残念ながらエンスト車が道を塞いで行けなかったボンのモニュメント。
8月31日、再度、出かけて来た。
今度はしっかりと見てきた。
モニュメントは小高い丘にあった。
まさにこの場所で戦闘があったという。
戦闘があったのは、1946年6月13日。
その時ングラライは、この地「ボン」に潜伏していた。
オランダ軍にそれがばれて、戦闘が始まった。
ングラライは高地を選んで有利に戦った。
が、プラガに駐屯部隊があったオランダは、
そのプラガから次から次と、
新手の兵を送り込んだ。
ングラライ軍は劣勢にたたされ、
lawak の地まで退却した。
というのが「ボンの戦い」である。
この戦いでは、ングラライ軍から
ひとりの戦死者が出た。
バラキュー出身のワヤン・スレムだ。
モニュメントの中央に慰霊碑がある。
慰霊碑は彼のためのものだ(右)。
ワヤン・スレムは一兵卒であった。
ましてブラキュー出身ってことは、
地元民って訳でもない。
にも関わらず立派な慰霊碑である。
独立戦争で戦死した英雄に対する
バリ人の思いの大きさにつき、
あらためて考えさせられる慰霊碑である。 |
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