今回、インドネシアの独立と日本との関係を
調べるにあたり、これまで知らなかったことを知り、
驚いたことがあります。
インドネシア語となっている「ロウムシャ」の実態です。
日本軍は、インドネシア人をスマトラの鉄道建設や
ジャワの炭鉱開坑などに強制労働させました。
その労働は厳しく、やせ細って死者が出たり、
強制的に連れ出され若者が居なくなった村では、
米の収穫ができなくなり餓死者も出ました.....。
ここまでは、今までも知っていた知識です。
が、それだけではなかったのです。
日本軍は、インドネシア人をマレー半島まで連れて行き、
そこでも強制労働させていたのです。
これは知りませんでした。
ロウムシャを国外にまで連れ出してたのです。
これではまるで奴隷です。
このように日本軍は、戦争遂行のための
労働力は、インドネシア人を奴隷化することで得ました。
これでは現地人が不満を持って当然です。
さらに、食料は無理やりに供出させ、現地調達しました。
これも現地人にとっては、大変な重圧でした。
それに、軍隊までも現地調達しようとしました。
ヘイホ(兵補)、ペタ(郷土防衛義勇軍)などの現地兵です。
何故にこうした行為に及んだのか、
兵站が伸びきっていて、自前で賄えなかったからです。
昔、昔に読んだ「インパール作戦」を思い出します。
指揮した牟田口中将は、食料の不足は途中で調達し、
弾薬の不足は敵から奪う計画で、兵を前へ前へと行進させます。
補給がない行進で、兵はどんどんと病に倒れたことから
「死の行進」と呼ばれているという内容でした。
これも兵站が伸びきっていたための失敗でした。
大東亜戦争の目的は、
インドネシアの石油やボーキサイトなどの資源のゲットでした。
が、日本からインドネシアは、余りにも遠かったのです。
兵站の面で言えば、インドネシア人の理解を得て、
協力を得ることが絶対な必須要件だったのです。
なのに「バカヤロウ(有名な言葉です)」と、
強面のみで成就させようなんて、
嫌われることが解っており、どうにもなりません。
大東亜戦争に負けた原因としてよく言われるのは、
ミッドウエー海戦の敗戦です。
が、あれは、たまたま負けたのであって、
状況が変われば、勝ってたかも知れない戦いでした。
もっと、根本的なものに眼を向けねばなりません。
次に言われる原因は、国力の差(1対20)です。
それはそのとおりですが、それを言うなら、
日露戦争の時もそうでした。
あれやこれやで、
オレは、大東亜戦争の敗因は「日本人におごりがあった」から、
と、思っています。
そして、この「おごり」の出所ですが、
日露戦争に勝利した頃からの大衆迎合からでした。
大衆迎合では、
個人の良識も、華々しい意見に埋没されがちになります。
赤信号みんなで渡れば怖くない、ではいけないのです。
日本人は、「日本人だけで群れる癖」があります。
これも、大衆迎合のひとつの表れです。
さらに、この大衆迎合の出所ですが、つきつめてゆくと、
封建時代(江戸)を乗り切ってきた民衆の知恵に行き止るのです。
「知恵」ですから、普段なら佳い事づくめのはずです。
が、思いやりや、やさしさだけに「知恵」が集中すると、
「おごり」を咎める意見もかき消されることがあるのです。
日本人の心底にある、大衆を乱さないという思いやりにも、
功罪の両面があると私は思っております。
また勝手なことを書きました。
次回からは、個人的意見を書き過ぎないように注意します(笑)。
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