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美馬芳夫は、Kelandis の民家に隠れているのを密告され、
オランダ軍に襲われ、kelandis の地で戦死している。
そこで一端埋葬され、8年後に掘り返されている。
これだけの大きな事実があれば、
たとえ65年前のできごとであっても、村人の噂で言い伝えられているに違いない。
美馬芳夫が撃たれた場所を探すのは、それほど難しくないだろう......と予測した。
が、時すでに午後3時、急がなければならない。
アクセルを吹かして、Tambakan村 に入った。
で、三叉路を右折して北に向けて細い道に入って、しばらく走ると....
とんでもない、悪路に入った。
登り降りの繰り返し、
であるばかりか、砂利・岩・赤土・水溜り・コンクリートが
それぞれにむき出して、バンラバラに転がっていて、
まるで、スキーのモーグル状の凸凹道路。
が、Bon のモニュメントを見に行った時に、経験していたのでなんとか運転できた。
坂道を登る時は、平らなところを走るとスリップしてずり落ちる。
で、わざと石ころや岩のかけらがあるガラガラ場所を選んで、アクセルを踏む。
と、車は右や左に激しく傾きながら、ガッシャガッシャと上に登れる。
こんな道の繰り返し、いつになったら kelandis に着くのだろうか。
ところどころで、人に出会う。
そのたびに「kelandis」を聞くが、「行けるが遠いヨ」の返答ばかり。
ここまで来たら、引き返せない。
とにかく前に進もう、とヤケクソに運転した。
右に大きな穴がある。
タイヤが落ちては、多分抜け出せない。
左からは大木の枝が伸びている。
ええい、枝にこすっても車が傷つくだけだ!
てんで、枝をこすりながら、前に進んだことも.....
そうこして、着いたのが、此処、ちょっとした峠の頂上、
に、「ここからKelandis」 の表示があった。
表示から道を挟んで反対側にワルンがあった。
まさに「峠の茶屋」である。
中央に写っている娘さんの言葉を聞いてびっくりした。
「車が来たので、びっくりした」
「一年に一台ってことはないけど、2台しか見ないよ」
「ここを通る車......」
そうなんだ、それはそうなんだろう、尋常じゃない!
このあと、峠を降りて人家があるたびに、「kelandis 村か?」聞いた。
どこでも「そうだ」と言う。
バラバラに散らばっている人家の集合体がkelandis 村であるようだ。
人家があるたびに、日本兵のことを聞いてみる。
周辺でオランダ軍とバリ軍との戦闘があったことは知っていても、
日本兵のことは、だーれも知らなかった。
多分、知ってる人を探せなかっただけだろう。
が、その頃のオレは、もうクータクタ。
エヴィさんは腰が痛い、カミさんは踏ん張る足が痛い。
オレは、ハンドルを強く握るので肩が痛く、アクセルを踏む右足が痛かった。
で、それ以上の聞き取りを諦めた。
kelandis から Tamblang を抜け、キンタマニー経由でサヌールに戻った。
サヌールに着いたのが、夜の8時、
美馬芳夫について、今後、調査することはもうない、諦めた。
それにしても諦めないのがオランダ軍。
日本兵がいるとわかると、こんなところまで追っかけて来やがって。
しつこいにもほどがある!!
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