(証言)
直ちに東部ジャワのケデリーに出向し、山口に面接の上、 KPI秘密師団の実情を説明すると、山口は非常に喜んだ。 そして、吉住・市来を紹介してくれた。
吉住と市来は、東部に集まった憲兵を主力とする逃亡者をもって、 日本人部隊を編成することを考えていた。 そして、逆に私にその日本人部隊への参加を頼んできた。
私は、KPI秘密師団に所属していることを理由に断ったが、 ゲリラ戦における行動にあっては、その同目的のためには、 互いに協力して成果をあげるよう努力することを約束して、 ジョグジャカルタに引揚げた。
師団に帰り、カマギ師団長にそのことを報告した。 師団長は、報告を受けた後、 師団の現状として、使命達成のための行動が着々と進み、 軌道に乗っているという説明があった。 心強い限りであった。
日を変えて、ケデリー市内に行った時、 再び吉住と会う機会があった。 吉住は、インドネシア独立宣言以来の政治家の活動状況を あらゆる角度から検討してまとめている最中であった。
橋本が傍で筆記している。 結核が悪化している吉住は、自分で書くだけの気力がないようである。 顔色も悪い。
挨拶するといきなり「刀を見せてくれ」という。 元気なところを見せようと努力している様である。
「菊一文字か、立派なものだ」と、讃めたあと、 「私のは胴田貫だ」と、長く重そうな刀を抜いて見せた。 実践用の刀である。 背の低い吉住には似合わない長刀である。
雑談の後、真剣な顔にかえった吉住が 「君にあらためてお願いがある」 「オランダ軍占領下にある敵地工作をやってもらいたい」 「今一度、スマランで活躍したように、この東部地区で暴れてもらいたい」 「それがこの地に集まっている日本人の一致した意見である」 と、懇願する。
そこで、 「スマランは指導者に多数の知人がいました」 「彼らの強力を得て動いたに過ぎません」 「その結果は、日イ双方に多数の犠牲者を出す羽目になりました」 「私にとって、東部ジャワのマラン地区は未知の土地です」 「ひとりの知人もいない状態です」 「あなた始め日本人多数の見当違いであります」 と、意見を述べた後、 市来以下が移動している、ウリンギイ部落に向けて出発した。
ウリンギイで市来に面談すると、市来は非常に喜び、 一片の紙片を取り出して、これが日本人部隊の編成表である。 と、次を見せてくれた。
隊長: 吉住 副隊長: 市来 庶務班長: 越智 情報連絡班長: 山口 民衆工作第一班長: 谷本 民衆工作第二班長: 中村 民衆工作第三班長: 井上 敵地工作班長: 田中
隊長以下の日本人の配置もきちんと決められていた。 各班には、2ヶ分隊(15~
25名)のインドネシア兵が分担配属されていた。 この日本人部隊での元16軍憲兵は、9名であった。
それから数日、私は市来と共に行動した。 その時、吉住が日本人部隊に立ち寄った。 転地療養のため、セゴン農園に行く途中であった。 吉住は担架で運ばれていた。
市来に後事を託した吉住は、私に対して、 「とにかく、東部ジャワのマランで暴れてくれ」 と、繰り返しながら握手する。
氷のように冷たい手で、しっかり握る手には、 全身の力が集中しているようであった。 その真剣な目差しを見て気の毒になり断りきれず、
「引き受けました」 「近日中にマラン地区で暴れてみせますから見ていてください」 「今後は療養専一に務められて、一日も早く全快されることを祈っております」
と言って励ますと、
「有難う、有難う」と、 何回も繰り返して、かすかに微笑する。 吉住は再び担架に乗ってセゴン農園に登って行く。 看護の野口夫妻が後からついて行く。
見送りながら、市来と顔を見合わせる。
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