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残留日本兵で最後まで生き残った平良定三さん。
その平良さんの奥様、メルダさんから、
平良さんのお墓はシンガラジャにあることを聞かされていた。
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で、
平良さん(ニョーマンブレレン)のお墓まいりをすることと、
墓地に平良さん以外の他の日本人のお墓があるかどうか、
また、墓地のお墓の下に、骨が残されているかどうか、
を確かめたく、シンガラジャ戦没者墓地に行って来た。
左がその戦没者墓地の全景(小さくてわかりにくいが塔の右下の青いのが祈るクトゥ)。
墓地の正式名は、Taman Makam Pahlawan Curastana Singraja 。
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墓地に行った日は日曜日だった。
案じたとおり、墓守人の事務所は閉じられていた。
事務所前のボードに、500ほどのお墓の番号と名前が記されていた。
が、その中にニョーマン・ブレレンの名前が見つからない。
幸いに、我々はクトゥの甥二人と姪一人を加えて6人の大勢で出かけていたので、
全員で手分けして、ひとつひとつお墓を探すことにした。
若者は早い。
名前を読み読み、
お墓の間を縫い縫い
小走りに走って探した。
で、5分もしない内に見つけた。
墓標ナンバー168番。
nyoman buleleng と書かれた、
お墓を見つけた(写真右)。
お墓は見つかったが、
前述どおり、
他に日本人がいるか、
お墓の下に骨があるか、
の二つをどうしても確かめたい。
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と、もういちど事務所に戻ると、
扉の前に「ご用の方は電話するように」との張り紙を見つけた。
電話をすると、10分ほどして墓守人(右の人)が駆けつけてくれた。
休日出勤となった無礼を謝ると、
「私はこの墓地を守っていることで幸せを得ている」
「お墓のことを知りたい人があれば、いつでも駆けつける」
との、バリ人離れした答えがかえってきた、ありがたい。
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で、彼に問い合わせた結論であるが、
1、日本人のお墓はない。
2、ニョーマン・ブレレンもバリ人として葬られている。
3、ニョーマン・ブレレンはデンパサールで火葬された後ここに祀られた。
4、2000年に火葬してないものは掘り返して、全てを火葬した。
5、それ以降に運ばれたもので、火葬されていないものが13体ある。
6、が、これも、いずれまとめて火葬する予定である。
7、火葬しないと、ご遺体に失礼だからである。
ということであった。
タバナンの戦没者墓地と全く違った意見である。
即ち、
シンガラジャ戦没者墓地は、いずれ全て火葬されることを終点としている。
が、タバナン戦没者墓地は、骨が埋葬されたまま触らないこととしている。
扱い方が違っているのだ。
バリヒンドゥーでは、お墓はない。
だから、死人がお墓に入るという概念もない。
戦没者という英雄を祀るためとして特別な扱いでのお墓なのであろう。
特別な扱いということは、扱いが特定されないということでもある。
で、タバナンのお墓もバリヒンドゥーとしては例外的に許されているのだろう。
こうした例外を受け入れるおおらかさ....
バリヒンドゥーの経典の懐の深さを再確認した思いである。
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