語と作曲を始めた。小3から市民文化祭の代表でピアノ演奏をし、宮津の小さな有名人に。中1から音大の教授に音声と聴音の個人レッスンを受ける。
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ピアス…
高1の夏休み、オーストラリアへホームステイし、3つもピアスをして元気いっぱい帰国。優等生でしかもクラスのリーダー格のピアス事件に先生は大慌て、「みんなが真似をしてピアスをしたら英語ができると思うでしょ」とお説教されるが「ピアスと英語は関係あらへん」と一言逆襲。間違いと思ったらたとえ相手が誰であれ、きちんと自分の意見を言う。それがMisakoの流儀。
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留学…
高3の夏、両親の大反対をものともせず自力で手続きをしてオーストラリアのクーラルビン・インターナショナル・スクールに留学。宮津では人前では歌わなかったMisakoが、初日から寮のピアノで中2の時に作った『ホワイト・クリスマス』、『永遠にねむる』を弾き語りをし、一躍人気者に。毎晩のように続いたミニライブの評判から、全校生徒800人を前にピアノと歌を披露。これがきっかけとなって、市民ファッションショーにゲストシンガーとして出演。この年クーラルビンで開催された、スカイダイビング世界大会のオープニングにも抜擢されて自作曲を演奏した。
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デビュー…
95年4月から宮津の高校3年生に再編入し、翌年卒業。帰国後まもなくお姉さんの知り合いを通して、現在の所属事務所ヒップランド・ミュージックのマネージャーを紹介され、そのピュアで豊かな音楽性が認められデビューのきっかけをつかんだ。
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MISAKO & ME
私が、小谷美紗子という人を知ったのは1996年12月5日。仕事帰り、たまたまつけたカーラジオからソウルフルな歌声が飛び込んできた。その歌詞にものすごく惹き付けられるものを感じ、しばらく聴いていると、金沢でのライブ生中継でした。歌ってる人を以前から知っている人もいるようで、少人数・アットホームな雰囲気のライブ、そんな印象を受けた。今、その場にいない自分がなんか悔しかった。
家に着き急いでFMを合わせる。そして“おだにみさこ”という名前をメモにとり、数日後「嘆きの雪」を手に入れた。早速CDを聴き、あの時最初に聴いた歌が「嘆きの雪」で、もう1曲は「STAY」だったことを知った。それからしばらく「嘆きの雪」一色でした。その後「PROFILE」で、ライブ中継で聴いた残りの歌(聴けたのは3曲)を思い出してみると「自分」でした。
これが、私の小谷美紗子を知った経緯です。皆さんはどんな風に小谷美紗子さんを知ったのでしょう。「Music Pulse on
Monday」で、美紗子さん本人に上記のようなファクスを読んでもらいました。それには私的な感情も書いてたので、顔から火がでました
(^^; だので、未だ聴き返す勇気ありません。
それと、あのライブのテープってあるのかなぁ。FM石川に...ラジオでしたけど、あの緊張感、臨場感は本当に忘れられないものがあります。
★ 上記は小谷美紗子Mailing List
にわたくしが投稿した<[odani 4227] 初めて聴いた小谷美紗子
>を少し手直しし引用しました。ものぐさです(^^ゞ
小谷美紗子ファンクラブ
ファンクラブが発足しました。お問い合わせは、
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「小谷美紗子ファンクラブ」まで 。
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