タナアロンのモニュメントには、ングラライが遠征した順路が示されている(下の写真)。
これに日付を入れて、説明したい。
1、日本の敗戦後の1946年3月2日、バリ島に連合軍が上陸。
その頃、ングラライは、ジャワ島のバニュワンギにいた。
2、1946年4月上旬、ジョグジャカルタの中央委政府は、
ングラライを小スンダ地区の司令官に任命する。
3、1946年4月14日、海上を制圧するオランダ軍を突破し、
ひそかにバリに侵入したングラライは、
独立義勇軍の指導者達をムンドックマラン(下図の出発点)の地に集め、
オランダ軍と戦い独立を勝ち取るための作戦会議を行う。
4、1946年7月5日、ングラライ軍は、タナアロンの地に到着。
二日後の7月7日、同地にてオランダ軍との戦闘が行われる(後日記述)。
5、タナアロンで勝利したングラライは、アグン山を大きく迂回し、
マルガラナの地に着く。
11月20日、当地マルガラナの大戦にて戦死(96名玉砕)。
ングラライがバリで戦ったのは、8ヶ月間だけであったが、
バリ人の意地と勇気をオランダ軍に十分に見せつけた。
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