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バリ人がどんな心理状態にある中で、ングラライが独立戦争を戦ったのか.....
その心理状態の発生元を探るシリーズ....今日から2回は風土が作る民衆心理です。

図は、バンジャールとスバックの領域を描いた模型図です。

バンジャールは、バリヒンドゥー教の催事を行う共同体で、
バリ島全体では数え切れない数があります。
例えば、私の住むサヌールだけでも、22のバンジャールがあります。

一方、スバックは、棚田の利水を司る共同管理組織です。
図の水色の線はスバックの主水路です。
主水路の内外に細かな水路が分かれています。
主水路はスバックの下流で一旦集められます。
そして、次のスバックに向かいます。

バリ島全体で1596体のスバックがあります。

写真はウブドにあるスバックの水門です。
手前の水が水門を通り、三つの川に分かれていますが、
分かれる川の水位が、それぞれ違います。

分かれた水路から、さらに各田圃に分かれてゆきます。
写真手前がその分かれ水路で、
水路に置かれた石の向きを変えると水量も変ります。


なぜにスバックが必要なのか.....
小さなバリ島ですが、横いっぱいに山脈が走り、2000m級の山が沢山あります。
山から降りる水の全てが急流です。
急流の水を堰きとめ棚田に平和的に水を配分するシステムとして、
スバックは、必須だったのです。
スバックはバリの風土が作った財産なのです。

バリ島の大きさは5780平方キロです。
四国の大きさは18800平方キロです。
バリ島は四国の3分の1以下の広さなんです。

こういう小さな島に、
数え切れないバンジャール組織と1596ものスバック組織があるんです。
そして、それらが図のように折り重なっているんです。
しかも、バンジャールもスバックもどちらも1000年の歴史があります。
その複雑な絡まり具合が想像できると思います。

壊そうと相当の外力が加わっても、簡単には解けない絡まりなんです。

ジャワから進出してきた王国の時代、
オランダの植民地時代、
日本の統治時代.....
これら変遷の時代にも、絡まりは解けずに維持されてきました。

この絡まりの強さを一言で言えば、
「地域リズム」です。

「地域リズム」は「ナショナリズム」の反意語です。
独立戦争へのモチベーションは、ナショナリズムから生まれます。

ングラライがバリの地で戦った独立戦争に、
これら「地域リズム」が影響しただろうことは、容易に想像できます。





日本では、道があっても人家がないことがある。
バリ島には、それがない。
どんな山道に入っても一つや二つの人家が視界にある。
山道を走ると、
「オオッ!こんな処にも人が住んでいる」と驚くことが多い。

あたりまえのことだけど、
住んでゆけるから住んでいるのである。

この「住んでゆけること」を
バリ島の衣食住の3点から考えてみたい。


まずは「食」。

の中の、主食の米であるが、
平地では3期作、高地でも2期作と複数回の収穫ができる。
で、人口が450万人になった今でも余るほどとれている。


ついで副食であるが、
亜熱帯ではあるが高地もあるので採れる野菜が豊富で種類も多い。
また周囲が全て海に囲まれているので、海からの恵みも多い。


次に「衣と住」。

の「衣」であるが、常夏なので着る物は簡単でよい。
極端に言えば、サロン一枚でよい。
事実、昔は男も女もそうだったようである。
ついで「住」であるが、雨さえ防げれば良い。
極端に言えば、竹の柱でバナナの葉の屋根の家でよい。
インドネシアでは、生活を支える3大植物というのがある。
「バナナ・椰子・竹」の三つのことである。
バリ島には、この三つは何処にでもある。
生活(生きてゆくこと)が簡単であるということだ。

さて、
全ての島民が衣食住が足りてるってこと、
生きるだけなら自前でゆけるってことは、
他への依存をしなくてもよいってことである。
外に対して無関心でいいってことでもある。

独立戦争を戦い続けるモチベーション、
そのためのナショナリズム....とかなんとか言ったって、

足りてる島民にとって考える必要のないことかも....
ングラライもやりにくかったに違いない..........とオレは思うのだ。