1946年
(昭和21年) |
2月20日 |
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3月2日 |
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連合軍(ガジャメラ)がバリに上陸。
上陸した(サヌール)時は抵抗がなかったが、
次第に住民の反撃に遭うようになる。
この時、ングラライは、ジャワ島のバニュアンギに居た。
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3月某日 |
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3月3日 |
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松井、荒木、タバナンのオランダ軍攻撃を計画するも失敗。
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3月25日 |
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3月27日 |
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タマンサリでの作戦会議。
松井と荒木は、特別部隊の隊長に任命される。
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3月某日 |
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4月某日 |
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ングラライがジョグジャの中央政府より小スンダ地区司令官に任命される。
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4月11日 |
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デンパサールの戦い(荒木、松井、堀内秀雄が参戦)。
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5月某日 |
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6月13日 |
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10月5日 |
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11月18日 |
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スラマット、オランダ軍から武器を奪うことに成功する。
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11月20日 |
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マルガラナのププタンで、ングラライ戦死。
同じく、松井、荒木、スラマットの3人の日本兵も戦死。
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1948年
(昭和23年) |
1月7日 |
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8月某日 |
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バリ島の大部分の王様がオランダ軍に投降。
同時に、独立戦争を戦うバリ人が少なくなる。
が、平良定三は6名だけで、その後も戦い抜く。
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1949年
(昭和24年) |
12月27日 |
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イ・グヌン は、この日まで戦っていたと
バリ人兵士が証言する。
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1950年
(昭和25年) |
1月15日 |
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