このようなオランダの支配政策に対して、
被支配者のインドネシア人は、どのように対処してきたか、
結果として、
日本の進出をどのようにどのような気持ちで迎えたかであるが、
16世紀の頃のヨーロッパ諸国のこと....。
ちょっと油断すると、隣の国に乗っ取られた。
初期の頃、活躍したのは、ポルトガル、
そのポルトガルもスペインに併合され、
そのスペインからオランダが独立し、
独立したオランダは、イギリスと手を組む、
が、当のイギリスがスペインの無敵艦隊を破ると、
警戒して、今度はイギリスと敵対し...などなど、
隣国の関係から常なる国力維持が求められ、
争ってアジア、アフリカへ進出した。
結果、アジアで独立を守れたのは、日本とタイだけ。
よくもこう、自由に荒らされたものだ(笑)。
まあ、そんな中での、
オランダのインドネシアの植民地化であったが、
非植民地のインドネシアも黙ってはいなかった。
あちこちで抵抗した。
が、如何せんその頃のインドネシアは、
小王国の寄り合い所帯であって、
地域としてまとまった抵抗ができなかった。
本格的な抵抗は、それから200年、経過してからであった。
最初の反植民地闘争である、
ジャワ戦争(1825〜1830年)である。
ジャワのディポヌゴロ王子がオランダに対して叛旗を翻した。
民衆もそれに加担し、5年間のゲリラ戦争となった。
オランダとジャワの双方の死者、
20万人という大きな戦争であった。
この戦争は、オランダをして、
一方的強要だけでは植民地運営をやっていけないとの反省を生み、
植民地の民にも、それなりの益があるべきとの、
倫理主義政策を芽生えさせた。
で、この倫理主義政策が後々の優秀な原住民の学生に、
オランダへの留学の機会を与える政策へつながる。
そして、これらの留学生が西欧的思想を国に持ち帰り、
民族主義が広がり、ついには独立へと結びつくのである。
一言で書いたが、
オランダによる植民地支配が始まってから、
最初の反植民地運動であるジャワ戦争まで200年、
それから民族主義が芽生えるまで、さらに100年、
.....の長きを経てのことである。
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